同人誌評「図書新聞」 (2018年9月1日)評者=越田秀男氏
<編集抜粋>
村上政彦が『結交姉妹』を「季刊文科・74」に寄せた。「たやましげるさん なくなりました(以下10回繰り返す)」で始まる。頼みの息子を亡くした母は悲しみのあまり発狂、いや呪言、言霊が憑く……やがて物語は中国南部の〝女書〟の世界へ。生者も死者も共存する女の国。男の参画も拒まず、その際は玉ぬき棹とり。女書国存亡の危機に救世主、玉棹抜取男現れ、子を孕み、尻から生まれ出でしはーイロハニホヘトチリヂリバラバラーん。
『青山さんのこと』(西里えり/水脈62号)ーープロの凄ワザ、といじけてる場合じゃない。五年前、なぜだか単身で東京から福井の街へ引っ越してきた。決して悪気のある婆ではないのだが、やたらと関わってきて近所の人達にとっては疎ましい。やがて、呆けはじめて問題行動、息子が引き取り介護施設へ。清々した? 皆、去ってはじめて青山さんを知る――集団的人見知りだったが、都会の集団的無関心より人間味あり。
『秋日和』(藤田友房/長良文学23号)――仕事柄家にたまにしか帰らない父。母出奔、娘五歳の時。それから10数年、敗戦。娘、後妻になじめず家を出る。背中に彫り物の男と関係し子を宿す。父に許しを請いに帰郷。そんな男許すわけがない? 高倉健だったらどうする! 父は彼の男気に惚れ全てを飲み込む。戦後の価値観の変化と長良の土地柄が物語を引き立てる。
『幻の境界』(野元正/八月の群れ66号)ー小説形式を使い特定の問題の啓発を行う。その一つ、街に出没する野生動物、この由々しき事態を、人と猪双方の立場から問題点を仕分けしてくれた。討論会での母猪の証言は秀逸。猪は慎ましやかで専守防衛、生態系を壊したのは人間様。人間様の専守防衛は外堀が埋め尽くされた大阪城。せめて積極的平和主義なる珍妙・頓珍漢な言葉は麻雀遊技の時だけにしてほしい。
『幻の境界』(野元正/八月の群れ66号)ー発達障害を取りあげたのが『幻の境界』。その代表格は注意欠陥多動性障害(AD/HD)。時評子は十数年前、医学の講演会(演者・長沼睦雄氏)でトットちゃんはAD/HDと教えられた。つまりAD/HDは障害に非ず、天才の道を拓く特殊性格! サッカーWC代表は皆〝多動性〟? 主人公を高校教師として教育現場の実情を浮き彫りにしつつ、主人公自身がAD/HDだった、という設定で、職場(成人)の問題でもあることを強調。最後にその仲間達で多動隊が結成される。
『こびと日記⑥』(夏川隆一郎/VIKING810)のH君はドーナツなどを分け合う時大きい方をとる。主人公は将棋でこのH君に連戦連敗。リベンジ戦を要請すると、ゆで卵を持ってこい! ゆで卵? 「老後の松下幸之助は、人生をもう一度やり直したいと言ったらしい……成功者はこの世に未練を残す。敗北者は死を容認して受け入れる。ひとの世はうまくできている」。
『生きものの眼』(秋野かよ子/コールサック94号)。井戸端にタムロするのをビチョビチョのビニールシートに沢山乗せてゴールに誘引・駆除剤、ヨーイドン。全滅!? いや三匹賢くも駆除剤を俊敏に回避。彼らは「黒ごまよりも小さく芥子粒のような真っ黒な潤んだ眼をみせた」。同誌に載せた詩――「細枝を赤く染めたモミジ/光をあと二つばかり欲しいらしい/枝先の緑児を膨らまし/時だけを待っている」(『早春の背中』部分)。芥子粒と緑児……散文と詩の境界。(「風の森」同人)
《参照:限界芸術からバリアフリーアートへ――箱に棲む人間『箱の中』、殻を捨てたナメクジ『生きものの眼』 》
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