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2018年9月30日 (日)

西日本文学展望「西日本新聞」9月27日(木)朝刊茶園梨加氏

題「老い」
水木怜さん「虹の輪」(「照葉樹二期」14号、福岡市)、木澤千さん「初恋の贈り物」(「第七期九州文学」43号、福岡県中間市)
中野和久さん「出島甲比丹」(「第七期九州文学」43号、福岡県中間市)、都満州美さん「安楽荘」(「海峡派」143号、北九州市)、近藤乾さん「最後のごめんなさい」(「照葉樹二期」14号、福岡市)
椎窓猛さん『気まぐれ九州文学館』(書肆侃侃房)より野田寿子さん「改姓」
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2018年9月29日 (土)

文芸同人誌とクラウド的な「ヴァイナル文学」

  東京キララ社が「街」をテーマとした「ヴァイナル文學選書」シリーズを刊行するという。ある「街」をテーマに、その街でのみ流通する文学シリーズ「ヴァイナル文學選書」の第1弾として、「新宿歌舞伎町篇」を4点同時刊行する。石丸元章、海猫沢めろん、漢 a.k.a GAMI、菊地成孔の各氏が新宿歌舞伎町をテーマに掌編小説を書き下ろし、新宿区内の書店でのみ流通する。本体は各1000円。
 そうなると、合評会をするために地域限定的な文芸同人誌という存在は、」どういう立場になるのか、注目である。

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2018年9月28日 (金)

日本近代社会の独立国精神と植民属国精神の文学

 なんだかんだと言っても、日本の昭和期前半の帝国主義的行動は、前提に独立国であり、それゆえに侵略国になった。侵略しないでいたら正しい独立国であった。現代は、侵略国であったことを反省する。同時に、それは独立国でなく、他国に防衛を頼む植民属国の立場である。その点だけをみれば、現在の日本はゆがんだ状況にある。本来はどうあるべきか、それを菊池寛の思想に読み取りたい。そんなことを考えながら「近代(モダン)文学の原理」を進めている。

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2018年9月27日 (木)

「週刊金曜日」の社長に植村隆氏(60)

  「週刊金曜日」の(株)(東京都千代田区)は26日、株主総会と取締役会を開き、元朝日新聞記者で韓国カトリック大学客員教授の植村隆氏(60)が社長兼発行人に就任する同日付の人事を決めた。北村肇社長(66)は任期満了で退任した。(産経ニュース)=「週刊金曜日」発行の「金曜日」社長に植村隆氏
 戦記物作家などの作品から実相をみると、軍部の都合で強引に慰安婦にされた事例が多いのがわかる。仁保人もアメリカに占領された時に、自国民の女性にウソの広告をだして慰安婦にした。その時に米国は黙認した。
 つまり、軍隊と慰安婦はセットになっている。現在でも僧のような地域はある。国連は現代において、世界各国の慰安婦の存在を批判すべき。
 日本は、戦時中の慰安婦問題の反省として、罪滅ぼしに世界中の慰安婦の救済基金を各国から募集すべきではないのか。

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2018年9月25日 (火)

相撲のプロ興業の団体はいくつもあった方が良いのでは

  貴乃花が相撲協会を引退するらしい。格闘技のプロの団体は、プロレス団体が、各地にある。プロボクシングは世界にいくつも団体があって、チャンピオンが沢山いる。
  プロ相撲団体も、いくつもあっても良いはずだ。先場所などは、横綱がいなくても満員であった。だいたい、相撲は明治天皇が特別に髷をすることを例外にしたほど、神道の競技であったのに、その伝統儀式でなくなっている。そのことを知らない力士もいるだろう。
 もともとは横綱はいなかったし、神に力技を見せるものであった。その精神に立ち返った本相撲の団体があってもよいのでは。参加者の相撲取りは、たくさんいる。新弟子試験に落ちた人や、協会から不祥事力士と決めつけられ力士、引退したがまだやりたいひとなどで興業を組んだら、成立するであろう。地方創生の活力にもなる。
 なにも、内閣府と協会の利権者だけの独占組織の形式を真似る必要はない。

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2018年9月23日 (日)

