文芸同人誌「群系」第40号(東京)
【「息子と、開運」小野友貴枝】
語り手の「私」は、58歳の働く主婦である。行きつけの喫茶店は80年の歴史をもつという。マスターは寝たきりママの世話もしながらの営業である。こういうところに時代性が出ている。私の息子は、30過ぎてからうつ病と診断され療養をしてるので、母の日の贈り物も届かない。
喫茶店の席には、印鑑屋が若いお客に、高級印鑑と運の良くなる縁起のよいというものを強引に進めている。「私」は印鑑屋が席を外した隙に、若者に自分にあった印鑑を、よく考えて注文するようにアドバイスする。そして、過去に息子の名を語るおれおれ詐欺のような電話に騙されそうになったことなどを思い出す。さらにうつ症状に苦しむ息子に開運の印鑑をつくってやりたいと思う。
エッセイ風だが、いろいろな事件的出来事があって、全体が小説的という、奇妙な味わいが印象に残る。珍しい作風の作品になっている。
【「忘却に沈む」荻野央】
語り手の「わたし」は、夕方にスーパーのイ―トインで缶ビール飲みながら読書をする習慣をもつ。そこは近所のおばさんの女子会の場でもあり、「わたし」と同様の男の高齢者の休憩所でもある。そこ。にやってくる老人の観察をする「わたし」である。作品で見つめるものは、先の見えた人生、廃墟となった家など、寂しく滅びゆく存在物の実存的な風景である。終章に新川和江の「記憶する水」という死後の世界を暗喩する詩を置いて、文学的な魂の表現になっている。ドイツ詩人のリルケの都会もの散文に通じる世界であるが、妙に分かりやすいというか、照明の利いた見通しの良い表現力が魅力であろう。
【「初春のつどい」(前編)富丘俊】
10年前の散歩で知り合った3人のほぼ70代の人物のそれぞれの生活を語る。特に現代政治について、議論をはさむところなどは、誰でも描きそうでありながら、触れることの少ない世相を映す話題性がある。前編とあるが、各高齢人物の家庭事情と生活ぶりを描いて面白く読める。
【MEDIATORS(介在者たち)坂井瑞穂】
アメリカ文学の翻訳小説かと思わせるほど、登場人物がアメリカ人で、ノースカロナイナを舞台にした作家と出版関係者のはなし。アメリカ文学には、多様で自由な形式のものがあって、サローヤンやオコナーのように、取りつきにくい作家もいる。よくわからないが、アメリカ文学らしさを感じる。
発行編集部=〒136-0072江東区大島7-28-1-1336、永野方、「群系の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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