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2018年11月30日 (金)

東電に提供した21.5兆円の事故費用をだれが負担するかの話

経産省の話によると、東電にÞ峰で支援した21.5兆円の事故費用をだれが負担するかについて、東電は15.9兆円(従来は7.2兆円)を負担。廃炉費は、国が関連する研究開発費を支援することはあるが、東電が自力で捻出するとの原則は維持したうえで、新たに作る積立金制度で資金をプールする方向だ。ーーとは言うもののそんなことで、返却するにが何百年かかるのか。その問題に係るのが「原賠法」だ。《参照:「原子力損害賠償法の抜本改正を求める院内集会」》
現実には東電に返却能力はない。従って結果的に贈与になる。もし返却が前提なら、東電は債務超過で倒産しているはず。。株式上場の私企業に国が贈与するということはあり得ない。
  現在の賠償費は、東電と原発を持つ大手電力が負担する方式から、原発を持たない新電力の利用者を含めた全需要家に負担させるとした。賠償制度が不備な中で福島事故が起きたとして、「積み立て不足を全需要家から公平に回収する」というのが経産省の言い分だ。
 東電改革委が示した新電力の負担額は2400億円で、今後、新電力が大手電力の支払う送配電使用料(託送料)に上乗せされる見通し。しかし、制度の不備を理由に過去に遡って新たな費用負担を求めるという理屈には批判も強い。

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2018年11月28日 (水)

文芸誌「砂」の自己表現中心から第三者の現状報告へ

  文芸同人誌の多くは、共同で作品発表の場にするということから、自己表現的な傾向の書き物が作品の多くを占める傾向にある。自分は、こうした作品の感想を求められると、「これは自己表現の部類に入りますね」と言うことが少なくない。すると「作品のつもりですけど…」と不審に問い返されることがある。自分の発想は、自己表現性とは、家族の写真や職場の記念写真の作品アルバムと同じで、自分にのみ意味があるが、他人があまり関心をもたない表現性のことである。知り合いの家を訪問すると、家庭写真のアルバムを何冊も見せらることがある。「はあ、そうですか、いいですね」とお世辞は言うが、本当は関心がない。
 文芸同人誌の読者は自分の書いたものを読む同人だけが読者で、同人を増やすことは、読者を増やすことである。
 文芸同志会では、「砂」の同人会員が減少して、原稿不足になったことで、提携で原稿提供した。そこで心掛けたのは、自己表現でなく、現在形の他者を対象にした報道記事と評論である。前回に続き「文学フリマ東京で文芸誌「砂」の136号~138号までを「文芸同志会」の出店に並べたところ、立ち寄ってぱらぱらめくってから、買い求めるひとがいて、各冊とも2刷ぐらいずつ売れた。要するに会員読者はいないので、他者を表現することで、外部に読者を求めたのである。《参照:第27回文学フリマ東京2F会場のカオスと静寂を楽しむ
 他者を素材にするということは、書かれた側も読者である。当然、書かれたことへの反論、批判を受けている。責任を問われるので、やはり緊張感が違う。

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2018年11月26日 (月)

第27回文学フリマ東京の出店数過去最高の理由

 第27回文学フリマ東京が《1千に迫る出店に入場者4千人》。この現象の要因に、俳句と短歌の結社の参加がふえたことがあるのではないか、と推測する。そらく随筆専門誌や文芸雑誌を合わせても、地域、学校、職場とさらにそこから離れて個人句集も盛んである。今後も詩歌部門の参加が増えるでろうから、まだまだフリーマーケットは拡大するであろう。

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2018年11月25日 (日)

文学フリマ東京(TRC会場)の出店に行ってます

 きょうは東京・平和島東京流通センター第二十七回文学フリマ東京(2018/11/25) に出店しています。展示場ブース「キー2」です。《参照:文芸同志会
きのうは、秋山清のコスモス忌で多くの詩人に会えました。
 文学フリマに会員も元会員も店番手伝いできればお願いします。

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2018年11月24日 (土)

総合文芸誌「ら・めえる」第77号(長崎市)

