総合文芸誌「ら・めえる」第76号(長崎市)
【「疼く街」櫻芽生】
雪乃は思春期に、家族の居ない時に、家で昼寝をしていると、いつの間にか大家が合鍵を使って、家に入り込み雪乃にのしかかられる体験をしていた。肉体的な傷は受けずに至ったが、その恐怖感は、暴行されたと同様であり、心に深い傷を残す。そのことは大学に進んでもトラウマとして残り、男性に対する「ケモノ」意識は消えない。
それは成人男女の交際にも支障をきたす。そのなかで、女遊びの巧い妻帯者の淳一郎と知り合い、誘惑に乗って関係をもつ。妊娠をしたが、男は中絶すればよいことと、言い切り縁遠くなる。しかし、それでも淳一郎は、妊娠中の雪乃にふたたび接近してくる。そ
こで、雪乃のケダモノ感覚が沸き上がり、男を刺してしまう。
構成にひとひねりがあり、文体はですます調で、文芸表現的に含みの多い意欲作。現在、セクシャルハラスメントにおける、女性の心の傷の深さにスポットがあてられているが、その流れを反映して、すばやく作品化されたところに、多くの女性たちの男性社会に抑圧さてきた様子が推察できる。
【「人事今昔物語―人事部S君の苦悩―」関俊彦】
おそらく事実は、歴史をもつ大企業の話であろう。S君が人事部に配属されて、それまで知らなかった総務の人事部のさまざまな、特別な仕事の多さにおどろくという体験談。
給与の振込口座の別口システムがあったのが、それをなくしたら、社員が愛人をかこっていたことはわかるとか、社会の有力者や得意先大企業の係累だと、無能でも採用しなっければならず、その対応に苦慮するなど、とにかく面白い読みものである。
【「富の原伝説」古道まち子】
歴史的にみると、古代から九州全体が自治独立体の集まりであったろう。長崎県大村市富ノ原にも古代の遺跡があるという。その状況の説明がある。すると、その語り手が、透明な存在となって、その時代にタイムスリップし、本土権力と富ノ原の人民との交渉に巻き込まれる。こうした地域の知られざる歴史に興味をもたせる巧い手法と感心させられた。
【「核禁止条約成立後の廃絶運動探って」嶋末彦】
いかにも長崎の地域性を前面に打ち出した評論である。条約の決議の時に、日本政府の欠席に失望する田上市長に手元には、故人となった長崎原爆被災者協議会の谷口稜瞱会長と土山秀夫・元長崎大学学長の写真があったという。また、安全保障関連法を憲法違反だとして、提訴した長割き被ばく者たちの法廷口頭弁論の様子が報告されている。
【「プラトン初期対話編三編」新名規明】
作者者は、これらの哲学書を文学として読むという姿勢を示している。ソクラテスは前399年、70歳で刑死。アリストテレスが生まれたのは前384年。ソクラテスの死後15年が経過。
プラトンは、ソクラテス刑死の時、28歳で直接指導を受けたという。アリストテレスはソクラテスと面識がなかったという。そうなのかと、勉強になった。細部は理解できないが、人間社会での「真」「善」「美」の価値観がこの時代から存在していたことは、証明されているようだ。
ということは、現代において、何が真善美であるのか、価値観の変化があるのかないのか、問いかける気持ちになった。アリストテレスの論理的な分類手法と、ソクラテスとプラトンの漠然とした「イデア論」などに対応した現代会批評の基礎をまとめてみたものも読みたい。
発行所=〒850-0913長崎市大浦町9-27、田浦事務所。「長崎ペンクラブ」
紹介者=「詩人回廊」北一郎
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