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2018年10月21日 (日)

団塊の世代の全共闘と全学連「文芸思潮」第70号より。

 日本経済を繁栄させたのが昭和22~24年(1947~1949)ごろの第1次ベビーブーム時代に生まれた世代である。他世代に比較して人数が多く彼らの存在が、消費活動やインフラ整備に経済を好景気に導きバブル経済で終了を遂げた。雑誌「文芸思潮」では、「全共闘の時代とその闘い」をテーマに、五十嵐勉編集長が1968年に中央大学に入学した秋生騒氏に、その時代学生闘争を聞いている。
 ここに語られているのは70年安保の時代のことで、60年安保で、日本対米従属が決まり、その時点では、戦後独立の精神の終わったことを確認できる時代になっていた。
 市民社会というなかで、国家を防衛するのに自ら参加するという原則から外れ、国民が他国に防衛を依存するということを決め、その社会負担が経済的に有利に働いた結果、高度経済成長時代に入ったわけである。現代は、その果実をアメリリカに返せといわれている訳である。
そういう背景における段階現象として面白く読める。
 世代が異なると、物事の歴史的な意味を知らない人が増えるので、本誌の記事でもそのことを明確にしないと、現在の沖縄基地問題も理解が出来ないことになうる。
 《参照:重信房子さん、がんの手術「変革の意志を強く持てば、希望が育つ」の言葉も=東京
重信房子さんは「パブリック・ジャーナリスト宣言。」をこう読んだ
北の丸公園に散る桜!観照する2012年     

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2018年10月17日 (水)

放送を語る会のモニターを知る

  自由報道協会主催の「放送を語る会」のモニター結果の話をきいた。《参照: 「放送を語る会」が米朝首脳会談報道のモニター報告》。どうも、メンバーはかつて放送業界にいた人たちらしい。専門家の見る視線が興味深いが、モニター対象となった番組が、報道専門番組らしいとわかったことが有意義であった。
 ここでは、文芸情報の収集をしているが、そのうちにメディアリテラシイ―の問題が意識に上がるようになった。こうした公共放送局は、国の認可制なのである。文芸作品はそうした認可を受ける必要がない。その強みを生かすことを考えたいものだ。

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2018年10月16日 (火)

文芸同人誌「澪」第12号(横浜市)

 本誌のドキュメントと映画評論は≪「自然公園生態系レポート3植物編」鈴木清美≫の記事にした。ここでは創作について紹介する。
【大人の童話「ねこのくる日々 三夜(最終夜)」片瀬平太】
 若者が引きこもりの生活から脱出し、再生の生活をする。文体が軽快で、読みやすく的確。リズム感がよく、普遍性をもつのではないか。
【「行列」衛藤潤】
 行列することの多い日本社会を風刺するもので、ここでは幾日も行列が続く現象を追及するが、何のために行列をしているのか、判らないまま話と論理が述べられるのが、可笑しみのあるところ。それが現代の社会批判になっているようだ。
【「扉の向こうに」鈴木容子】
 これは、コミック雑誌を発行する会社の女性編集員の「私」によって語られる職場の状況である。正社員とバイト員の関係。両親のいる自宅から通うが、編集業の長時間労働で、会社に泊ってしまうことが多い。そこで、会社の近くの安アパートを借りてみるが、実際にそこに寝泊まりすることがなく、契約を解除する。自分は昔のライターだったので、専門新聞社や経済雑誌、機関誌の編集をしていたが、とにかく裁量労働制で長時間勤務は当然であった。現代のマンガ雑誌でもそれは同じであるらしい。ただ、働く意識に関する部分は、かなり異なる。社会構造の変化で、現在の若者たちの立場と意識がわからないので、興味津々で読んだ。リアリティがあり、今はそうなんだーーと情報としても感心して読んだ。
発行所=〒241-0831横浜市旭区左近山157-30、左近山団地3-18-301。文芸同人誌「澪」の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年10月15日 (月)

