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2018年10月30日 (火)

文芸同人誌「あるかいど」65号(大阪市)

【「左手のストーン」木村誠子】
 ピアニストが、演奏力の芸術性を追及する話である。話は主人公の「僕」の音楽の芸術性の追及がテーマであるが、それはともかく、ピアノ演奏の心に訴える力を文章によって想像させられる音楽的個性。自分にはそれが素晴らしく表現力に富んでいるように読めた。なによりも、自分は慢性の耳鳴りが始まって長い。耳鼻科で検査したが高音の聴力が劣化しているだけで、問題にするほどでない、といわれている。実演奏には、不向きな聴力であるが、想像力でイメージを作れる。その点で、この表現力に関しては、作者の才気がよく発揮されている。文章力の発揮できるエリアを広げて見せたよい事例であろう。
【「いつかニライカナイへ」泉ふみお】
 沖縄の伝説的な幸せな神の世界をニライカナイというようだ。沖縄のじいちゃんの話からはじまり、沖縄の美しい風光を描く。ワタルがそのニライカナイに近い沖縄を彷徨し、そのなかの迫害されて血に染まった時代を記す。沖縄の方言が効果的で、リズムのよいテンポで話が進み、美的な感興が味わえる。
【「焼け跡のフィナーレ」高畠寛】
 作者は80歳だという。敗戦で焼け野原になった大阪の復興の生き証言である。自分は、76歳で、作者より4才若いだけだが、そこに起きている社会的、文化的出来事は、東京の羽田に住んでいた頃のものと、あまり変わらない。京浜工業地帯で徹底的に米空爆にやられたせいか、中学校の近くに高射砲陣地の残骸のコンクリートが、幾つも並んでいた。
 読み物で、江戸川乱歩の「金銀島」があったそうだが、こちらは野村胡堂とか南洋一郎や高垣眸や海野十三などの読み物が、戦前の残りや、紙質の悪い再販本で読んだ。このように年下の自分の記憶と重なるのは、この時期はすべてが焼けて、社会文化の停滞があったので、あろう。我々の世代は、読書でも戦前の焼け残った読み物を読むしかなかったのであろう。また、朝鮮戦争の頃の話もあるが、東京の町工場の前を通ると、大忙しで鉄製の羽根の付いた弾丸を量産し、工場の中から道端に転がり出たのを拾った記憶がある。こんなものを空からバラ撒かれたら朝鮮人兵士もたまらんだろうと、痛ましく思った。本作は、同時代に生きた人間の記憶の様々を呼び起こす、心の揺れる回顧録である。
【「山寺にて」奥畑信子】
 お寺で父親の33回忌をするかどうかの話であるから、かなり年配の人たちの話である。血縁の知られざる不思議な関係を述べる。心穏やかな平和な心境での話である。これだけ血縁関係の濃い時代は終わっている。
【「サソリのタトウー」向井幸】
 幼稚園の時代から一緒だった拓也と「私」は、青春時代に恋心を抱くようになる。ところが拓也はアイドル的なミュージシャンとして世に出る寸前である。そのため、愛の心の交流を抑えてしまう関係を描く。幼稚園時代から語る必要があるか、とも思うがそれが恋心のもどかしさかと、今風でありながら変わらぬ女心が理解できる。
――その他の作品も目を通したが、例えばクリスチャンの話のものには、現在の日本におけるハローウィンの祭りの存在のいきさつや、祖母の生活を思い出すのは何故なのかなど、平和への認識の確認なのか? などの疑問について思いめぐらすことがあった。
発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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