【「信仰に育まれた世界遺産―苦難の歴史に想うもの」城戸智恵弘】
 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎・熊本)についてユネスコ(国連教育科学文化機関)が、今年に世界文化遺産として登録することを決定した。これに関連して筆者は「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」のニュアンスの違いを追求する。さらに、日本の織田・豊臣・徳川時代に、長崎来訪をしたその時々の西欧諸国アジア征服の野望の影がさしていることを指摘する。
 宣教師は宗教心による行為であってしても、その布教には国家的な強権力があった方が、好都合である。そうした世界の弱肉強食の価値観のなかで、キリスト教が利用されてきた面を指摘する。それが、2の項、「宣教の背後に蠢くものー殉教の歴史は複眼的に」にある。さらに島原・天草の乱については、それが共同体の生存権をかけた農民一揆なのか、はては階級闘争の兆しなのかと、マルクス主義思想の歴史観とも比較し、知見の幅広さを発揮している。
 いずれにしても、宗教と外交、国際的なイメージと国政の関係が、われわれが意識するより、深くかかわっていることを立証する力の入った論文である。
 これを読んで現代をみれば、神社神道の流れの自民党と、新興宗教の団体力を利用した政治家の運営による。そこに政治家の信仰心などはかけらもないという現状を考えさせられた。
【「大いなる虚構 日本悪玉論」藤澤休】
 ここでは、日本の太平洋戦争での敗戦により、戦勝連合国が裁判を行い日本が裁かれたという事実によって、様々な負の部分だけが国際的に強調され、日本が悪玉にされている現状は、間違っているという主張である。通常のいわゆるネトウヨ理屈とちがって、その根拠を指摘証明しようとするものである。
 このように、真正面から日本の姿を論じることは、賛否の先入観を超えて賛成である。
 まず、戦争の結果を勝者が裁くということ自体が、正当なのかということに対して、インドのパール博士が述べた、東急裁判の結果への正しい受け止め方を示す。
 広島の「過ちは2度と繰り返しません」という言葉の解釈は、敗戦国日本人にむけたものなのか、米国を含めた全世界の人間に向けたものなのか、という問題提起をしている。また、中国の南京虐殺30万人説の虚偽、韓国の慰安婦問題の虚偽などを、その後の調査報道を示して否定している。証拠として、朝鮮人が朝鮮人を拉致して、慰安婦にしていて、日本警察がそれを取り締まるという朝鮮の東亜日報の昭和8年6月30日付け新聞報道や、平成26年8月10日のフジテレビの報道で、済州島では、慰安婦にするための日本軍の強制連行は見たことがない、とする現地人の報道などの写真を示している。これは、これでそれなりに異論はない。
 日本は、負ける戦争をしたために、ひたすら堪えがたきを堪えることに対応してきた。各国からの反日、日本悪玉論の槍に体をかわして、世界の仲間入りをし、浮上してきた。9条の2項は、それをしなければ、世界のなかで生きていけなっかたのかも知れない。世界秩序のなかでのイメージの変更に成功してきている、と言えるのではないか。批判されることは仕方ない、それよりも過去の加害を許してくれている人々に感謝したいものだ。
  その当時のことは、資料で知るしかない。日本帝国時代でも朝鮮とは戦争をしておらず、日本に敵対してきた国連軍も、朝鮮を国連軍側としなかった。朝鮮における反日という精神思考の背後には、なにか不可解な部分がある。当事者たちにしかわからない何かが隠されているように思う。中国は、日本と戦っているので、反日を国是とするのは、中国共産党の政策である。国連側の敵国条項に日本はいまだに入っている。敵国扱いをやめず、に金を出せとか、他国支援しろとかいうのが、現在の国連である。日本帝国主義は、否定されるべきと思っても、民族の誇りを否定されるものではない。その感情が現れた論文である。
【「奥さんの匂いに魅入られる」砂田良一】
  堅苦しい論文のなかで、これは楽しく読めるお色気作品である。表現もエロチズムみちた雰囲気を盛り上げるのに巧みで、ユーモアを感じさせながら気分を明るくさせてくれる。面白かった。
【「T四作戦」吉田秀夫】
 昨年10月ドイツで「第17回世界精神医学会」が開催されたという。50歳の山本医師は、日本から観光ツアーで参加した記録である。自分は知らなかったが、ドイツナチス時代に「T四作戦」というものがあって、精神障害者の根絶作戦だったという。この論理では、自国民であっても人体実験による精神障害の研究が、正当化されていたようだ。その時代の出来事をドイツ人医師が、重く強い反省をこめて、解説した様子が描かれている。そのドイツ人女性医師は、事実に沿ってナチスドイツのしたことの非道さを、外国人にも説明する、モラル精神の強靭さに、読んでいて感銘を受ける。差別精神の暴走である。日本では、かつて731部隊の存在があり、それを批判することの論理はそれほど広まらない。その情報を占領国である米国に渡したころで、従属国として事実の広まりを抑圧されたという事情が見えないこともない。
編集人・新名規明。発行所=〒850-0918長崎市大浦町9-27、田浦事務所「長崎ペンクラブ」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年11月23日 (金)

フォルモサの美男美女ブヌン族の不思議な歴史

 台湾の源住民は、多くが小さな集団にわかれ高地にいたようだ。そのせいか日本では、高砂族と称され、12種族くらいまでが明らかになっていたらしい。これらは、日本が台湾を統治していた際、街の下水道整備でマラリア退治し、同時に文化研究学者が調査したもののようだ。その後、さらに種族がいることがわかっている。
 そのうちのブヌン族の人に、当会に対し、サークルを作りたいにので、協力して欲しいといわれ、資料をもらって協力した。
 「詩人回廊」ブヌン族〈布農族〉のある説話(三) の投稿があったので、その時の資料を下部にしめした。日本軍人としてのスナップのようだ。
 拡大してみると、顔の彫が深く、東洋人ばなれした人がいる。きくところによると、源住民のなかには、色黒や茶髪のひとがいたそうである。自分が会った人たちも美男美女の系統であった。台湾は、スペイン人やポルトガル人がいち早くみつけ上陸、フェルモサ「美しい島」と名づけたというから、西洋人の血が混入した可能性がある。
 民族音楽学者の小泉 文夫(1927 -1983)は、高砂族は、首狩り族であった。種族の戦いで、村人が気持ちを合わせて行動し戦うのに、リズムをとって拍子をつけた。だから、みな音階が理解でき、歌が上手いのだと語っていた。
  あとから漢族が渡来したようだ。だから台湾が中国の所属と見るのは、3千年の歴史的には自然というわけではない。靖国神社に祀られた兵士の子孫たちは、それに反対しにデモにきたこともあるそうだ。

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2018年11月22日 (木)

