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2018年6月28日 (木)

文芸時評7月(産経新聞6月24日)村上春樹 「死」は生き返る=石原千秋教授

はじめの「石のまくらに」は、例によって(そう、例によってだ)大学生時代にふとしたことから一夜をともにした少し年上の、和歌を作る女性の思い出。ところが、この女性はセックスをして「いく」時に別の好きな男性の名を呼ぶのだ。それは「ぱっとしない、よくある名前」だった。しかし、その名前は彼女にとってかけがえのない名前だと理解した。名前はどれほど平凡であっても、人は「この私」でしかあり得ないし、逆にたった一人の「この私」であり得る。柄谷行人は、これを「この性」と呼んだ。予期していなかったが、彼女から歌集が送られてきた。その歌には、「今」とそして「死」があふれていた。いまでも「僕」はその歌を暗唱できる。「僕」にとって彼女は「あの」にはならなかった。「記憶」だけがそうさせたのだ。
 2つ目の「クリーム」は、「ぼく」が18歳の時に、かつて同じピアノ教室に通っていた女性からリサイタルの招待状をもらったがホールには誰もおらず、「人はみな死にます」というキリスト教の宣教車の放送を聞きながら呆然(ぼうぜん)としていると、老人の幻(?)が現れて、「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円」を思い浮かべろと言われる。それは人生で「説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事」に出合ったときに思い浮かべるといいらしい。不可能の繰り返しこそが人生だと言うかのように。
3つ目の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、「僕」が大学生の頃にありもしないレコードについての音楽評論を書いたら、後にニューヨークのレコード店でそのレコードを見つけた。買おうと思って再度店に行ったら影も形もなかった。さらにその後年、チャーリー・パーカーが「僕」の夢枕に立って、「私が死んだとき、私はまだ三十四歳だった」と言って、しかし君が夢で演奏させてくれたことに感謝しているとも言った。「僕」はその夢の「記憶」がなくならないうちに「正確」に書き留めた。やはり「記憶」。

 「三つの短い話」が語っていることはたった一つだ。「記憶」を「あの」にしない方法。それができれば、「死」は生き返るのだと。
参照=早稲田大学教授・石原千秋 「死」は生き返る

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