同人誌評「図書新聞」(6月2日)評者・越田秀男
『我が愛しのストーブ』(小川結/(「穀雨」22号)。北風小僧の寒太郎~と歌う灯油売りも近年見かけなくなった、にもかかわらず、エアコンも設置した、にもかかわらず、冬は石油ストーブ、夏は扇風機、と頑ななアラ80父。あきれ果てる同居のアラ40娘。と、別居の妹がやってきてエアコンを……姉「33度以下は扇風機!」と、いつの間にか感化されていた。
「あらら」9号、 炎で競作。〝『炎』水口道子――狐と狸と人間の化かしあいから共棲へ。『水の炎』渡邊久美子――震災・津波は喜怒哀楽、人生の全てを奪った。『炎・焔・熾』松崎文――竈の炎の多様な顔、ホカホカご飯! 『炎の野球選手』大西緑――蘇る炎のストッパー津田恒美! 『炎のごとく』磯崎啓三――夏野はや炎のごとく一樹立つ。
『献体』(猪飼丈士/「民主文学」631号)。伯母が老人ホーム入所の際、身よりが主人公だけで、身元保証人になるため、四十数年ぶりに会った。その時伯母は「献体登録証」をみせた。なんで献体? その真意がわからずじまいで十五年後、緩和ケア病棟。死が切迫した段階でも伯母の意志は変わらない。主人公はこれまでの伯母の人生に深く想いを寄せる。
『祈り』(石崎徹/「ふくやま文学」30号)。広島平和記念公園に訪れた親子五人が遊園地気分で時をすごす。さて帰るか……父親がもう一度、と慰霊碑に。母も……子等も。休日でごった返す人垣をかき分け碑にたどり着くと、不思議にも五人が収まるに足る空隙ができ、皆父に倣って祈りを……と、回りの人々までもが倣って黙祷――《急に静寂が群衆を支配したかのようだった》。
『海の止まり木』(北嶋節子/「コールサック」93号)。主人公の母は長崎で被爆、一命を取り留め結婚、子に恵まれる。が、主人公が小学校にあがるころ原爆症を発症、一年足らずで世を去る。と、姉も発症し同じ経過を辿った。この有様は〝風評〟となり「ピカドンがうつる」、イジメ。成人した主人公は相思相愛の恋。結婚の承諾を得るため、父を伴い、娘の親代わりの兄に会いに行くも、けんもほろろで拒否された。それから四十年後、主人公が経営する喫茶店に、その兄がやってくる、台風の到着と、彼女の死の知らせを伴い。追い返すわけにもいかない……。
『陸か海か』(平山堅悟/「AMAZON」488号)。陸か海かは、父が韓国人、母が日本人の、両生類的生き方の主人公の有り様。彼は居酒屋の屋上のラウンジでヤクザっぽい客の顔面に青丹を食らわせてしまう。この一件をキッカケに店の女と身の上話をする程度に関係が。女は中学生のころ、親が同和地区に住まったことを因とする騒動に巻き込まれ、その後風評被害を逃れ逃れて成人。結婚し子に恵まれるも、義母がこの過去の一件を嗅ぎつけ、離婚の憂き目。一方、主人公は、父が朴正煕政権下で民主化運動の首謀者として死刑に処せられたことなどを明かす。大阪のコリアン商店街の風景、人々が活写されている。
『小風景論――「気色」とは何か』小論(西銘郁和/「南溟」4号)。琉球舞踊「黒島口説」を紹介。〝口説〟は歌舞伎などの口説のもととなった五七調の旋律を沖縄の地に引き込み溶け込ませたもの。西銘が黒島口説から抜き出した言葉は〝気色〟。〝景色〟ではなく〝気色〟を使う例は古語にみえるが、現代語では、けしきばむ、とか、きしょくわるい、など限定的だ。黒島口説では? 《何物にも「替え」られぬ出自の「島・村」に対する》誇り・信頼・感謝が込められているという。辺野古埋立工事に当てはめると、〝景色〟の破壊ではなく〝気色〟の破壊、沖縄の心を土足で踏みにじるものだということになる。
『能古島の回天基地』随想(富田幸男/「九州文學」)。島尾敏雄の『出発は遂に訪れず』は奄美群島加計呂麻島。博多湾に浮かぶ能古島の回天基地も、発信することなく終戦を迎えたという――《沿岸近くに、無数の小石を積み重ねた魚礁とも消波堤ともつかぬ濃茶色の苔に覆われた不思議な三本の〝物体〟が波間に見え隠れしている》――魚雷艇の斜路跡。島内には博物館や防人の万葉歌碑があり、年間25万人もの行楽客が訪れるという。千数百年息づく防人と一世紀にも満たず埋もれつつある基地跡の皮肉。(「風の森」同人)
《参照:琉球「黒島口説」の“気色”に込められた心出発は遂に訪れず――博多湾・能古島の回天基地》
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