小説同人誌「ココドコ」1回限定号(大阪市)
本誌は、第一号きりの同人誌。読者は、参加者とその知り合いたち対象ということか。このような試みもあるのか、と珍しいので紹介する。同人の「私家版」のようなものか。同人誌に所属していない書き手たちでもないようので、こうする理由がわからないところがある。同人誌の森に新種の樹を植えるというのだろうか。
【「空のあわいに」水無月うらら】
本篇の終わりに鷹匠の技に関する参考資料書として、3冊が記されており、鷹匠として登場する女性の描写に生かされていることがわかる。話は、男には交際している女性がいる。結婚を前提にしているが、男はその気がない。女性は、彼の曖昧な態度に結婚を断念、去って行く。その男が魅力感じるのが、仕事と鷹匠を両立させる女性。
自己表現としては、書いて充実感があるのだろうが、読む方は鷹匠というジャンルを楽しむ人の存在を知ることの面白さがある。
【「エンバーミング」内藤万博】
アメリカの西部劇のような世界というより、そのもので、ベンジャミン・ウイッカーマンという屋敷を舞台に、銃の早打ちが自慢そうな、アメリカ人が集まる。話は、遺体保存された霊廟にまつわる話で、人間関係の心理を追求する。文学的にはフォークナーの「エミリー薔薇」やヒチコックの映画「サイコ」のような素材を使ったのに似る。書き手はとても楽しく充実しているであろう。読む立場では、アメリカの風俗へのノスタルジアを楽しめる。べつに外国人たちの話でなくてもよさそうに、とも感じる。
【「色の白いは七難隠す?」山川海蹴】
ネット販売とスマホのアプリケーションなど、現代の職業人の生活と風俗の様子が、結果的に細部がわかる。選挙への姿勢や、制度としてのベージックインカムの話題なども意識している。色白の女性主人公は、母親を施設に入れている。生活のありさまが、ぶりが描かれているように読めたが、読み終われば、恋あり転職ありの生活の大変さのなかで、平和な日常が定着されている。
【「やさしい いえ」三上弥栄】
触井園荘(ふれいそのそう)という2階建てのコの字型のアパートの住民たち。アパートはノスタルジックであるが、住むのは現代人。ミオリという「私」が住人として、アパート生活をかたる。無職で、大家さんらしいカオル子さんの犬の散歩役をしている。彼女を知る僕は既婚者で、妻と共働き。子供がいるので、子育てにイクメンをしなければならない。このように視点を変えながら、登場人物の仕事や生活が描かれる。書く方は、書きやすいだろうが、読む方はいちいちこれはだれであろうと、推測しながら読むので面倒。
かつては、近代小説では、それだけ読者に負担をかけるとなると、それなりに重い内容の出来事があるのだが、現代小説ではそうとは限らない。それだけ文学が物語性から離れないと、通俗小説になってしまう。そうしない工夫の結果がこうなるのか、とも思う。
【「町工場に住む」田中さるまる】
まず、通勤途中に電車のホームから、ビルの上から人が落ちるのを見る。父親が町工場の社長をしていたが、交通事故でなくなり、その事業を承継している息子が主人公。町工場だから、職人の技術があれば事業は続けられる。引き継いだ町工場は、海外に仕事をとられ、経営が良くない。そこで職人技をもつ社員を活用して事業の維持拡大をはかるが、冒頭のビル身投げを見たことで暗示させられるように、事業はうまくいかない。
社員には外国人労働者がいたり、ベテラン専門職社員と職人でない2代目社長の駆け引きが主に強調されている。町工場の一部としてのリアルな面がある。ただ、経理の人間や銀行の存在がないため、文学的な表現としての環境であろう。全体に精神的な存在として主人公の心理にとどまる。舞台となる町工場はかなりの現金資産があり、工場の不動産価値がある状態で、経営者の生活上の維持は困難ではない。
そうなると、とりあえずの生活状況よりも、状況の悪くないなかで、精神的な不満足があることを示していると読み取れる。そのために、話がすっきりしなまま終わるのは、純文学のスタイルなかにおさまるためのものであるのか、という感慨も出る。
発行所=〒530-0035大阪市北区同心2-14-17、光ビル512、「ココドコ」製作委員会(代表・黒住純)。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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