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2018年8月15日 (水)

小柴 一良写真展の公害から見たFUKUSHIMA

  夏休み目に、小柴 一良写真展「FUKUSHIMA 小鳥はもう鳴かない」をニコン銀座サロンで観た。福島原発事故を水俣病を取材していた関係から、小柴氏は公害の視点をもっている。たしかに、福島事故の被ばくの状況は、場所と時間によって、かなり異なる。米軍の「トモダチ作戦」での被害は、死者やがん患者が多発して訴訟を起こしている。米国政府は軍人であることを理由に却下、いまは東電を訴訟相手にしている。福島現地でも、被ばくの影響があるが、それを公言できない。都市伝説として、多くの情報が伝わっているだけだ。

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2018年8月14日 (火)

中部ペンクラブ文学賞(第31回)に弥栄菫さん作品

 「中部ぺん」第25号が刊行され。第31回中部ペンクラブ文学賞受賞作く「誰かが誰かのS](弥栄菫)に決まった。作品内容は、女性の視点で、前の男から現在の男と同郷する過程に、お互いの関係性をどのような支配関係を維持するか、性の交わり方のなかで、描かれているもの。選評があって、その中の吉田知子氏が、応募作がどれも男と女の関係ばかりと、素材の傾向に批判をしている。
 たしかに、そうであるが、まず出来るだけ読まれることを志した場合に、無難なものを選ぶのは仕方のないところであろう。それよりも、こうした同人雑誌系の作品となると、短編であるため、テーマの深堀りをする余地がない。
  そこで、ひとつの手法として、その先を続けて書くことの出来るスタイルを開拓する手法もあるのではないか。一種の2重構造をもたせ、合わせて読んだ場合、統一感とビジョンがまとまるようなものである。
 たとえば西村賢太の場合、前半は色欲の強い陋劣な人間性を強調し、後半は藤澤村清造への畏敬、愛情の純粋な心の表現を描き、澄んだ作品の印象を形成している。視点を極端に下げ、その後次第に精神を上昇させるという二層構造で、作品を成功させているように見える。丹下左膳や座頭市のような、欠落したところある主人公が関心を惹きつける通俗性に通じるものがあるのではないか。
《関連:文芸誌「中部ぺん」第25号を読み文学を語る!9/23開催

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2018年8月10日 (金)

季刊文芸誌「日曜作家」第23号(大阪府)

【「ふわふわスクランブルエッグ」椿山滋】
 母親が40代半ばの時、交通事故で亡くし、残された父親と高校生の娘のその後の生活を描く。およそ、父親と若い娘との関係交流はむずかしいとイメージがある。。しかし、ここでは亡くなった母親のおかげか、お互いに気遣いしながら、そこを支え合うように努力する。ある意味羨ましいような……。タイトルにあるように、ほっこりとしたテレビドラマ風な作品。
【「斜陽館の怨念」秋葉清明】
 斜陽館を巡る旅の文学的な旅行記。太宰治の作品「津軽」を通して、斜陽館の細部が学べるようになっている。また、話の橋渡しとして夏目漱石の「坊ちゃん」の登場人物のキャラクター性をもってくるのは、クスリと笑わせる。太宰ファンなら、知っているはずの事情や噂もよく取り入れて、大変な力技である。近年は、「桜桃忌」の参加者が増えているのか、減っているのかメディアの報道が少なくなっているように思う。SNSで「死にたい」と書き入れる人たちは、太宰の小説は読まないのであろう。本作を編集して写真入りにして、斜陽館向けに編集して、頒布したいような作品と思うのは、古い時代の人間であるためか。
【「底にいた蛙の話」夷井かづき】
 井の中の蛙になって、世界を見るとーーという想像力をで読む。蛙になった気分で物事を見るというのは、自分事でないという気楽さで読める。第四人称的な表現法によって、作者の「私」が書くという自分、読者にとっての自分という意識の転換をはかるのに有効であるとわかる。
【「五人五様(二)」野上史郎】
 「居酒屋だより」という作品もある。似たような構造のもの。人の噂話は小説の原点である。そのネタを書き連ねたようなものだが、それだけで、結構面白く読める。
【「悟りの果て空と海」大原正義】
 佐伯眞魚という密教修業者が、陰陽師の役小角を尊敬し、山野を駆け巡り修業をするという話。その佐伯が空海であるが、役小角と霊的な交流があったのではないか、という想像力の産物。これはこれで面白い。自分は、空海の鉱脈山の選別力や、中国での学問的な修得の早さから、一族が中国からの渡来人であったのではないか、と思える。日本仏教の傍流であったことにも合致するのではないか。
発行所=〒567-0064茨木市上野町21-9、「日曜作家」編集部。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年8月 8日 (水)

