ネットコメントが価値を生み出すーフリーレイバー
通常は、出版社の媒体に執筆すると原稿料が支払われる。ところが現代になると、SNSや有料動画の価値観を与えるのがコメントである。テレビニュースでも、ネットのコメントを紹介し、世論の動向として報じている。
その自発的な意見が、価値を生んでいるのだ。それを論じているのが大塚英志氏である。
ーーぼくの中でのweb倫理学の議論の出発点は、プラットフォームに於いて顕在化している「フリーレーバー」の問題であった。
ぼくが「フリーレーバー」、無償労働という北米でしばしば用いられる語を表に出る形で使うのは初めてだが(なるべくなら今も使いたくないが)、例えば「ニコ動」なり「YouTube」なり、あるいは「ニコ・カド」が始めた「なろう」の模倣ビジネスも含めた「UGC」(User Generated Content)、日本では「CGM」(Consumer Generated Media)と呼ばれるインディープロレス団体の略称みたいな名前のこれらの仕組みの中に潜む問題を説明するために今回は使う。
プラットフォームに於ける「フリーレーバー」問題とは、「投稿」が、投稿者によって無償で投稿され、それが実質的なコンテンツとしてプラットフォームに収益をもたらす仕組みがはらむ問題である。
例えばあなたがある日までせっせと「ニコ動」に投稿し、あるいは「二次創作」を続け精神的に充足していながら、ふと、あれ、自分ってメディアミックスの中で「ただ働き」しているんじゃない、これっておかしくねえ、と気づいたとする。「黒子のバスケ」脅迫犯はその点で惜しいところまできている。かつて、こういう「フリーレーバー」は、マルクス主義が活きていたなら「疎外」と呼ぶことができた。一つのシステムの中で自分が搾取されていると気がつくと、マルクス主義的には「疎外」ということになる。実際、北米で「フリーレーバー」を問題化しているのはマルクス主義系の研究者(いますよ、アメリカに、普通に)である。ーーと書いている。《参照:web倫理学についての大雑把なデッサン 大塚英志》
つまり、自発的なコメントが、ただ働きの効果を生んでいるということだ。
ただ、このプラットホームを維持するのには経費がかかる、その経費負担をどこかで回収しないと持続性は持てない。文芸同志会では、プロバイダーのウイル対策、定時的メンテナンスに費用が発生している。またこれは、ソフトの部分で、ハードではパソコンの定期点検、プリンターの交換など、年間10万円は経費負担がある。それがいつまで続けられるか、問題意識を持っている。会費や寄付、コンサルタント相談謝礼などで、現状は充足できていると思う。しかと計算はできていないが。
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