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2018年6月10日 (日)

文芸同人誌「奏」第36号2018夏(静岡市)

【講話録「小川国男―その文学とキリスト教」勝呂奏】
 でかけなくても、講演の内容が分かるというのは、助かるというものだ。対象も幅広い文芸愛好家を対象にしたものらしく、比較的やさしく分かりやすい。
 私が小川国夫を知ったのは「アポロンの島」で、島尾敏雄の高評価で世に出たということぐらいである。その時作者が30代ということだが、自分は作品の私小説なところから、若者が精神的な遍歴と旅を結びつけたもので、作者の若書きと思って読んでいた。本誌の評論履歴などで、大森の教会にいたことを知り、自分はこの土地の生まれなので、地縁のようなものがあるのだな、と受け取っていた。関心は、極限まで切り詰めたと思われる簡素な文章であった。どこまで短くしても、表現力として通じるかの実験をしているような作風に視線がいって、その背景に聖書や宗教的な意味づけがあるとは気付かなかった。
 ただ、地球の乾燥地帯の風土に生まれた発想を、日本人が取り入れるとこうなるのか、という程度のものであった。それでも結構読めるものなのである。
 この講演録によって、宗教者による生き方の追求の文学であることが理解できる。とくに、小川国男の神が「弱い神」であった、という指摘は興味深い。強くない神は、存在する意味があるのか。居てもいなくてもどうでも良い存在なのではないか、というサルトル並みの無関心無神論とのせめぎ合いの問題を抱えていたようにも、解釈できる。しかし、親類にも入信をすすめたというから、やはり元からの宗教者であったのであろう。
【「評伝藤枝静男(第三回)勝呂奏」
 独自の私小説の表現法を開拓したイメージがある藤枝静男である。事実というのは、人によって認識の異なるという現象を巧く活用して、新境地を開いた作家のように思える。
 医師という職にありながら、作家として世に出る、あるいは出たい、という自己表現者の意欲がわかる。それが「近代文学」という文壇との渡し船に乗った事情がこの評論でわかってくる。作品には文芸評論家に失敗作とされるものや、成功作とされるものが、あるという。
 そのような、ムラがあるというのは、自己表現者の藤枝にしてみれば、どれも独自の個性を表現した同等なもので会ったのかも知れない。充分個性的なものは、その人だけがわかるもので、他者には理解不能なところがあるはずである。個性的なものを書けという編集者の言葉を信じてはいけない。それは、凡人の理解できる範囲においての話であろう。
 興味深いのは、評論家に出して「一読してイヤなところがある」ということを気にしているというところである。そこには、自分の本音のところを、客観的な自己意識でなぞると、美意識的に一致しないという認知的不協和が発生するという現象ではないか、とも思える。本心を出し過ぎたと思うと、そで良いのかと落ち着かなくなることがある。
 本質的には、事実的なところを歪んで認識すると、独自の表現として表れる面白さに、藤枝は取りつかれていたとも、勝手読みしてしまうところもある。
 そう考えると、あのへんな事実的な話から異世界に進入する歪んだ作風の所以がわかるような気がする。
【小説の中の絵画(第八回)「森茉莉『ボッチチェリの扉』(続)-硝子戸越しの部分画」中村ともえ】
 森茉莉を全く読んでいないので、歯が立たないのだが、このなかで「贅沢貧乏」の主人公・牟礼魔利が注文に応じて小説を書こうと奮闘している、という件りがある。どうやって小説を書こうか、と苦労する。たしかに、どうであれば小説で、どうでないと小説でないか、本来は大変な工夫がいるのであろう。しかし、同人雑誌の作家たちは、いとも簡単に小説を書きあげてしまう。読む立場からは、これは小説になっていないのでは? と疑問をもったとしても、「小説でないものを、小説として読んだ」とは紹介しないのである。べつに買い求めたものではないので、贅沢はいえない、唇の貧乏である。
【「堀辰雄旧蔵洋書の調査(十三)-プルースト⑦」戸塚学】
 資料研究家のなかのマニアかオタク的なデータ―ストック。堀辰雄研究者がいたら、こういう資料の存在を紹介しておこう。
発行人=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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