ポストモダンはモダンの立ち技から寝技に

 菊池寛の「日本文学案内」を批評の対象とした《 「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)》を書いた。この対象とした原本は、菊池寛が当時に雑文としてあちこちに書いたものを集大成したものであろう。
 雑誌に書いていた文学に関する価値論も入っている。
-- 私の理想の作品と云へば、内容的価値と芸術的価値とを共有した作品である。語を換へて云へば、われわれの芸術的評価に、及第するとともに、われわれの内容的価値に及第する作品である。
 イプセンの近代劇、トルストイの作品が、一代の人心を動かした理由の一は、あの中に在る思想の力である。その芸術だけの力ではない。芸術のみにかくれて、人生に呼びかけない作家は、象牙の塔にかくれて、銀の笛を吹いてゐるやうなものだ。それは十九世紀頃の芸術家の風俗だが、まだそんな風なポ-ズを欣んでゐる人が多い。
 文芸は経国の大事、私はそんな風に考へたい。生活第一、芸術第二。 (菊池寛「文芸作品の内容的価値」・大正十一「新潮」)--

 特徴的なのは、文壇での主張に事あるごとに、反論や批判ができることであろう。彼の著作を読んでいると、ヘーゲルの社会の歴史的発展段階論の影響がある、と気づいた。だから、現代と大きく変わる意見ではないが、どこか古い。それは、人間の認識力は間違わない、という前提があり、作家たちがそれを確信していたふりをしていた時代だからであろう。
 しかし、その時代、菊池寛が発見して世に出した横光利一などが「機械」という作品を書き、語り手の「私」がどこか変ではないかのかと思わせる、または会社の経営者や社員があおかしいのか、そういう語り手が幻想をみているような視点で物語で進む。いわゆるポストモダンのメタフィクションを展開してるのである。j柔道で立ち技ばかり気にしていたが、寝技もあったと気がつくようなものだ。

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2018年9月22日 (土)

「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)の販促のために

  「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)の販売は、ほとんど文学作品のフリーマーケット「文学フリマ東京」であるが、販売当初はネットを見て、購入もあった。その後の、購入者や問い合わせ者の反応のなかで、これで菊池寛のことが、ほとんどわかるのか? など、結果的に「菊池寛の思想をもっと知りたいということらしい」と感じた。そこで、評論の対象とした菊池寛「日本文学案内」の原文引用を、もっと独立した形式で、説明した方がよいのかもと、「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)の解説詳細を頁にした。《参照: 「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説》。
 この頁は、まだ追加解説が必要だが、とりあえずここに追加をしていくつもり。
以前に、幻冬舎系で今は「書きかけ小説出版企画」になっている部署に原稿を送ったが、「まだ、追記再検討が必要」という回答が、最近になってきた。その話のなかで、いっそ批評対象の「日本文学案内」の全文復刻が必要かもという考えにもなった。
 しかし、昭和13年発行のものだから、旧仮名で、今は読まれていないが当時読まれたらしい海外作家の評もある。これには調べて解説が必要であろう。また、外国名がすべて漢字(埃及、希臘)などで、そのままでは不都合である。なにか考える必要がある。
 考えてみれば、当会は本を出版した会員作家のその後のフォローのために、「暮らしノートITO」を活用しているのだから、代表自らの著書を宣伝しないのは、怠けすぎとでるとも思える。

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2018年9月21日 (金)

第六回文学フリマ大阪・来場者1,794人(過去最高)とわかる。

  第六回文学フリマ大阪・来場者1,794人(過去最高)と事務局が発表。第六回文学フリマ大阪は、相次ぐ災害の影響下、かつ雨天の中での開催にもかかわらず、大阪開催史上最大となる【1,794名】の方にご来場いただくことができましたーーとのこと。

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2018年9月20日 (木)

地球の空間限界が資本主義をリストラする

  地球にとって人間はその健全性を失わせる害生物となった。資本主義は、どこまでも人間の欲望を拡大したが、地球の空間的な限界に突き当たった。ITの発達は行き場を失った市場を作り出したが、せいぜいビットコインへの市場性しか見いだせない。現物価値の世界では、市場制限を自らする資本主義となった。《参照:丸紅、再生エネにシフトの発表歓迎と課題=環境保護団体
 中国の経済成長と市場拡大が示すように、資本が国家的な統制のもとにあることで、国民にいくらでも負担を負わせることができる。このシステムが国家的に優れているということである。米国は、対抗しているが、結果的に国家資本主義にしないと、覇権をたもつlことは難しいであろう。

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2018年9月18日 (火)