こんどの日曜日に「文学フリマ東京」で「文学役立ち」理論を

  25日の「文学フリマ東京」に出店しますので販売予定本を掲示しました。《参照:「文学フリマ東京」 11/25(日) ブースNO「キー2」で販売
 昨日は、NHKBSプレミアムで「北斗の拳」のアナザーストーリーを見たけれど、その伝わり方の早さでは、とても文学はコミックにかなわない。しかも画だから、国際性もある。こうなると、他人の小説を読む人は、どんな人たちで、好みはなにかと、追及するとジャンルごとに小クラウド化していくであろう。もっと、マニアック化してもいいはずだ。そんなことを考えて、少数者を想定してほんづくりをするしかない。
 しかも、文学が夏炉冬扇で役立たないとなると、さらに問題だ。

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2018年11月21日 (水)

文芸同人誌「浮橋」第2号(芦屋市)

【「セッカ」曹達】
 作者の住む山荘は、ガラス戸があって、そこに小鳥が衝突し、気絶したり、そればかりか、死亡したりする。ツグミやヒヨドリ、セッカなど小鳥たちの行動観察と、それに付随して亡くなった家族への想いなどが描かれる。短いが文学味の横溢した作品で、品位もあり、心安らぐ一遍である。冒頭作品の出来の良さから、以下のその他の作品に大いに期待したが、文学的な雰囲気では、本作をしのぐようなものはなかった。
【「ゲルトルード・コルマル作、藤倉孚子訳『沈黙するものたちのの言葉』(書肆半日閑)を読む」佐伯圭子】
 ゲルトルードという詩人を知らなかったが、ベンヤミンの親類筋にあたるユダヤ人で、ナチスに捉えられ、消息を絶ったという。ベンヤミンは国外逃亡したが、途中で自死したとされる。抹殺された悲劇の女性のやわらかな心の一端を紹介して読み応えがある。
【「幽閉」柳館和彦】
 武蔵野に住む小説家の動向を独自の視点で語る。読めば、桜上水で自死した太宰治のこととわかる。井伏鱒二や志賀直哉との葛藤などが、語られる。また、女性関係とそのしがらみに苦しんでいた様子を語る。今年になって、桜上水に近い飲み屋に出入りしていて太宰治と交流していた母親の娘である林聖子氏今もいる。長年経営してきた、新宿の文壇バー「風紋」を高齢で閉店した。新聞にも報道された。その直前に、彼女に話を聞く機会があった。思春期の彼女をモデルにして太宰は短編小説を書いている。聖子氏の話によると、太宰が入水した時、その居酒屋にいた聖子氏も、行方不明になった太宰たちを川ぞいに探したそうである。
【「主婦Kの日記」岩崎和美】
 日付入りの日記体で、同人誌にはあまりないスタイルなので、興味をもった。読んでいって、夫の愚痴のほか、なにもないので、驚いた。その辺の主婦でももうすこしましなことを考えている女性を自分は知っている。
【「炎」曹達】
 近所の神社が火事になり、類焼被害を避けるための活動など、火事現場の様子が密度の濃い文章力で、描かれてており、ひきつけて読ませる。
 その他作品もすべて目を通した。全般に短文、短編が多いのは、同人誌の性質に合致している。そのなかで、本誌に限らないが、問題提起や意図が、どこにあるのか明確さに欠けるものが多い。作品紹介するには自分の読解力と書く気力の不足を嘆くしかない。
発行所=〒659-0053芦屋市松浜町5-15-712、小坂方。
紹介者=「詩人回廊」編集者・伊藤昭一。

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2018年11月19日 (月)

第7回芥川賞の中山義秀の「厚物咲」に読む秘伝

  毎年、各地で菊花展が行われる。自分もずいぶん観にいた行ったものだ。《参照:秘術の成果を競う美!東京都観光菊花大会
 これは、まだ高校生の頃、薄い文庫で、中山義秀の「厚物咲」という小説を買った。それには、同時掲載で「ある死刑囚の手記」とかいうのがあって、自分はその方に興味があったのである。
 しかし、それよりも「厚物咲」に強い印象をもった。これは、菊花の栽培の秘伝をめぐる物語で、老境の人間が「厚物咲」という菊の見事な美しさを出すための秘伝を探りだそうとする男と、隠そうとする男の確執と執念の物語りである。よんでいて迫力に押された。
 同時に、小説の構造として、語り手がいつの間にか、登場人物に乗り移って、どちちらがどちらかわらないようになる。後に、これは第七回上半期、芥川賞(昭和13年)受賞作と知る。
  小説としては、おもわぬ歪みのある作品であったが、純文学というものが、作者の切実な気持ちの表れであれば、通常の形式から離れてもかまわない。感動が伝わる、と知った。
 そのひとの切実な心の生んだ文章なら、欠点のようで欠点でない。

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2018年11月18日 (日)

プーチン大統領と安倍首相の皮算用と北方領土

 ロシアは国内がうまくいかなくなると、北方領土を話題にする。このところ鈴木宗男代表が。持論を述べている。
《参照:報道の不正確と北方領土問題の事実=鈴木宗男氏》北方領土はロシアが実効支配しているのに、なんで日本と何を話し合おうというのだろう。ロシアは本音では、そんな必要はないとしているつもりだろう。ただ、戦後ロシアはアジアの反映から取り残されてきた。しかも北方領土が過疎化している。だから日本になんとか関係をつけてアジアに存在感をもちたい。領土を本音でどうしようという気はない。プーチンは、中国側にあなたがすべてではない、日本を相手にできると、しめしかったのではないか。安倍首相にすると、長期の政権のレガシーにしょうというものであろう。平和条約を論じるだけで、無用な争いや警戒をしないでだけでもましと見るべきか。
 「

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2018年11月17日 (土)

