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2018年12月27日 (木)

文芸同人誌「奏」第37号2018冬(静岡市)

本誌には「評伝藤枝静男」(勝呂奏)の連載第4回が、掲載されている。読んでいて、ちょうどモダン文学とポストモダン文学の橋渡しをするような評論に思えたので、《「評伝・藤枝静男」勝呂奏(連載)を読む」》として、私小説を考えるヒントにしてみた。自分はあまり藤枝作品を読んだ記憶はさだかでないが、小説「悲しいだけ」だけは、ある共感をもって読んだ記憶があり、いまだに自分が悲しくなると、この作品を思い起こしてしまうのだ。
  そのほか、藤枝静男のエッセイ「滝井さんと原勝四郎氏」が『南苑集』第5号に掲載されているのがわかり、図書館資料から転載されている。
【「女たちのモダニティ(1)=岡本かの子「過去世」連鎖する美=」戸塚学】
 岡本かの子の作品「過去世」(「文芸」昭和12年7月)における文章表現の芸術的追求を行った部分を解説している。いわゆる近代小説の純文学のひとつの技術的な工夫を岡本かの子の美意識の資質的な面から分析している。「過去世」という抽象的ともいえる仏教的な思想を、その言葉を使わずに、感覚的な言葉と造形美的なイメージで、その意味する世界観を表現する工夫を分析している。岡本かの子らしい官能性を帯びた言葉の活用が分かりやすく分析されている。その引用部への解説ではーー引用部、梅麿の肉体に対する「健やかな肉付きは胸、背中から、下腹部、腰、胴へと締まつていきこどもの豹をみるやう」という描写は、欧州旅行でのダビデ像の印象の抽出の直後に接続されている。身体のパーツをひとつひとつ数え上げて行く描写は二重化し、梅麿とそれとダビデの像の理想化された肉体とをともに描きだすかのようである。――とする。
 ポストモダンとされる現代文学では、いまのところ、ここに示されたような伝統的な手法を意識的に読みとって、文章を楽しむという傾向は薄れているのではないか。また、コミックの画像化は、描くひとによって異なるであろう。文学のカルチャーとして地位の低下の中でこそ、大衆性にこだわらない文学性の追求が顕在化することの意味性を期待させる。
絵画を自宅に飾る人が多くないように、文学書もそうなってしまうのか。デジタル化の時代の文学芸術には、ある程度、データ―ベース的情報の共有知識が必要になるのではないだろうか。
【「小説の中の絵画(第九回)川端康成『美しさと哀しみと』-人体を描く」中村ともえ】
 ノーベル賞作家の川端康成の作品は、多く読んだ記憶がない。この作品も読んでいないが、美意識に結びついた官能性についての表現をめぐる評論としては上記の岡本かの子と問題点が似ている。この作品には文学的小説のための「方法論」が多く記されているという、珍しい作品らしい。このような作品を書いていたのかという興味と、川端が官能色を帯びさせて書くのに、女性の乳房の表現に乳首のみを重点したのは、母性へのイメージより、エロチックな刺激を盛り込むところに、川端色が出ているところが納得できた。
 人間は生きていることの充実感というのは、欲望をつくってその実現に向かう姿勢にある。その重要な手立てとしてエロスがある。その点で、岡本かの子も川端康成も、意識的にエロス感覚をもって欲望の立ち上がる世界に導くものであるのだろう。
【「堀辰雄旧蔵書洋書の調査(十四)-プルースト⑧」戸塚学】
 プルーストは良く分からないが、本は何巻か文庫で持っている。堀辰雄のフランス文学に対する研究心のすごさを感じさせる。まさにモダン時代の文学的な追及の開拓精神のなせる技なのであろう。恋愛のエロスはもちろん、自然現象やと社交現象に生きる欲望を見つけ出す作業なのだったのか。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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