貸し出し用の「松本清張全集」盗難の謎

 北九州市立中央図書館(北九州市小倉北区)は15日、貸し出し用の「松本清張全集 全66巻」のうち62冊(購入額約19万2000円)がなくなったと発表した。同館は盗難に遭ったとみて、福岡県警小倉北署に被害届を提出し、防犯カメラの映像を提供した。(2018年9月15日 読売新聞)
 同館によると、9日午前9時頃、開館準備をしていた職員が書棚から57冊がなくなっているのを確認。9時半の開館直後には、さらに5冊がなくなっているのに気付いた。書棚には1冊だけ残っており、残る3冊は貸し出し中だった。本は縦19センチ、横13・5センチ。重さは600~800グラムで、62冊分の重さは約40キロに上るという。
 松本清張は同市出身。同館の担当者は「図書館名などが記載された蔵書は、古本屋などで買い取ってもらえない。早く返してほしい」と話した。
 同館では昨年、約600冊の蔵書が所在不明となったが、特定の作家の本が一度に大量になくなるケースは珍しいという。
 ーー今でも古書店でよく売れるという偉大な作家だが、転売することはないでしょう。流行本を買って、貴重な古典的な名作を捨ててしまう方針への抵抗ではーー。

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2018年9月17日 (月)

保坂和志さん(61)『ハレルヤ』刊行

   ペチャ、ジジ、チャーちゃん、花ちゃん。作家の保坂和志さん(61)がこれまで自宅で飼った猫たちだ。昨年末、最後の一匹だった花ちゃんが旅立った。最新小説集『ハレルヤ』(新潮社)の表題作は、その愛猫との別れを描いている。とはいえ嘆き悲しむ物語ではない。「死んでもいなくなるわけじゃない。死は悲しいだけのものではないと、読む人が感じられればいい」。猫についての話はいつの間にか、小説論へとつながっていく。
 保坂さんの小説は、あらすじや感想を書くのが難しい。物語を推進するための事件は起こらない。著者自身と思われる「私」が作中であれこれと考え、一見するとエッセーのようで、でもやはり違う。そして、よく猫が登場する。
 「読んでいるときの『ああ、そうなんだ』が大事なんです。読み終わって忘れちゃってもいい。美術や音楽も一緒で、絵から離れると『見てない人にはうまく言えないな』ってことになるでしょ。読んでない人にも六割方の説明ができる、みたいな書き方じゃだめなんだよね」。文芸誌の連載論考で小説について長年考え続けた作家だけに、その言葉には実感がこもる。「理屈で読み過ぎちゃだめなんです。こっちは頭で書いてるんじゃなくて体で、全身で書いてるんだから」
 本書には、花ちゃんとの出会いを描いた九九年発表の小説「生きる歓(よろこ)び」も収録されている。この構成がうまい。花ちゃんのその後の十八年余の生を知った読者には、まだ子猫のころの描写に新たな意味が付加されて読める。<時間においてはいつも過去と現在が同時にある>という表題作中の言葉とも呼応する。
「最初から効果を考えていたわけじゃなくて、あった方が分かりやすいかな、という素朴な理由。でも置いてみたら、一冊を構成する作品になった」
 長年の読者として、保坂さんに聞きたい質問があった。近作になるにつれ、どんどん文体が自由になっているのはなぜか。それも、時に日本語の文法を逸脱するほどの自由さで。「ずっと小説家をやっているわけだから、そりゃ変わってくるんですよ。今は極力、頭の中を去来する考えに近くなるよう書いています。頭の中の考えってセンテンスになっていないことが多いから、校閲は困っているかも。でも、ゆがんでることって大事なんだ」
 最後に、よけいなお世話の心配事も一つ。飼い猫がいなくなって、今後、保坂作品に猫が登場しなくなってしまうのではないか。
「だから、いなくなったわけじゃないんです」。笑いながらたしなめられる。「不思議なほど家に猫がいる感じがする。夫婦の会話もずっと猫のこと。前に『猫に時間の流れる』って小説を書いといて何だけど、やっぱり猫は時間の流れの外にいる感じがするね」。そう言われ、胸をなで下ろした。 (樋口薫)
《東京新聞・夕刊9月16日:揺らめく存在の余韻 愛猫の死描く『ハレルヤ』刊行 保坂和志さん(作家)》

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2018年9月13日 (木)