有象無象の存在を問題にした「観光客の哲学」の現象

  デモ隊が通りすがりの観光客にアピールして何の意味があるのか? 一見、これは見当違いな誤った意思表示、郵便的な「誤配」である。世の中「一寸先は闇」とさせるのは、有象無象の人たちの動向である。トランプ大統領の当選が予測できなかたのは、リア充の失業者たち、貧富の格差のなかに隠された大衆たちが、投票したら世の中がひっくり返った。
 カオスや複雑系の現象の要因を観察したものに、東裕紀の「観光客の哲学」がある。有象無象の観光客は、無責任な立場で、この世界の現象を見ている。《参照:デモを見る観光客の郵便的な誤配への期待について
 政治的に国と国がどう対立しようとも、個人同士はそれとは関係がない。無責任な交流ができる。
 東氏は言う。
たとえば引きこもりとリア充という言葉があるけど、実際にはリア充のほうが世界には多いわけです。でもツイッターをやっていると、世の中引きこもりの「コミュ障」ばかりに見えてくる。それはそれで大事なことだけど、でもそれを真に受けていまの世界はコミュ障ばかりだとか言い出したら、単純に世界が狭いわけです。でも人文書の棚にはそういうところがある。あの世界にいると「単独者」だとか「切断」とか「他者」とか、そんな言葉ばかり聞こえてくるのだけど、それがどのような現実に結びついているのか見えてこない。世界には人文書以外にも素晴らしいものがいっぱいある。それを知っていてはじめて人文書の魅力もわかる。だから僕は大学もやめたし、こうやって一人で会社をやっている。そのうえで哲学書を書いている。
 まず第一に本書の「観光」は抽象的な概念です。そのうえで「観光」という言葉を肯定的に使うこと、それそのものが階級的差別に無自覚だということだとすれば、そんなこと言ったら、そもそも哲学書を読むことにも経済的余裕が必要なんで、哲学書を書くことそのものが倫理的に正しくないということにもなる。だからそういう批判はよく分からない。だれもがアクセス可能なものごとについて、だれもが納得するかたちで語ることだけが「政治的に正しい」のかもしれないけど、そうなったら哲学なんて成立しないと思います。たとえば英語やフランス語を読めるようになるためにはかなりの投資が必要なわけです。だとすれば、英語とかフランス語の文献を引用するのは、もうだめなのでしょうか。
ーー 「韓国では純文学が主流で、中間小説などは一段低く見られてきたため、このジャンルに進出する力のある作家が少ない。そこで、エンターテインメント性の高い日本作品が次々と翻訳されてその隙間を埋めているわけです。最近では、日本の大学生より韓国の大学生のほうがずっと日本の作家の名前を知っているなと思うこともありますよ(笑)」
面白いのは、慰安婦問題などで日韓がもめると、日本では韓流ブームが一気に冷めてしまうことが多いのに対し、韓国ではいくら外交関係が悪化しても、日本の文化コンテンツが忌避される気配がないということ。
「1965年の国交正常化当時から、韓国には政情に関係なく日本のモノや文化がかなり入ってきた。芥川賞や直木賞作品の多くが翻訳出版されてきました。だから、徴用工問題で両国関係が最悪と報じられるこの時期でも、特に日本小説が問題視されるようなことにはなっていないのでしょう」(小針氏)
 ちなみに、韓国の書店では「反日」本もほとんど見当たらない。

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2018年11月16日 (金)

文芸同人誌「弦」第104号(名古屋市)