芥川賞受賞・高橋弘希インタビュー「戦争を書く理由」

――戦争文学の傑作とも言われる大岡昇平の『野火』に似ている、という声もあったようですが、もともと読んではいたのですか?
高橋 いえ、読んだのは「似ている」と指摘されてからです。大岡作品に限らず、『指の骨』を書くまで、戦争文学と呼ばれるものはほとんど読んでいなかったんです。でも、『野火』は確かに読んでみると、局所的にすごい似ていてびっくりしました。
――どんなところですか?
高橋 自然描写の緻密さとか。まさに観察者の目線だと思いました。
――そのあと大岡作品をどんどん読み進めたりしたんですか?
高橋 いや、『野火』だけですね。
――他の作家の戦争文学はどうですか。
高橋 古山高麗雄『プレオー8(ユイット)の夜明け』を読みました。大学の図書館で「芥川賞全集」に収録されているのを、たまたま見つけたんです。古山さんはラオスの俘虜収容所に転属したところで終戦を迎え、戦犯容疑でベトナムのサイゴン中央刑務所に拘留されるんですが、そこでの監獄生活をコミカルに描いた小説ですよね。
――高橋さんは大岡昇平の対談集『対談 戦争と文学と』の文庫版に解説を寄せていますが、そこでも大岡・古山対談が興味深かったとして『プレオー8の夜明け』について触れていますよね。
高橋 そうでしたね。やはり観察者の視点が鮮やかな小説だなあと印象に残っていたんですね。特に、主人公がチーホア刑務所からサイゴン中央刑務所に移される時に小型トラックから見る風景。サイゴンの賑やかな街並みと、コンガイ(安南娘)を間近に見て、それに喚起されて自分の妻を思い出す場面とか。
人じゃなくて、場所も消えて行ってますよね
――高橋さんは79年生まれですが、子どもの頃、戦争に関する教育って何かありましたか?
高橋 道徳の授業かなあ。原爆のことを知るためのビデオを見たり、原爆の資料的な白黒のパネル写真を見たことはよく覚えています。小4くらいの時だったと思いますが、子どもにとっては過激な風景で、なかなか忘れられないです。あとは、『はだしのゲン』とか『火垂るの墓』とか。能動的に見るわけではなくて、夏休みの昼間、テレビでやっているのをなんとなく見ていたり、という程度ですが。

――ご家族に戦争体験者はいましたか?
高橋 父方の祖父が大陸方面で、母方の祖父が南方に行ってたそうです。直接話を聞くことはなかったんですけど、親経由でそういう話は聞いてました。
芥川賞が高橋弘希さんの『送り火』(『文學界』5月号掲載)に決定しました。1979年生まれにして、これまで『指の骨』『朝顔の日』など戦争を題材にした小説にも取り組んできた高橋さん。その思いを伺った「文春オンライン」2017年8月のインタビュー記事をあらためてどうぞ。
――ちょうどこの8月に『指の骨』が文庫化されましたが、2014年の新潮新人賞を受賞したこの作品はニューギニア戦線の野戦病院を舞台にした精緻な作品で、「戦争を知らない世代による新たな戦争文学」が突如出現したと話題となりました。でも、もともとはニューギニアを舞台にするわけでも、当時のことを書くわけでもなかったそうですね。
高橋 はじめは大学生がグアムに卒業旅行に行く話を書いていたんです。完全に現代の話として。それで、大学生がグアムに慰霊の旅に来ている爺さんに会って話している場面を書いていたら、どうも爺さんの話していることのほうが面白いぞ、と筆がのってきて。それで、書き直すことにして、結局は太平洋戦争中のニューギニア、負傷した一等兵が臨時野戦病院に収容されて、そこで体験したものを一人称で書くという小説にしたんです。
――病舎の屋根を直しに行った兵が屋根から落ちて死んでいた、という淡々とした描写の一方で、ジャングルの葉っぱの肉厚さや葉脈の色、食べると痙攣する「電気芋」を掘り出したときの様子など、風景が事細かに描かれているのが印象的でした。どうしてここまで微細に書けたんでしょうか。
高橋 自然の他にも、たとえば三八式歩兵銃はどんな型をしていたのか、弾はどんな感じだったかなんて想像で書けないですから、もちろん資料を参考にしました。できるだけ細かく書いたのは本当っぽく、見てきたかのように書こうと思ったからですね。特にこの作品は、主人公の目で見たものを書いたので。
―この作品で新潮新人賞を受賞されたとき、選考委員の中村文則さんが「観察者」「部外者の悲しみ」がある作品だ、と評されていました。