リーマンショックから10年の資本主義の姿

  リーマンショックから10年。資本主義の本質は、時間が資本を増やすという機能原理が働かないと、成り立たない、ということ。金を返せない人たちに、無理して金を貸したら、担保に家を取っても赤字がでるということ。モノづくりは、担保になるような、すぐ換金できるモノ造ることが大事。その原理は、リーマンショック前から分かっていて、苦悩しているようすを町工場の事例で記録した。《参照:平成時代おおた町工場の環境と課題の変遷
 これは同人誌「砂」に書いたものの続編で、これをさらに整理して「砂」に掲載する予定。少しは本が売れるかも。
 余談だが、大久保会長は、自民党の平議員とともに、BSフジTVに出演している。確か慶應で金融研究の大学院にいて、父親の事業を承継した人。TV番組で、「町工場が下請けで大企業の仕事の待ち工場になってはだめ。コア・コンピタンス(企業の中核となる強みのこと)をもつことです」と、語ったら、司会者が「ちょっと、すみません。今言ったそれはなんですか」と解説を求めていた。結構、大学の工学部などを出た社長が多い。そのことが、リーマンショック以後の、町工場を変えたことになる。

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2018年9月12日 (水)

話し言葉の文章化について

 「詩人回廊」には、ユニークな文章の人が少なくない。文章には、話し言葉と異なる、書き言葉がある。もし、話し言葉を文章にしたら、ユニークさが出る。小説家が、小説文に話し言葉を使ったら、それは意図的なスタイルの創作にすぎない。ところが「詩人回廊」のやまや氏は、なんらかのの工夫をしたように見えないで、話し言葉の文章化を実現している。すごいことで、思うことを書くのに、作らない橋し言葉が自然に出る。かっての文学愛好家と、現代の世代の違いを感じてしまう。

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2018年9月 9日 (日)

穂高健一が広島で講師「広島藩からみた幕末史。そして現代」

 作家・ジャーナリスト・写真家・アルピニストの穂高健一。「広島藩からみた幕末史。そして現代」の講師に。
  広島テレビが広島駅新幹線口に、新社屋を建てた。その新社屋4階に『広島テレビカルチャーセンター」が開設された。
 講師・穂高健一による『広島藩からみた幕末史。そして現代。』が、本年(2018)9月より毎月1回、開講へ。
 講座の趣旨は、「歴史を知ることは現代を知ること」。倒幕・維新に大きな役割を果たした広島藩の活躍を知ってもらう、学んでもらうこと。

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2018年9月 8日 (土)

9/9(日) 【第六回文学フリマ大阪】はOMMビル 2F BCホールで開催

   9/9(日)の 【第六回文学フリマ大阪】は予定通り開催される。今回の台風21号では近畿地方を中心に甚大な被害がありましたが、今週末の2018年9月9日(日)「第六回文学フリマ大阪」は予定通りの開催が決定いたしました。
  ■代表コメント
平成30年9月6日の北海道胆振地方を震源とする地震、ならびに9月4日の台風21号により被害を受けられた皆様には、心からお見舞い申し上げます。
  2018年は例年に増して災害の多い大阪でした。6月には大阪北部地震も起きた大阪ですが、「しゃあないな」と言いながら再起してきました。台風が過ぎた後には片付けをする人々が顔を出し、道は綺麗になっていました

  今年は第五回までの堺市から大阪市内・天満橋 OMMビルへと会場を移し、新しい姿での文学フリマ大阪開催となります。
  正に災害の中の文学フリマです。しかし、災害の中でもイベントを開催できる〈文学〉の力が、言葉や文化を愛好する皆さまにとって希望の一つとなればと思い、予定通りの文学フリマ大阪開催を決定いたしました。
  当日は、無事のご来場・ご出店をお待ちしております。そして何より、被災された皆様に1日でも早く平穏な日々が戻るよう願います。(文学フリマ大阪事務局代表・高田好古)
  ◆第六回文学フリマ大阪
 開催日時: 2018年9月9日(日) 11:00~17:00
 会場:OMMビル 2F BCホール(大阪市中央区/地下鉄・京阪「天満橋」駅直結
  ★今回から会場変更です。ご注意ください!
 出店数:約410ブース
 主催:文学フリマ大阪事務局
 協力:文学フリマ・アライアンス
 備考: 懇親会は18:00よりビルB2F「うるる 天満橋店」にて開催。事前予約は終了しています。約60名予定。

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2018年9月 7日 (金)