【「誤審」長沼宏之」】
 私立高校のサッカー部の大野監督は、部を強くするため、これまでは比較的に順調に成果を上げてきたが、このところの成績があまりよくない。このままでは、監督責任論が出るかもしれない。そうしたなかで、試合中にゴールを揺るがしたシュートに対し、審判の明らかな「誤審」とも思われる判定に、ノーゴールとされ試合に負けてしまう。そのなかでの選手起用の苦労を語る。現代小説らしく、サーカーの試合の様子が活写されている。その部分はいいが、ほかの問題提起のしかたが平版なような気がする。この話の進行のバランスの難しさを感じさせる。
【「女優」市川しのぶ】
 舞台女優に徹して、昭和平成と活躍していた女優が、外出するための玄関先で倒れ亡くなってしまう。その人生を友人が語る。最初から、話の顛末を明らかにして、それから過去の歴史を語る手法は好感が持てる。そのなかで、友情の在り方や、女優魂が語れるが、結婚をしないで女優業に徹した生き方に、納得させられる。
【「さよ」フランシス和田】
 24歳年上の夫を亡くしたさよが、若い男と恋をする話。60代の女性で、まだ色香の豊かな女性多い時代を反映して、ひとつの恋愛小説にしている。
【私記「九ヶ月の記-夫との二八二日」小森由美】
 長年連れ添った夫が突然発病した。自宅にいて脳動脈瘤が破裂したのだという。救急車で要因へ、くも膜下出血の重いものだとわかる。手術してからの治療と、亡くなるまでの日々が記録されいる。どのような状態であったのか、一部始終が語れる。他人ごとでなく、自分もそうなるかもしれないと、我が身に照らしながら、読み入ってしまった。
【「はざまの海」白井康】
 パナマ運河を通行する貨物船の船会社、船長、船員たちの物語。船乗りでないとわからない仕事ぶりが具体的に描かれ説明されている。このなかで、水夫長のことを「ブースン」ということがわかる。じつは、自分は土木工事での現場代人に取材したことがあるが、そこでは、職人の親方を「棒心」(ボーシン)と呼ぶ。これは、船乗りのボースンからきたものではないか、ということだ。
 【「桜人」森部英生】
大学教授を定年前にか、定年後も講師をしていた学校を自ら早めに止めた「私」高原。
その後、代官山の住まいを売って、故郷の名古屋に帰る。そこには義姉がいて、新しい物件を探してくれている。その名古屋に帰るのに、新幹線を使わずに東海道線で各駅のおもいでなどを回想する。筋のないような、私小説風なスタイルの創作であろう。作者のディレッタンティズム精神の横溢する作品で、長いが読ませられる。今後の同人誌作品のひとつの方向性を示唆するところもある。
【「蝶の来る繰る庭」木戸順子】
語り手のわたしは、夫が少年の息子を載せて乗用車を運転していて、事故を起こし、息子だけが亡くなってしまう。それ以来、夫との夫婦関係がうまくいかなくなる。空虚な心をかかえた私は、ブランティアの子供食堂を手伝いはじめ、その子供たちに息子の面影を視てしまう。文章運びも良く、筋立ても構成もきちんと整っている。とくの文句もないが、計算通りにおさまっていることで、物足りなさもある。
【「同人雑誌の周辺」中村賢三】
 本誌には、全国から送られてくる著書や同人誌のリストが掲載されている。かなりの数である。そのせいか、筆者は毎号、同人誌作品を評している。前から読んでいて、これをどう紹介するか、考えていた。全文公開したいがそうもいかない。対象となった同人誌作品をリストアップしてみる。
--「闇の色」宇佐美宏子(「海」97号・三重県いなべ市)」/「雑記―あらのー1」山口馨(「渤海」76号・富山市)/「身の上ばなし」富岡秀雄(「季刊作家」91号・愛知県)/「晩節」棚橋鏡代(「北斗」649号・名古屋市)/「不登校、そのわけ…」鈴木孝之(「彩雲」10号・浜松市)/「父の面影」西学みゆき著(葦工房刊・三重県)/「明日は明日で」高橋惇(「法螺」77号・大阪府)/「短い夜、」弐番目に陥る」堀田明日香(「じゅん文学」96号・名古屋市)/「肺ガン病棟の三十日」水上浩(「果樹園」31号・豊川市z)/「風寒し」野沢菫子Z(「長崎文学」88号・長崎市)。
事務局=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3-4-27、中村方「弦の会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年11月15日 (木)

米中、国家資本主義の人権主義と過去との類似点

 出来る杭は打たれるというが、米国の中国叩きは、なまじのもので治まらないという見方が多い。経済アナリストの木村理事は、次のように観察している。《参照:トランプ政権の対中国政策は強硬
  「トレードウォーと言いながら、実は相手国を叩き潰すための本格戦争が始まっていると見るべきだ。21世紀の武器は金融と信用なのだ。これはソ連を軍拡競争に誘い込み、財政破綻から国家崩壊に導いたレーガン政権のやり方によく似ている。
  中国が真っ当な市場競争により繁栄を勝ち得ているなら、米国が難癖をつける筋合いはないが、先進諸国から不正取得した知的財産を利用して貿易黒字を膨らませ、それをテコに近隣やアフリカ諸国に政治的指導力を行使する、さらに海軍力を強化して太平洋西部沿岸に覇権を確立させようとしているなら、座視するわけにはいかない。」
 いわゆる人権をないがしろにした中国・国家資本主義への攻撃というわけだが、米国も国家的な軍需産業資本主義である。
 ただ、今回は日米の太平洋戦争との類似点が二つある。一つは南シナ海のの領海制覇である。日本がアジアに進出した時に、南シナかいは日本が制覇していた。このことが世界の不安を招き、世論が敵対的になった。
 これを背景に、米国の日本の石油禁輸制裁をおこなった。この制裁が、軍国主義日本のよる戦争のはじまりであった。
 現在の中国も軍国主義的であり、南シナ海を制覇している。実際に、中国の軍部が暴走すれば、米中戦争の可能性はある。
 また、朝鮮半島のおいて韓国の存在は影がうすくなり、朝鮮半島としてひとつになり、あるいは、北朝鮮と南朝鮮になる可能性もないわけでもない。

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2018年11月13日 (火)

作品紹介に誤字や打ちミスが多い傾向

  町田文芸交流会の外狩雅巳氏の記事に、自分の作品紹介には打ちミスや誤字が多いとある。《参照:顔を合わせ語り合う「町田文芸交流会」の現況=外狩雅巳》。それは事実である。ひとつは、能力にの低下と、パソコンの劣化である。文字を書くと、そのままフリーズしてしまう。動くまで待っていると、何を書こうとしていたのか、忘れてしまう始末だ。まず、打ちミスが多くなった。以前に、会社勤めをしていた時に、定年を過ぎて仕事をしていた人が、ある日自分がタイプの打ちミスをした時に「もう俺はダメだ。仕事を辞める」といって、退職届を出してしまって、来なくなってしまった。こちらは、それなりに能力のある人で、居ないと困るので、思いとどまるように、説得したが、がんとしてきかなかった。今になって自分にもその気持ちがわかる。
 しかし、ないよりもまし、と紹介を続けている。この作品紹介は、幾人かの会員の協力を頼んだが、一度行うと次はできないという。要するに、自分の創作には関心があるが、他人ものにはモチベーションが湧かないのであろう。ということは、お互いさまながら、書いた人だけが自分の作品を読んでいるのである。ようするに誰にでも出来ることではないらしい。だからやっている面がある。

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2018年11月12日 (月)