高橋 確かに、なるほどそうだなあと自分でも思ったくらい、ありがたい言葉でした(笑)。先輩作家では、太平洋戦争を舞台にした『神器』も書かれている奥泉光さんにも何かのパーティで一度、お話を伺ったことがあります。
《参照:芥川賞受賞・高橋弘希インタビュー「戦争を書く理由」》

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2018年8月 6日 (月)

「仙台文学」92号(仙台市)

【「波路上杉の下―南陸海浜の記憶⑤-」近江静雄】
 東日本大震災3・11の被害と地形の変化を、三好隆一が確かめる記録となっている。そのなかで、愛宕山地福寺には、明治29年6月15日にも大津波災害があって、「階上村誌」(はしがみ村誌)という記録が残っているという。それは「すびとれた」という方言の残っている由来から記されている。
 明戸集落地区の死者は4百人以上におよび、遺体の収容もままならず、
「市場に鮪が並べられたように、地福寺の参道に並べられ、上には蓆(むしろ)を掛けただけだった」と、村誌には記されているーーとある。
 折しも、第159回芥川賞候補になった北条裕子「美しき顔」では、石井光太「遺体」(ノンフィクション)の表現
「床に敷かれたブルーシートには、二十体以上の遺体が蓑虫(みのむし)のように毛布にくるまれ一列に並んでいた」という表現に酷似しているところがあると指摘された。
 北条裕子「美しき顔」では「すべてが大きなミノ虫みたいいなってごろごろしているのだけどすべてがピタっと静止して一列にきれいに並んでいる」となっている。
 作者は、福島に行ったことはないらしいので、体験ドキュメント「遺体」の表現が時代を反映をしたものとして、印象に残ったので流用したのであろう。参考資料として、「遺体」作品などの記載がなかった、ということで講談社が編集ミスとしている。たしかに著作権問題に至るものではないと思われる。時代を経てた後に、どちらの作品が多く読まれるかは、わからないものがある。ただ、本作で指摘している「階上村誌」を参考に表現の工夫をしていれば、著作権はないので、このような問題は、起きなかったであろうと思う。
【「海音」渡辺光昭】
 高校教師の前島は、考え事をしながら雪道を自動車運転しているためか、スリップをして車を傷つけてしまう。そこから、父親が肺がんの疑いがあるので、検査をしなければいけないのだが、父親は検査を受けたがらない。前島が結婚したとき、父親はその嫁が気にいらず、仲がうまくいかない。
 その問題と、生徒の日野遼太が、海水浴遊びにいき、ほかの二人の友人と出かけるが、そのうちの一人が、遊泳中に溺れて死んでしまう。彼は泳いでいる時に、こむらがえりのような、脚がつったのであろうか、遼太にしがみつこうとしたらしい。そんなことをされたら遼太も動きがとれなくなり、二人とも溺れてしまう。そこで、遼太は友人を足で蹴り突き放す。そのことを誰にも言えず、その罪の意識を示した心境をノートに手記にし、教師の前島に渡す。
 いろいろな話の要素から、ここでは遼太の罪の意識と、教師の前島の父親との葛藤における父への対応の罪の意識が重なり合うことになる。話がどこに向かうかと思わせたが、うまくまとめる方向になっている。
 罪の意識がテーマなると、夏目漱石の「こころ」が有名だが、こうした作品を読むと、こうしたテーマの扱いの難しさを感じる。
【「夏目漱石詩一篇の謎(23)水底慕情」牛島冨美ニ】/【「直木三十五短歌一首の謎(24)心に多くの人間を棲まわせた大衆作家」同】
 文芸批評を身近に読めるように、謎を設けて追及するという巧い手法で、その時代の人、社会、関係者の話題を提供するもの。資料を駆使したエピソードが面白い。
 夏目漱石では、華厳の滝に投身した藤村操に対する思い入れや、藤村の噂について、知られざる話題を提供している。
 また、直木三十五については、大衆小説作家としての活躍し、菊池寛が直木賞という証を創設したほどであるが、現在はほとんど読まれることがない。
 これらの評論は、学問的ではない。我々がなぜ文学作品や作家に興味をもつかとなると、単なる余暇の過ごしや、気分転換のほかに、自らの生き方への問いかけという、切実な関心も含んでいる。
 本評論と解説は、そうした問題と密着した書き方をしているところが、なかなか優れていると思われる。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方「仙台文学の会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年8月 5日 (日)