同人誌評「図書新聞」 (2018年9月1日)評者=越田秀男氏

  <編集抜粋>
  村上政彦が『結交姉妹』を「季刊文科・74」に寄せた。「たやましげるさん なくなりました(以下10回繰り返す)」で始まる。頼みの息子を亡くした母は悲しみのあまり発狂、いや呪言、言霊が憑く……やがて物語は中国南部の〝女書〟の世界へ。生者も死者も共存する女の国。男の参画も拒まず、その際は玉ぬき棹とり。女書国存亡の危機に救世主、玉棹抜取男現れ、子を孕み、尻から生まれ出でしはーイロハニホヘトチリヂリバラバラーん。
 『青山さんのこと』(西里えり/水脈62号)ーープロの凄ワザ、といじけてる場合じゃない。五年前、なぜだか単身で東京から福井の街へ引っ越してきた。決して悪気のある婆ではないのだが、やたらと関わってきて近所の人達にとっては疎ましい。やがて、呆けはじめて問題行動、息子が引き取り介護施設へ。清々した? 皆、去ってはじめて青山さんを知る――集団的人見知りだったが、都会の集団的無関心より人間味あり。
  『秋日和』(藤田友房/長良文学23号)――仕事柄家にたまにしか帰らない父。母出奔、娘五歳の時。それから10数年、敗戦。娘、後妻になじめず家を出る。背中に彫り物の男と関係し子を宿す。父に許しを請いに帰郷。そんな男許すわけがない? 高倉健だったらどうする! 父は彼の男気に惚れ全てを飲み込む。戦後の価値観の変化と長良の土地柄が物語を引き立てる。
  『幻の境界』(野元正/八月の群れ66号)ー小説形式を使い特定の問題の啓発を行う。その一つ、街に出没する野生動物、この由々しき事態を、人と猪双方の立場から問題点を仕分けしてくれた。討論会での母猪の証言は秀逸。猪は慎ましやかで専守防衛、生態系を壊したのは人間様。人間様の専守防衛は外堀が埋め尽くされた大阪城。せめて積極的平和主義なる珍妙・頓珍漢な言葉は麻雀遊技の時だけにしてほしい。
 『幻の境界』(野元正/八月の群れ66号)ー発達障害を取りあげたのが『幻の境界』。その代表格は注意欠陥多動性障害(AD/HD)。時評子は十数年前、医学の講演会(演者・長沼睦雄氏)でトットちゃんはAD/HDと教えられた。つまりAD/HDは障害に非ず、天才の道を拓く特殊性格! サッカーWC代表は皆〝多動性〟? 主人公を高校教師として教育現場の実情を浮き彫りにしつつ、主人公自身がAD/HDだった、という設定で、職場(成人)の問題でもあることを強調。最後にその仲間達で多動隊が結成される。
  『こびと日記⑥』(夏川隆一郎/VIKING810)のH君はドーナツなどを分け合う時大きい方をとる。主人公は将棋でこのH君に連戦連敗。リベンジ戦を要請すると、ゆで卵を持ってこい! ゆで卵? 「老後の松下幸之助は、人生をもう一度やり直したいと言ったらしい……成功者はこの世に未練を残す。敗北者は死を容認して受け入れる。ひとの世はうまくできている」。
 『生きものの眼』(秋野かよ子/コールサック94号)。井戸端にタムロするのをビチョビチョのビニールシートに沢山乗せてゴールに誘引・駆除剤、ヨーイドン。全滅!? いや三匹賢くも駆除剤を俊敏に回避。彼らは「黒ごまよりも小さく芥子粒のような真っ黒な潤んだ眼をみせた」。同誌に載せた詩――「細枝を赤く染めたモミジ/光をあと二つばかり欲しいらしい/枝先の緑児を膨らまし/時だけを待っている」(『早春の背中』部分)。芥子粒と緑児……散文と詩の境界。(「風の森」同人)
《参照:限界芸術からバリアフリーアートへ――箱に棲む人間『箱の中』、殻を捨てたナメクジ『生きものの眼』 》

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2018年9月 6日 (木)