土日の外出は脱原発運動を見に行く

  このところ睡眠中の夜中に脚がつって痛みで目をさます。膝も曲げると痛む。すこし長く歩くと棒のようになって疲れる。歩き出しが足首が傷む。かといって歩かないのは良くないので、一日おきには外出するようにしている。地下鉄の階段を歩くだけでもかなりの負担だ。このところの土日は、脱原発運動の見学をした。参加者の減り具合はどの程度か見るのである。《参照:観光バスにも反原連11/11原発ゼロ基本法案の審議を
 原発では、かなりの頻度で事故が起きている。災害ばかり問題にしているが、現場の管理が出来ていない。再び事故が起きたら、政府はなんというか。また隠すのだろうか。ーー1日に東京電力柏崎刈羽原発敷地内で発生した電気を通すケーブルの火災で、東電が把握していた火元の位置情報が、現場に出動した柏崎市消防本部と原発内に常駐している東電の自衛消防隊に伝わらず、1時間半も対応が遅れていたことが8日、分かった。東電は当時のやりとりを市消防本部と確認するとしている。
 8日の定例会見で、設楽親所長は「地域の皆さまにご心配を掛けたことに、改めておわび申し上げる。刻々と状況が変わる現場で、結果としてベストな対応ができなかった」と陳謝した。また、報道機関への第1報が遅れた問題について「ファックスの送信履歴を確認すれば、すぐにミスに気付けたはずだ。申し訳ない」と述べた。
(11月9日新潟日報より 抜粋記事。紙面のみの掲載でネット上に掲載なし)

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2018年11月11日 (日)

季刊文芸誌「日曜作家」第24号(大阪府)

【「ひまわりとオムライス」椿山滋】
 父親の13回忌に、満智子は母親がいる実家に帰る。弟は幾度も実家に行って、59歳になる母親の様子を見に行っているらしい。
 満智子には、母親に関してつらい思い出がある。高校三年の時に、具合が悪くて授業を早引けして帰宅した。そのとき、母がいる筈なのに、家の出入口のすべてに鍵がかかっている。そのうちに若い男が家から出てきた。しれっとして言いつくろう母親に、彼女はショックを受ける。38歳になった今でも、その傷ついた感情は、消えない。
 久しぶりに母親に会い、食事をするが、弟にアドバイスするような、認知症のようには見えない。しかし、法事の日まで満智子が実家に泊ると、弟の説明のように、一種の記憶の不安定なまだら認知症とわかる。
 そして、満智子の母親への批判は、母親の自分への愛情が弟の方に移ってしまったとが感じたことがトラウマになっていることを悟る。
 判りやすい設定と書き方で、構成にバランスが取れている。読みやすく、話が受け入れやすい。読み物としては、読者を深刻にさせずに安心させる。しかし、構成の在り方で、終章にもっと盛り上げる効果を出すことの可能性もある。わが師であった故伊藤桂一氏は、私の提出した作品こういう点があると「うふふ。ぼくだったらもっと、巧くかけるよ」という言われたものである。「テーマは良かったのか?」と、今でも悔しく思うことがあった。。
【「平成最期の夏、ボクは…」大原正義】
 42歳で引きこもりの生活をしている、井村健太という男の話。両親は交通事故死し、祖母の年金で暮らす。家は40坪で、庭付きである。祖母がなむなると、年金が入らなくなるから、電気やガス水道を止められ餓死するまでが描かれている。もちろん、創作であるが、それだけに想像力の範囲なので、論理的に描かれており、フォログラムでもみるような幻想イメージ。それなりに統一感のある出来上がりになっている。
 引きこもりは社会的な人間性の喪失であろう。その精神的な状況はさまざまで、事実的にこのように、もっともらしいものは少ないかも知れない。それでも何となくまとまっているのは、作者の創作力の内面的な蓄積であろう。自分が気が付いたのは、家庭内暴力がないことかな。政治を批判するようなタイプは、暴力的になる。またここでは、死ぬことに対する発想が薄い。たとえば、東日本大震災の地震津波の警報であっても、説得しても引きこもりの人は避難しなかったという話がある。死ぬ機会を活かしたのではなかろうか? などと思う。
【「居酒屋だより(10)居合いの稽古に励む老人の話」野上史郎】
 タイトルそのままで、居合いの修業と云うものが、どういうものかわかりやすく解説されている。
【「千葉躬治先生の思い出―N響の顔、故千葉馨氏の尊父を偲ぶ」加勢駿】
 これはN響の歴史の記録に残すべきエッセイだという人がいたので記録にしたそうだ。
 【「マインレンデル素描」桂一郎】
 若い時代には、自死した短命な作家たちが独自の世界を作り上げているように思える。おそらく先が長いということが、不安を呼び、死を意識させるからであろう。ここでは、「救済の哲学」を著しながら、30歳代で自死したマインレンデルというドイツの哲学者の存在を紹介している。森鴎外や芥川龍之介も彼について書いていることが引用によって示されている。しかし、菊池寛や広津和郎など同時代の他の作家たちは、名前だけは知っている程度だという。自分が興味を持ったのは、菊池寛の著書「日本文学案内」(昭和13年)を持っていからだ。そこに作家になるための必読書として、作品と作家示されている。その海外作家の部分に、現在では読まれていない作家が幾人かいる。菊池寛が、なぜ、その作家を重要視したか、その背景を調べることを考えている。菊池寛は、同書のなかで、「文学には危険性もある」としている。しかし、それがどのようなものかは言及していない。案外、ここに記されたマインレンデルのような作家のことかも知れないと、想像力をかきたてるものがある。
発行所=〒567-0064大阪府茨木市上野町21番9号、大原方。「日曜作家」編集部。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年11月 9日 (金)

