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2018年11月 2日 (金)

文芸時評10月(東京新聞)三国美千子、須賀ケイ=佐々木敦氏

  一部抜粋=まず新潮新人賞の三国美千子「いかれころ」(『新潮』11月号)は、昭和五十八年、ということは今から三十五年前の大阪、河内で農業で生計を立てている旧家を舞台に、当時四歳の奈々子の視点から、家族や親族のさまざまな相克が描かれる。
  情景や人物の動作の描写が瑞々(みずみず)しくも丁寧なのが好ましい。しかし四歳の幼女にここまで見えているのか、言葉に出来るものかと思っていると、途中から奈々子の視線に数十年が経過して中年女性となった彼女の視線が紛れ込んできて、ああそうだったのかと腑(ふ)に落ちる。ノスタルジックな作品のように見えて、作者は現在を生きている。
 欲を言えばもう少し、この設定が壊れてしまうほど危険なところまで踏み込んでしまってもいいのではと思う部分もあった。まだ自分の小説の世界に対して遠慮がある。次作ではもっと思い切って、この作品に明らかに潜在する死や狂気に迫ってほしい。
  不思議な偶然だが、すばる文学賞受賞の須賀ケイ「わるもん」(『すばる』11月号)も、幼い子供の視点から書かれている。こちらはもっと徹底していて、読者は幼稚園児の「純子」の視界と思念を通してしか物語の内実を知ることが出来ない。純子には鏡子と祐子という年の離れた姉がいる。
《参照:三国美千子「いかれころ」 須賀ケイ「わるもん」 佐々木敦》

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