「季刊文科」誌75号で吉村萬壱・特集。試論と小評論が三つ。

  ややエログロナンセンスの傾向のある作家・吉村萬壱であるが、文芸誌「季刊文科」の常連作家になっている。勝又浩氏との対談では、あまりにもグロテスクに感じて、同誌の購読を辞めた読者もいたらしい。しかし、やはり面白さのある純文学となると、こうした手法も現代性に満ちている。一部評論抜粋した。《参照:吉村萬壱論を横尾・佐々木・伊藤3氏が記す=「季刊文科」75号
 地球温暖化の災害、資源の枯渇、原発放射能被ばく、プラスチックマイクロチップ化など、人類は地球を喰いつくす害生物とかしており、わかっていても止めることはできない。その視点で読むと吉村萬壱文学は、的確である。グロテスクなのは人類なのだろう。
 国家社会は、そこに目を逸らして、あたかも輝かしい未来があるように喧伝する。本当はオリンピックなどやっている場合ではないのに、暗い未来を忘れるために今をにぎやかに過ごす。
 とはいっても、どこかで癒しが必要で、滅亡の美学がこれからのテーマかなあ、と思ってしまう。

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2018年9月 5日 (水)

文芸時評8月(東京新聞)今の世界、社会、時代、日本=佐々木敦氏

 古市憲寿(ふるいちのりとし)「平成くん、さようなら」(『文学界』9月号)は、同誌4月号の「彼は本当は優しい」に続く、人気社会学者の二つ目の小説である。「平成くん」は語り手の女性の彼氏のファーストネームで、「ひとなり」と読む。彼は一九八九年一月八日、すなわち「平成」の始まりとともに生まれ、大学の卒論が二〇一一年三月十一日の東日本大震災に関連づけられて書籍化されたことをきっかけに、あっという間にメディアで引っ張りだこになった。有名な漫画家だった亡き父親の著作物の管理をしながらアニメのプロデュースやイラストを手掛けている「私」は、平成と付き合うようになり、現在は同居している。物語は、彼女が平成から「平成」が終わるとともに安楽死をしようと思っていると告げられたことから始まる。
 誰もが平成に作者自身を重ねて読んでしまうわけだが、私はテレビを普段まったく観(み)ないので、古市憲寿と「平成くん」が、どの程度似ているのかはわからない。実際よりもさらに人間らしさの足りない無機質な人物として描かれているようにも思える。それはともかくとして、作者の狙いはもちろん、このような非常にフィクショナルな設定を使って平成という時代の終焉(しゅうえん)を浮かび上がらせようとしたということだろう。そしてそれはかなり成功している。情報量の多い内容を軽快に捌(さば)きつつ、きわめて読みやすい文体でサクサクと進んでゆくストーリーは、ラストで思いがけぬ湿度を帯びる。
 だが私にとって最も興味深いのは、何よりも古市憲寿がこれを書いたということである。
《参照:古市憲寿「平成くん、さようなら」 鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」 佐々木敦

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2018年9月 4日 (火)

第55回「文藝賞」受賞作は日上秀之氏、山野辺太郎氏の2作

  河出書房新社は8月23日、東京・千代田区の山の上ホテルで第55回「文藝賞」の選考会を開き、日上秀之「はんぷくするもの」、山野辺太郎「いつか深い穴に落ちるまで」の2作を受賞作に選んだ。
受賞作は、10月6日発売の「文藝」冬号に掲載する。(新文化)



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2018年9月 3日 (月)

西日本文学展望「西日本新聞」8月31日・朝刊=茶園梨加氏

題「作者の姿勢」
  矢和田高彦さん「あいこでしょう」(「山口文芸」304号、山口市)、深田俊祐さん「散骨」(「九州作家」131、132号、北九州市)
西村不知さん「軍刀と千羽鶴」(「風」20号、筑紫野市)、瀬戸みゆうさん「思案の場所」(「風響樹」50号、山口市)、くまえひでこさん「引き揚げっ子の昭和」(「長崎文学」88号、長崎市)、内田征司さん「枝垂れ梅」(「詩と眞實」830号、熊本市)
相川英輔さん短編集『雲を離れた月』(書肆侃侃房)より「7月2日、夜の島で」
「草茫々通信」12号(八田千惠子さん、佐賀市)より特集「凝視の先に-佐多稲子の文学-」
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2018年9月 2日 (日)

赤井都氏=ミニチュアブックソサエティ大会に行く(分載3)