綾辻行人氏が受賞ー第22回日本ミステリー文学大賞

 第22回日本ミステリー文学大賞が10月31日に発表され、作家の綾辻行人さんに決まった。また同賞の特別賞には文芸評論家の権田萬治さんが選ばれ、新人賞に辻寛之さんの「エンドレス・スリープ」が選ばれた。贈呈式は、来年3月22日、東京・内幸町の帝国ホテルで行われる。「日本ミステリー文学大賞」は、光文文化財団が主催する賞。ミステリー文学の発展に寄与した作家や評論家に贈られ、受賞者には正賞のシエラザード像と副賞の賞金300万円が与えられる。
綾辻行人 - Wikipedia

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2018年11月 6日 (火)

文芸同人誌「私人」96号(東京)

【「啄木のDNA」根場至】
 作者が56歳の時に、彼の父は91歳でなくなっている。風呂からあがって、鏡をみると、そこに父親が立っているように見える。意見のあわなかった父親に似てきているということだ。その父親は山好きで、別荘を購入していて、そこで石川啄木を愛読していた古びた歌集がみつかる。山好きと啄木好きは、父親と同じであった。啄木を通して、感性の血筋のようなものを実感するが、その歌集も今はどこかに姿を消してしまっている。感慨に同感できるものがある。
【「ロッテルダムの味噌汁」根場至】
 作者が家族と一緒に六年間にわたり欧州のロッテルダムに住んでいた時の話。そのなかで印象的だった隣人のシャインフェルド家の一家と交流をかたる。その隣人は、ユダヤ人であった。ナチス時代には迫害をうけたらしく、なかなか用心深い生活ぶりを、観察眼を良く働かして描く。食べ物も豚肉、エビ、烏賊、牡蠣などは宗教上のタブーで食べないのだという。彼らが、」イスラエルに住むというので、お別れの食事を提供する。ユダヤ教のタブーに触れない食材を選ぶ話は、海外生活の普通でありながら、スリリングな気配りの環境が良く描がかれている。
 ユダヤ教は、キリスト教の元祖で、ユダヤ教は救世主がまだこれから現れるとするのに対し、キリスト教はすでにイエスが救世主として存在しているとされる。米国ではユダヤ人は差別の対象であるが、トランプの婿はユダヤ教のようだ。米国は宗教と政治が複雑な関係になっているようだ。
【「ロングフライト」えひらかんじ】
 世界を飛び周る仕事をしているために、各国の空港と飛行機の関係が面白く語られる。優れたエッセイといえるであろう。自分のように語学力がなく、平凡な社会人にとっては、目をみはるような海外の情報に満ちている。
【「桜子の恋」みやがわ芽生】
 現代における古風なロマン味を残した味わいある恋愛小説である。読んでいて、忘れがちの愛の姿が基本が具体化され読んでいて楽しい。もともと小説を書く人の第一の動機は読者を楽しませようという意図が大きな動機のひとつである。これを大衆小説とする。その一方で、人間的存在の不完全や内面の闇を追求するのが、純文学としている。時に、読んで気分が悪くなることもあるのが、純文学である。ただ、本誌は小説教室の学生の習作集とも読めるので、様々な試みを期待したい。
【「赤い眼鏡」成田信織】
 多津は、夫を亡くしてから70代でヒッタイト語を学習し、82歳になる現在でも、学習している。そのため高齢者の学ぶ姿勢についてテレビ局の取材を受け、放送された。
 それ視たという男から手紙をもらう。読んでも見知らぬ人という印象であったが、じつはまだ男女交際の不自由な時代の昔に、はじめて男を意識し、恋心をもったころの男であった。彼女は、ある抵抗感をもちながら、同時に心ときめかす。彼の誘いに応じて、一度は素敵なデートをするが、今は亡き夫のことなどを想い、そこで交際をやめることにする。
 誰かが書きそうで、なかなか書かれないテーマと手法でそれを描く。こういう心の持ち主だからあされる。同時に、愛にこそ人間の心のときめきがあることを示す好短編であった。
【『河出書房』を語る三著・佐久間文子『「文藝」戦後文学史』、田邉園子『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』、藤田三男『楱地和装本』尾高修也】
 河出書房といえば、経営難の連続でありながら、多くの名作を生み出した文芸史の脇役というべきか。自分は、1960年代、河出書房が倒産し、その倉庫に山積みされている場所に行ったことがある。大判の箱入り豪華本を勝手に手によって読んでいた。隣に水道橋能楽堂があって、配管工事改修のバイトに通っていたのである。工事のため能楽堂と倉庫の仕切りがなかったのである。もしかしたら、そこに古山高麗男がいたのかも知れなかった。とにかく、想いの吹き上がるような懐かしいものである。
発行人=〒346-0035埼玉県北本市西高尾4-133、森方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年11月 4日 (日)

ブログの構造改革と投稿法の学習結果を試す

スマホとSNSの普及によるためであろうか、ブログの操作構造改革が必要になってきたようだ。文字伝達を中心とするためPCだけしか利用しない自分には、操作手順や設定項目が変わるのは、慣れた手順が変わり新しい操作法を覚えるのに、難渋するし面倒である。とくに写真の掲示に変化があると、大変困る。
  もともとネットの書き物は、フェイクか事実かが見極めにくい。そこで、テキスト中心といえども、それが他人のコピーか、自らの見聞記か見分けができるようにしないとならない。だからその証明として写真が必要なのである。たまたま。土曜日に平和島に行った。 《「OTAふれあいフェスタ」2018=東京・大田区
  それをブログの写真を載せようとしたら、投稿前に「11月で旧式の投稿法はやめます」という意味の傾向が出た。これまで、旧式しか使っていなかったので、新手法は知らない。そこであわてて写真の掲載を試したが、従来通りにはいかない。いろいろな大きさの写真になってしまった。