紗倉まなさんデビュー作「春、死なん」 鋭いまなざし

一般に小説を書く場合、自分よりも年少の人物に視点を設定したほうがハードルは低いといわれる。年長の人物を描くと、どうしても人生経験の浅さが文章の端々に出て、人物像が薄っぺらくなってしまうからだ。25歳の若い女性がはるかに年上の男性を描く。その心意気に感心しながらページをめくっていった。
《産経10月15日: 紗倉まなさんの文芸誌デビュー作「春、死なん」 生と性と死に寄せる鋭いまなざし

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2018年10月12日 (金)

女優・松井玲奈氏の小説『拭っても、拭っても』を「小説すばる」に

女優の松井玲奈 (27)が、自身初の短編小説『拭っても、拭っても』を執筆し、集英社の文芸誌『小説すばる』11月号(17日発売)で小説家デビューすることが12日、わかった。
 デビュー作は、広告代理店に務めるアラサー女性・ユリが主人公。半年ほど前まで変わった癖(へき)を持つ男性と付き合っており、理不尽にフラれたことが心の傷になっていたが、小さな、しかし確かな希望を持って前を向くまでの物語がユーモラスかつ切実に、瑞々しい筆致で描かれる。
 20日発売の読書情報誌『青春と読書』11月号では、はじめての小説執筆に関する松井のエッセイも掲載。自身の幼少期の思い出から始まり、小説のテーマを考えたプロセスなどをつづっている。
 『拭っても、拭っても』の試し読みは、17日午前10時に『小説すばる』公式サイトに掲載。松井は今後も同誌で執筆する予定となっている。
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2018年10月11日 (木)

放送の受け止め方、リテラシーを考える

 自由報道協会が10月16日、「第1回米朝首脳会談についての日本のテレビ報道の問題点を考える〜第2回米朝首脳会談の前に〜」というテーマで、報道を語る会の記者会見を行う。
ーー 10月末〜11月にかけて実施されるといわれている米朝首脳会談。それを前に、今年6月に行われた米朝首脳会談を日本の各テレビ局がどのように報じたのかを「放送を語る会」などがモニター調査した。同会談の歴史的意義、安倍政権の姿勢はどのように報道され、会談に対する国内外の世論や識者の意見、見解などは広く紹介されたのか。調査からわかった問題点と第2回会談に向けたテレビ報道への期待を報告する。ーー放送されることが、すべて重要事項ではなく、自分にとって、何が重要かを考えて情報を得る必要がある。
 自由報道協会というのは、あまり活発でない記者会見をする場を提供している。そのためか、放送メディアでは、ここの記者会見の実施をHPで流すと、それを先取りした意見を述べることがしばしばある。先日のBSTBSとBSフジでは、似たようなテーマで、トランプ報道の米国と日本の比較をしていた。ネタに困っているのかも知れないが。
 会見には物書き一般人も申し込み参加できます。
 事例記事=谷川俊太郎「真実・事実・現実 あることないこと」が主題歌に

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2018年10月 9日 (火)

地球温暖化と住まいの省エネの工夫の足りなさ

 (公財)自然エネルギー財団のイベントに出席した。《脱炭素化に向かう建築・住宅で シンポジウム》新しくできた東京ミッドタウン日比谷が会場で、すごく先進的なビルで驚かされた。それはともかく、この主催の財団がソフトバンクの孫正義社長の出資でできたことを思いだした。意外と地道、社会貢献ををする金持ちだと改めて畏敬した。またその運営の活発なのも頼もしい。
 そこでのエイモリ―・B・ロビンス氏の基調講演によると、発想の転換で安く持続可能な建物がデザイン力があれば可能だとか。いずれにしても、温暖化による災害が世界に広がり、貿易関係の情勢変化があるであろうと予測している。

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2018年10月 8日 (月)

