文芸誌「砂」の自己表現中心から第三者の現状報告へ
文芸同人誌の多くは、共同で作品発表の場にするということから、自己表現的な傾向の書き物が作品の多くを占める傾向にある。自分は、こうした作品の感想を求められると、「これは自己表現の部類に入りますね」と言うことが少なくない。すると「作品のつもりですけど…」と不審に問い返されることがある。自分の発想は、自己表現性とは、家族の写真や職場の記念写真の作品アルバムと同じで、自分にのみ意味があるが、他人があまり関心をもたない表現性のことである。知り合いの家を訪問すると、家庭写真のアルバムを何冊も見せらることがある。「はあ、そうですか、いいですね」とお世辞は言うが、本当は関心がない。
文芸同人誌の読者は自分の書いたものを読む同人だけが読者で、同人を増やすことは、読者を増やすことである。
文芸同志会では、「砂」の同人会員が減少して、原稿不足になったことで、提携で原稿提供した。そこで心掛けたのは、自己表現でなく、現在形の他者を対象にした報道記事と評論である。前回に続き「文学フリマ東京で文芸誌「砂」の136号~138号までを「文芸同志会」の出店に並べたところ、立ち寄ってぱらぱらめくってから、買い求めるひとがいて、各冊とも2刷ぐらいずつ売れた。要するに会員読者はいないので、他者を表現することで、外部に読者を求めたのである。《参照:第27回文学フリマ東京2F会場のカオスと静寂を楽しむ》
他者を素材にするということは、書かれた側も読者である。当然、書かれたことへの反論、批判を受けている。責任を問われるので、やはり緊張感が違う。
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