フォルモサの美男美女ブヌン族の不思議な歴史
台湾の源住民は、多くが小さな集団にわかれ高地にいたようだ。そのせいか日本では、高砂族と称され、12種族くらいまでが明らかになっていたらしい。これらは、日本が台湾を統治していた際、街の下水道整備でマラリア退治し、同時に文化研究学者が調査したもののようだ。その後、さらに種族がいることがわかっている。
そのうちのブヌン族の人に、当会に対し、サークルを作りたいにので、協力して欲しいといわれ、資料をもらって協力した。
「詩人回廊」ブヌン族〈布農族〉のある説話(三) の投稿があったので、その時の資料を下部にしめした。日本軍人としてのスナップのようだ。
拡大してみると、顔の彫が深く、東洋人ばなれした人がいる。きくところによると、源住民のなかには、色黒や茶髪のひとがいたそうである。自分が会った人たちも美男美女の系統であった。台湾は、スペイン人やポルトガル人がいち早くみつけ上陸、フェルモサ「美しい島」と名づけたというから、西洋人の血が混入した可能性がある。
民族音楽学者の小泉 文夫(1927 -1983)は、高砂族は、首狩り族であった。種族の戦いで、村人が気持ちを合わせて行動し戦うのに、リズムをとって拍子をつけた。だから、みな音階が理解でき、歌が上手いのだと語っていた。
あとから漢族が渡来したようだ。だから台湾が中国の所属と見るのは、3千年の歴史的には自然というわけではない。靖国神社に祀られた兵士の子孫たちは、それに反対しにデモにきたこともあるそうだ。
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