亡き伊藤桂一氏(直木賞作家)と同郷のシャンソン歌手橘妃呂子

  四日市出身の直木賞作家伊藤桂一氏(故人)と同郷なのが、シャンソン歌手の橘妃呂子氏《参照:シャンソンで真の恋心を唄う(10/26)》
である。「伊藤桂一先生を囲む会」というのがあって、四日市出身ということで、彼女に歌ってもらったことがある。自分の親友の一周忌でも墓参に同行してもらったことがある。感謝である。また、障碍者のチャリティを企画した団体に協力した時に、コンサート席で議員の海江田万里氏と隣席になり、それ以来マールマガジンをもらうようになった。今年はコンサートに出たいが、商業的活動をしていないのに多忙になって、当日にならないと行けるかどうかわからない。

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2018年10月 4日 (木)

文芸時評10月(産経新聞)石原千秋氏

  坂上秋成「私のたしかな娘」(文学界)は、本名は由美子なのに「エレナ」という名を付けた知人の娘と、いや、彼女は「自分の娘だ」と感じる、エレナと名付けた34歳の神谷との奇妙な関係を書いた小説で、その隠微な感じがいい。しかし、それは冒頭近くでもうわかってしまう。「スカートの下に伸びる陶器のように白い脚が他人の情欲を刺激することは十分に考えられた」とあるからだ。この「情欲」が、こう想像する神谷のものであることはあまりにも明らかだからだ。ちょとばかり種明かしが早すぎたように思う。
 金原ひとみ「アタラクシア」(すばる)は新連載だから内容には触れないが、最後はこれでいいのだろうか。「レジ袋を持って半歩先を歩く俊輔の斜め後ろを歩きながら、空を見上げる。何やってるんだろう。私の疑問に答えるように、星たちが小さく瞬いた。」と終わるからだ。そして「つづく」となる。短編ならこれでもいいと思うが、まだ続くのに星が解答してはまずいだろう。最後の一文はいらない。それで読者は、「何やってるんだろう」を一緒に考えてくれるのではないか。
 最近の「連続テレビ小説」はおばあさんの役割が大きくなっているなと漠然と感じていた。トミヤマユキコ「おばあさんがヒロインになる時-現代老女マンガ論」(すばる)を読んで合点がいった。もちろん家庭や親戚のおばあさんと一人でキャラが立つマンガのおばあさんとではテイストは異なるが、いまはまちがいなくおばあさんの時代なのだ。ただ、トミヤマユキコのキャラは斎藤美奈子とまるかぶりではないかな。
《参照:産経新聞=文芸時評10月号 早稲田大学教授・石原千秋 おばあさんの時代》

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2018年10月 3日 (水)

文芸同人誌「砂」の活性化をはかって以来

  一度は休刊宣言間をした同人誌「砂」(文芸同人「砂」の会)であるが、活性化に向けてから、とにかく原稿がないので、寄稿しないことには、と伊藤がこれまで取材してきたものをドキュメントの形で寄稿している。また、新会員や休眠会員が参加してきた。今回の138号の発行日は9月10日になっているが、届いたのが9月末である。取材する都合もあるので、発行は予定通りにしてほしいものだ。「いつ出るかわからにけれどもーー」というのでは、話も聞けない。それを回避するためにブログ記事の応用ですましている。
 取材記録を重視した文芸同人誌は「文学フリマ」では、とくに目新しくはない。病院もの、書店ものなど専門分野でそれぞれ現状報告をしたものがある。
 「砂」の場合、大田区の町工場である。話題性としては、近く「下町ロケット」のドラマもリメイクでTVドラマ化されるらしい。NHKの下町ロケットの工場は、多摩川沿いにある桂川精螺製作所の広大な工場をロケにしていた。しかし、同社は工場を静岡に移転させて、研究所を立てた。さらに、残った敷地は持ち主がマンション用地にしたらしく3年がかりで工事中になった。新ドラマでは、どこの工場を借りるのであろうか。

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2018年10月 2日 (火)

