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2018年10月 4日 (木)

文芸時評10月(産経新聞)石原千秋氏

  坂上秋成「私のたしかな娘」(文学界)は、本名は由美子なのに「エレナ」という名を付けた知人の娘と、いや、彼女は「自分の娘だ」と感じる、エレナと名付けた34歳の神谷との奇妙な関係を書いた小説で、その隠微な感じがいい。しかし、それは冒頭近くでもうわかってしまう。「スカートの下に伸びる陶器のように白い脚が他人の情欲を刺激することは十分に考えられた」とあるからだ。この「情欲」が、こう想像する神谷のものであることはあまりにも明らかだからだ。ちょとばかり種明かしが早すぎたように思う。
 金原ひとみ「アタラクシア」(すばる)は新連載だから内容には触れないが、最後はこれでいいのだろうか。「レジ袋を持って半歩先を歩く俊輔の斜め後ろを歩きながら、空を見上げる。何やってるんだろう。私の疑問に答えるように、星たちが小さく瞬いた。」と終わるからだ。そして「つづく」となる。短編ならこれでもいいと思うが、まだ続くのに星が解答してはまずいだろう。最後の一文はいらない。それで読者は、「何やってるんだろう」を一緒に考えてくれるのではないか。
 最近の「連続テレビ小説」はおばあさんの役割が大きくなっているなと漠然と感じていた。トミヤマユキコ「おばあさんがヒロインになる時-現代老女マンガ論」(すばる)を読んで合点がいった。もちろん家庭や親戚のおばあさんと一人でキャラが立つマンガのおばあさんとではテイストは異なるが、いまはまちがいなくおばあさんの時代なのだ。ただ、トミヤマユキコのキャラは斎藤美奈子とまるかぶりではないかな。
《参照:産経新聞=文芸時評10月号 早稲田大学教授・石原千秋 おばあさんの時代》

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