「図書新聞」同人誌評(2018年8月4日)評者◆志村有弘氏

 岡山晴彦の戯曲童話「今様お伽噺 麦の穂」(Pegada第19号)。町の「廃校」の寂しさもあり、今はやりの「忖度」の言葉も見える。震災の傷を随所に示す哀しい作品でもあるが、心温まる力作。
 丸山修身の「古紙の裏から」(文芸復興第36号)が、推理小説を読む面白さ。名文句もある。古紙と共にあった位牌の一人ひとりの人生も知りたい。佳作。
 高原あふちの中篇小説「人間病患者」(あるかいど第64号)の登場人物は、それぞれ個性的だ。題名もうまい。ホームドラマになり得る作品。
 浅岡明美の「昼下がりの客」(創第12号)は、老人の罪の意識を綴る短編小説。老人の心に沈殿し続けた呵責。綺麗な文章で展開する良質の好短篇。
 福島遊の短篇「ひじり」(あてのき第45号)は、作中に『日本往生極楽記』などに見える賀古(加古)の教信上人の生きざまを記す。爽やかな読後感が心地好い。
 エッセーでは、岡谷公二の前号からの連載「山川方夫の葉書(二)」(飛火第54号)が、友人山川の書簡を紹介し、岡谷自身も含めて山川・「三田文学」を視座とする貴重な文学交友録を伝えている。
 同人雑誌連載の作品が単行本になるのを知ると、嬉しい気持ちになる。木村咲の小説『赤い土』(「九州文學」連載)は、一人の女性が厳しい異国の地で生き抜いてゆく姿を抒情豊かに展開させている。
 「浮橋」、「文の鳥」が創刊された。同人諸氏の健筆をお祈りしたい。追悼号ではないが、「民主文学」第663号に三浦光則が昨年十二月に死去した伊豆利彦、「天荒」第60号に岡崎万寿が二月に死去した金子兜太について(連載の上)、その熾烈な文学魂を綴る。ご冥福をお祈りする。
《参照:岡山晴彦の友情の絆を綴る童話劇(「Pegada」)――丸山修身の古い証文などから一家の歴史の謎解きをする小説(「文芸復興」)、孤愁・寂寥感を綴る詩歌群

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2018年8月 3日 (金)

文芸同人誌「海」(第Ⅱ期)第20号(太宰府市)

【「巡査日乗」中野薫】
 司法の世界では、裁判官・検察官・警察署・刑事・交番勤務巡査のそれぞれの部署がある。そのなかで巡査の勤務の実態が詳しく、書かれている。転勤のこともあり、具体的な地域は記されていないが、現在より少し昔の状況のようだ。自分は、あちこちの警察署に、取材の時とか、容疑者にされた時とか、いろいろな状況で接触したが、時代や地域によって、様々である。そのなかで、法の番人というより、勤め人たちという目でみている。ここでも、そのような側面で官僚組織と仕事ぶりが記されている。文末に、これはフィクションであるという意味のものがあるが、それほど事実に近いということであろう。物語にする舞台が出来ている感じなので、これをベースにしたフィクションが出来るのかも。
【「俺も啄木」有森信二】
 家業を手伝いながらの高校通学する良太。これも時代は、ひと世代前のことらしい。父親の改造自転車で通学するところが面白い。そこでの悪ガキからのイジメをやり返し、文芸部の活動もする。その実情は、昭和時代の状況での学生生活。現代におけるスクールカースト的な雰囲気とは異なる感じがする。クラス内のイジメの事例でも、本作では、お互いに腕力的に発展し、勝負で決着がついて、すっきりしている。現代は、仲間外れが「恐れ」となり、陰湿曖昧な行為になっているようだ。昔はイジメにあっても、自殺するなどという発想はほとんどなかったろう。この小説でも、悪ガキの相手がすべてではなく、良太には家業を手伝うという、それより重要なことがあるのだ。それだけ時代背景が異なる。昭和時代を時代劇のひとつにする方法はないものだろうか。
【詩譚「椿岬」群青】
 精神科の医師の安藤が、治療していた坂田という男が、遠く離れたところで、発作を起こし、安藤医師の名を告げるので、そこから連絡がくる。そこで駆けつける。坂田は各地に行き、そのたびに安藤は呼び出される。変わった眺めの叙事詩で、どういう発想でこのような作品ができるのか、不思議だ。ただ、社会から排除された者の運命と生き方を集めたようなところがある。結核病院から逃げた人、徴兵から逃れようとして、特高警察に葬られてしまう人々の話などが入る。受け取り方として、世間が目に見えない縛りを作り始めた時代に、そうした枠におさまらない人々の存在を強調した社会批判にも読める。
 とくに堀江貴文氏などは「小説の描写を読むのが面倒くさい」という。気の短い現代人には、叙事詩の形式が良いのではないか。
【「あちらこちら文学散歩(第7回)」井上元義】
 本格的文学派で、多彩な作者だが、この部門はランボーの情報が詳しくあるので、楽しく読める。ファンという姿勢がはっきりしているので、それが自然なアクセントになっている。詩人と無頼という相性が良さそうな、よくはなさそうなイメージのランボーの魅力が理解できる。
発行所=〒818-0101太宰府市観世音寺1-15-33、松本方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年8月 2日 (木)