文芸時評10月(東京新聞9月26日)佐々木敦氏

《参照:石井遊佳「象牛」 坂上秋成「私のたしかな娘」 古川日出男「ローマ帝国の三島由紀夫」 佐々木敦
 『新潮』10月号で古川日出男が長編戯曲「ローマ帝国の三島由紀夫」を発表している。同誌は野田秀樹や岡田利規、神里雄大などの戯曲を随時掲載してきたが、舞台化の決まっていない純粋な書き下ろし戯曲、それも小説家の筆による戯曲は非常に珍しい。古川には『冬眠する熊に添い寝してごらん』という戯曲があるが、これは故・蜷川幸雄の演出によって上演されることが前提だった。だからこれはかなり貴重な試みだと言っていい。
 「戯曲」も「文学」の一形式である。かつての文豪はしばしば戯曲に取り組んだものである。その最大の存在こそ三島由紀夫であり、古川は大胆にも「ミシマユキコ」を舞台上に登場させる。破格のスケールの小説を次々と書いてきたこの作家は、戯曲でもあっさりと時空を超えてみせた。

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2018年10月 1日 (月)

文芸誌「樹林」2018(AUG)Vol.643(大阪市)

 本誌は、大阪文学学校の機関誌でもあり、生徒の作品発表の場であるようだ。作家研究の資料は、ひとつが見つかると、次々と関連情報が発見される事例であろう。この事例としてー安芸宏子「三島由紀夫『潮騒』の新資料発見などについての報告」】につては、「三島由紀夫「潮騒」の新資料発見記(安芸宏子)=「樹林」ーにジャーナルとして紹介した。 これはどうも、あとから出てきた資料のきっかけとなったようだ。
【「小説友達」藤本紘士】
 横浜市にある小さな出版社主催の文学賞を受賞した「私」は、その1日前に、尼崎市から東京の京浜蒲田にやってくる。この町にはかつて「黒猫」という男性老作家の朗読会をするバーがあった。それが現在でも続くいているという。そこで、「私」そこに再び脚を運ぶ。そこで文学好きの仲間のような男と知り合い、「私」の文学的な好みなどが語れる。地名の実在するものであるのに、日本人作家の名称はなく、フィクションとしてのスタイルであることがわかる。なかで、ゲーテ「詩と真実」のなかで、上流階級が芸術活動に精進すると、非常に栄誉に包まれた一生を送ることができるが、中流より下の人間が芸術に身を捧げると、悲惨と迫害の生涯となる」と書いているらしい。階級社会の浸透した欧州らしい話として面白かった。文学カルチャーのオタク化へ向かう、ひとつの流れを感じさせる作品。
【「贋夢譚」稲葉祥子】
 あなたは何のために日本に来たのですかーーというフレーズで始まり、外国人の日本での生活のギグシャクしたところを描き、そして、実は人間がこの世に生まれきたことへの違和感へつなげて、母親の胎児にもどるような話になっている。
【「ランドルト環」岡田智樹】
 うなぎのタウナギが、水希という人間になっているという、馴染みの薄い設定の話。このような擬人化は、昔からあるが、この書き方であるとイメージ的にまとまって受け取りにくい。マジックリアルズム系のような語りかたと表現が通じる時代になったのあろうか。
【「小説の生まれるところ」染谷庄一郎】
 個人的メモ、買い物レシート、日記、エッセイの書きかけなどを並べまくる。作者は小説を書こうとしているーーそのドキュメントにも読める。創作には自己表現の意欲が含まれるが、その一つの姿に読める。
【連載講座「小説表現の基本」奥野忠明】
  小説と小説ではないものの区別の基準になる点などが、わかりやすくルールになる事例が説明されている。同人雑誌の作品には、小説やエッセイの区別がつかないものや、文字認識とコミック、映像の認識の違いの混在したものが少なくない。前衛といわれればそれまでだが、ある程度は鑑賞側のもつ共通認識に沿ったルールに従った方が良いようにと思わせる。
発行所=〒542-0012大阪市中央区谷町7-2-2-305(新谷町第一ビル3F)、大阪文学学校・葦書房。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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