   今年の参加者は96人、うち初参加者は15人。その皆が一堂に会して16テーブルでそれぞれおしゃべりするので、サロンは大変な熱気がありました。
翌土曜は、再び別の人たちと一つのテーブルになって朝食を取り、バスツアーでモンティチェロへ。会員さん数人がミニバスを運転してくれました。午後はホテルに戻ってメンバーミーティング。コンテスト発表と賞状授与、残念ながら私は受賞を逃しました。
  の後は、会の運営をどうするかという事が、プレジデントと呼ばれている会長が議長となり、皆が次々に手を挙げて民主的に話されました。私も、せっかく参加したので、人の助けを借りてちょこっと意見を言いました。
  休憩の後、製本家二人による、道具やスライドを見せながらのセッションがありました。これは、豆本の作り方や作品紹介の講義のようなものでした。
  そして、ホテルの斜め向かいVirginia Center For The Bookに歩いていき、ワインとチーズ、ぶどうでもてなされて、学校紹介を聞きました。印刷機と活字、新しいプリンタなどが並べられ、中身から本を作っています。ここでも、最初に案内役が話した後は、皆が立ったままわーっとそれぞれに話していました。だんだん、知らない人がいなくなってきて、どの人も一度は話したことがある人になってきました。話し疲れた人から、学校が作った冊子を好きなだけもらい、好きなタイミングで帰っていきました。
  最終日日曜日は、朝からホテルのサロンで設営をして、ブックフェアでした。
  そのために日本から持って行った私のスーツケースの半分は本でした。全部売れたとしても、そこにまた違う本が入ることはわかっていました。それまでの二日間でいろんな人と話したのが良かったようです。午前中は会員だけの販売で、午後から一般入場もあって販売しました。コンペに応募していた豆本、既刊で形がおもしろい豆本、カタログレゾネ、豆本の作り方の日本語の本などが次々に売れてほぼ完売して終了しました。25ブースが出店し、半分くらいは豆本古書店でした。もちろん売り上げは次々に他の豆本へと消えました。
  そして、最後のディナーです。デザートのチョコレートケーキが出る頃に、
The Rare Book Schoolの博士が来て、スライドを見せながら、研究発表を行いました。19世紀頃、シャーロットという名前の女性が、米粒に文字を書く級のものすごく小さな字をぎっしり書ける人で、小さな出版をして人気を博していたという、手書き本の貴重書の研究からわかったことの講演でした。
   その後、プレジデントが再びマイクを握り、さまざまな賞の発表がありました。
  Carolineには花束が渡され、豆本で作った冠がかぶせられました。会に貢献した人への大きな銀色のカップが授与され、今年は会計さんが受賞しました。続いて今回大会に貢献した人への小さな7つのカップは、今回のワークショップ講師、二人のセッション講師、世話役夫婦、研究発表した博士、そして最後の一つは私へ授与されました。初参加でカップをもらうなんて、信じられない!
  そして、皆で写真を撮り、ハグをして別れました。夢のような三日間でした。
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2018年9月 1日 (土)

安心メニューのテレビニュース・バラエティと不都合な事実

 テレビで現在起きていることを知ろうとしても、なかなか難しい。茶の間の精神安定剤としての役割に徹していいる。アマボクシングの山根明会長の話題は、なにか不都合あったのか消えた。日大理事長も消えた。とにかく散々騒いでも、消えるものは消える。
 ところで、31日には、経産省の「多核種除去設備等処理水」の保福島第一原発敷地の、スペースがなくなったので、海の放出したいので、その説明・公聴会があった。福島原発由来放射能汚染水は、アルプスという設備で、トリチウムは薄めれば安全なので、海洋投棄したいということへの意見交換会である。
 自分は午前中の郡山会場と東京での午後のネットライブ中継を見るのに、一日中在宅していた。《参照:トリチウムを主とした公聴会
 こういうのこそテレビ中継して欲しいが、現在の日本社会では、ネットでも現場中継がもられるというのは、それでも大したことだ。原発周辺域はは、そこにあるだけで事故がないのにがんにかかる人が、他地域よりも3割多い。おそらく放出されるトリチウムのせいであろうと、都市伝説的な噂になっている。トリチウムは、害がないわけではないが、除去できないので垂れ流しにしても良いことになっているらしい。
 たた、そういう話をするのは不愉快で、ストレス解消にならない。メジャーリーグの日本人選手の情報などで、気分転換をさせているのだろう。―国民をー。
 文学も同じで、地球温暖化やプラズチックゴミ、世界秩序の混乱などの不安を描いたものは、純文学では売れない。そこで、暗喩として奇妙な設定のもの増えている。それでもやまり、不都合な事実を知らないままで、生きているのは、つまらなく思う人が文学作品を読むのであろうという、希望的観測である。

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