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2018年11月 3日 (土)

原発作業員の環境と人手不足

  トイレなきマンションとされる原子力発電所であるが、福島原発以前から、そのメンテナンス人員は不足していた。そのため、普通の職人さんに事実を隠して、作業を行っていた。そうした事情を調べた小説が10年以上も前に書かれている。《参照:原発作業員の不足がもたらす隠匿出来事とその周辺(1)》
 原発の地下道(トレンチ)は複雑な配管が張り巡らされており、福島原発事故も津波ばかりが問題にされているが、その前に配管の損傷があったのではないか?と国会の事故調査委員会が調査を提言しているが、それは行われていない。つまり、損傷があったので調べないということであろう。
 原発事故の発生についても、井上光晴なども未来小説にしているらしいが、予言の作品であるが、それは人々に広く広まることはない。プラント工場の事故は自然災害だけでなく、人為的なミスでも起こるので、今後も起きる可能性がある。台湾の列車脱線事故も、人為的なミスであった。
 現在、単純労働への外国人の受け入れが閣議決定されたが、原発作業員として知らずに配置される可能性もある。国連では福島の原発作業員への被曝の危険に警告している。

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2018年11月 2日 (金)

文芸時評10月(東京新聞)三国美千子、須賀ケイ=佐々木敦氏

  一部抜粋=まず新潮新人賞の三国美千子「いかれころ」(『新潮』11月号)は、昭和五十八年、ということは今から三十五年前の大阪、河内で農業で生計を立てている旧家を舞台に、当時四歳の奈々子の視点から、家族や親族のさまざまな相克が描かれる。
  情景や人物の動作の描写が瑞々(みずみず)しくも丁寧なのが好ましい。しかし四歳の幼女にここまで見えているのか、言葉に出来るものかと思っていると、途中から奈々子の視線に数十年が経過して中年女性となった彼女の視線が紛れ込んできて、ああそうだったのかと腑(ふ)に落ちる。ノスタルジックな作品のように見えて、作者は現在を生きている。
 欲を言えばもう少し、この設定が壊れてしまうほど危険なところまで踏み込んでしまってもいいのではと思う部分もあった。まだ自分の小説の世界に対して遠慮がある。次作ではもっと思い切って、この作品に明らかに潜在する死や狂気に迫ってほしい。
  不思議な偶然だが、すばる文学賞受賞の須賀ケイ「わるもん」(『すばる』11月号)も、幼い子供の視点から書かれている。こちらはもっと徹底していて、読者は幼稚園児の「純子」の視界と思念を通してしか物語の内実を知ることが出来ない。純子には鏡子と祐子という年の離れた姉がいる。
《参照:三国美千子「いかれころ」 須賀ケイ「わるもん」 佐々木敦》

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2018年11月 1日 (木)

赤井都~アラブへ豆本の大冒険号~

  国際ブックフェアへ行ってきます!ゲストとして招待されました!
  アメリカから帰ってきてから、メールをいただき、日本が今年のブックフェアの招待国になったので、応募してみませんかとのこと。世界で三番目に大きなブックフェアで、入場者数などのデータも一緒にいただいたので、すっかりやる気を出して、しっかりと応募しました。審査の末、ワークショッププレゼンテーターとして招待されました。飛行機、ホテルでの滞在などが提供されます。5日間、子供向けの豆本ワークショップをします。
  
  女性や子供さんや家にいる時間が長そうなので、手作りのクラフトものは、きっと需要があるに違いない。
教育熱心なら、きっと本づくりは受けるに違いない。体に気をつけて、無理をせず、行ってきます。
  向こうでは着物姿でワークショップをします。そして、豆本がちゃぽんが、NHK Kawaii Internationalに取り上げ
られます。放送はパソコンやスマホでも見られるのでぜひ見てみて下さい。私は本放送の間は、ドバイの隣のシャルジャにいます。
言壺サイト)2018.10.2 No.151=アラブへ豆本の大冒険号~
<放送タイトルと日時>
放送回:#95『Next-Gen Magazines: These Are ZINEs!』本放送:11月2日(金)9:30,15:30,22:30,27:30 (28分番組)再放送:11月16日(金)9:30,15:30,22:30,27:30※世界各国の時差対応で1日に4回放送されます
※上記の時間は全て日本時間です
<放送の視聴について>
NHK World(※海外向けのNHKチャンネル、全編英語放送)におけるライブストリーミング放送で日本でも視聴が可能です。
NHK Worldホームページ・・・http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/index.html国内ではオンラインでのストリーミング視聴が可能となっておりますので、放送時間に上記URLにアクセス頂き、サイト右上の「Live」という部分を
クリックして頂ければご視聴頂けます。
Live配信ページ・・・https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/live/
上記のURL先からですと直接Live配信ページに行くことが可能です。
<見逃し視聴サービスについて>
 本放送日終了後から、オンデマンドサービスにより番組ホームページでも視聴が可能となります。
Kawaii Internationalホームページ・・・http://www.nhk.or.jp/kawaii-i/
トップページ上に写真サムネールがあり、その中にムラサキ色の再生マークがあります。
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