文芸時評8月(東京新聞8月1日)=佐々木敦氏

  第百五十九回芥川賞は、高橋弘希「送り火」(『文学界』5月号)に決定した。高橋は二〇一四年に「指の骨」で新潮新人賞を受賞してデビュー、同作は第百五十二回芥川賞候補となった。以後「朝顔の日」(第百五十三回)、「短冊流し」(第百五十五回)と候補に挙げられたが受賞はならず、四度目の候補となった今回、ついに栄冠を射止めた。
  私は以前、芥川賞があるから「文学」は延命している、という説を述べたことがある(『ニッポンの文学』)。これは批判でも現状追認でもなく、単なる事実確認だが、しかし私はやはり現在の「芥川賞一強体制」は好ましくないと思っている。だが正直言ってどうにもならないし、むしろその強さはいや増す一方なのだ。
 ここで今回の候補作の一本でもあった北条裕子「美しい顔」(『群像』6月号)が引き起こしている問題について触れておきたい。私はこの作品に大変感銘を受けた。それは前に本欄にも書いたとおりである。だが私は、この小説が芥川賞候補に挙げられることが望ましいとは思っていなかった。前にも書いたことがあるが、私は新人賞受賞作すなわちデビュー作がそのまま芥川賞を受賞してしまうことは、その作家自身にとってよいことではないと考えている。だが、それとは別に、候補になる可能性は高いと思っていたし、候補になれば受賞することもあり得ると思っていた。
 そこに今回の「盗作」騒動が起こった。北条は「美しい顔」を執筆するにあたって参考にした数冊の書物を記していなかった。類似した表現があるという指摘を受けて『群像』の出版元である講談社は作者に確認し、参考書籍のリストを公表するとともに、そのうちの一冊である『遺体』の著者、石井光太氏などに説明と謝罪を行った。
 だが、その時点でインターネットを中心に北条の行為が確信犯的な「盗作」だとする声が広がっており、非難や中傷を受けて講談社は声明を発表、盗作には当たらないという見解を表明するとともに、この小説の全文をホームページ上に無料公開した。この問題は現在も完全な決着には至っていない、進行中の案件である。
《参照:高橋弘希「送り火」 北条裕子「美しい顔」 佐々木敦

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2018年8月 1日 (水)

情報がニュースになる要件ー山本太郎議員の国会質問の裏

  ネットでは盛んに情報があるが、新聞やテレビのニュースにならない、という出来事がある。山本太郎議員が安倍首相に、IR法案の成立でギャンブル業界の裏社会からの進出が危惧されるといわれるが、大丈夫なのか、という質問をした。唐突なようだが、そこには、ネットでのある情報の存在があると推測される。
 発信元は、かつて武富士社員に依頼を受けた探偵社から電話盗聴を受けるた山岡俊介氏。武富士社長だった武井保雄は逮捕された(2003年12月)という実績がある。
 この事件は、情報提供者の姿勢に問題があると見られているようで、事実は存在するのであろうが、もうひとつ物足りないところがあるようだ。すると、情報ではあるがニュースにならにということになりそうだ。
《参照:下関市長選挙後の安倍邸放火未遂事件周辺事情

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