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2018年6月13日 (水)

文芸同人誌「あるかいど」64号(大阪市)

【「親指の爪」西田理恵子】
 古老の独白文体の作品。太平洋戦争末期の米軍による無差別住民爆撃のすさまじさを語る。古老の子供が孫を連れて遊びにきたので、語って聞かせるという話の設定。過去の出来事の叙述に、創作的な工夫をしているのがわかる。なかで、爆撃の最中に紙屋の親父さんが、家族を抱えたまま、立って死んだという終章などは、この形式でないと、ぴたりと決まらないものであろう。
【「人間病患者」高原あふち】
 作中人物ごとに、その人物の視点で物語を進める視点移動タイプの小説。人物は小野田博、妻の貴子、博の父親の香久山、博の娘である海音。複雑な家族関係のなかを、それぞれの立場から、自分の事情を語るので、関係性はわかりやすい。ただ、作品が長くなるのは、手法上の特性である。にもかかわらず、人物が多いので細部の人物の立ち上げに深みが欠ける。エンターテイメント化してしまう欠点がある。ミステリー小説なら、犯人を追及するとか、意外な動機を展開させる複雑な出来事をわかりやすく語るのに適している。純文学は人間の内面を照らすので、人物が多いのは不利に働く。有馬頼義や野間宏の作品に視点移動の作品があるが、人物の書き分けは2、3人と記憶している。
【「自転車泥棒」高畠寛】
 邦夫という男の閉塞的な心理が伝わってくる。表現力の巧さかから、作者の思うところに抵抗感なくついていける。邦夫は、自転車泥棒の嫌疑をかけられ、ストレスが溜まってキレる話。ここでの警察の対応描写は、かなり実体験に近いものと受け取れる。一般論であるが、警察署ごとに扱った犯罪件数の統計を比較して、署長の成績のバロメータとしているらしく、自転車泥棒の検挙が、件数を稼ぎに貢献しているようだ。
 扱い件数が少ないと、わざと鍵の掛けていない自転車を、路地や公園に放置して、それを離れたところで、警官が見張っている。誰かが通りかって、不審に思ってその自転車に手をかけたり、調べたりしていると、その人間を自転車泥棒の現行犯で捕まえる。それで件数が稼げる。これは、キャリア署長から保険をとった保険会社の女性社員から得た情報である。
【「三つ巴」池誠】
 何の話かわからずに読み進むと、普通の建築工事の合間か、工事を装うかして埋蔵金探している話のようだ。それにしても、滑稽味が薄いのが、不気味。それと、この作品に限らず、作中で夢の中の話を出すがことがよくある。小説の読者が、作品の中に入り込んでいる時は、夢の世界と同じ実体験でない世界にいる。そこに、作中の人間が実体験で夢を見ることを記されることは、二重の非現実体験をさせられることになる。そこに、よほどの強いイメージ力がないと、情景の把握がし難い。これは自分だけの癖かもしれないが。
【旅行記「サラバじゃ」木村誠子】
 アラビアのサハラ砂漠やピラミッドなど、読むだけで行ってきてみたような気分にさせられる。文章での表現の力量が優れている。よく、現地の写真を見せてもらうことがあるが、それよりもこの一文のほうが、面白い。
 その他、メールなどで対話をした「月の満ち欠け」座談会や、「掌編小説集」などがある。とくに掌編では【「朝鮮学校の学芸会」住田真理子】が大阪らしい話で、印象に残った。メディアはトランプ&キム会談の話題でもちきりだが、70年前のこの歴史の過程に生きていた当事者は少なく、自分たちに直接経験のない出来事の波立ちの煽りでその始末することの不合理さを感じてしまう。
発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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