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2018年5月 2日 (水)

文芸同人誌「弦」第103号(名古屋市)

【「サンバイザー」木下順子】
 主人公の現在の「わたし」は、この1年間は夫との夫婦の営みが出来ずにいる。本人は初めての妊娠で六カ月の早産をしたが、保育器の中の赤ん坊は死んでしまう。その喪失感の強さから、妊娠恐怖症になっている、と自覚している。
 夫は妻の心境を理解し、夫婦の営みのないことに、妻を責めることはしない。そんな、夫に対する罪の意識と、不安定な精神状態で、息苦しい思いをかかえて生活する様子を描く。なかで、夫が女とラブホテルに入るのを目撃したりするが、それが事実なのか、妄想か曖昧である。
 子供を早産でなくした心の傷は、周囲には秘密のはずだが、知られているらしいとか、思い過ごしの日々が語られる。終章では、ネットで、同病の女性の体験談に、心を励まされるところで終る。タイトルの「サンバイザー」は、主人公の自分を前面に打ち出せない性格の暗喩のように受け取れる。
 同人誌には、長くは書けない事情があるので、短く雰囲気をまとめた意味では巧い。しかも、状況の曖昧なまま生活していくということも、いかにもありそうである。物語的な強調をすれば、妊娠恐怖症の妻と夫の問題にもっと深く追求することが必要に思う。しかし、現実にはこの作品のようであることも不思議ではない。するともっとも現実らしさを表現して問題提起をしているのか、主人公への現実批判の意味があるのか。考えさせる点で、純文学的である。
【「風は木々を揺らす」長沼宏之】
 詩的なタイトルであるが、語り手は企業のプライシングマネージャーという仕事をしている。いわゆる値決めをする部門だが、製品や企業によってシステムが異なるであろうから、象徴的な設定かも知れない。とにかく、職場で有能な感じの良い社員に出会うかが、同性愛者であることから、周囲の違和感のなかで、退社して新しい船出をする。
 大変に優しい書き方で、共感的な態度でそれを見守る。LGBTが題材の作品が、肯定的に書かれるということは、同人誌に時代背景が強くでているということで、世相を反映している。
【「ある禁忌」高見直弘】
 漁村で、漁師の間で黒入道が出るという伝説があって、その現象を描いた奇譚。船の上で性事を行った女が、黒入道にさらわれたか、消える。漁師と海の自然の関係に性をからませたのは、なるほどと思わせるところがある。
【「ふたりのばんさん」山田實】
 語り手は、ある部分だけ記憶が薄れる高齢の男。老境小説、高齢者小説、終活小説など、さまざまな呼称がつけられるような、作品が多い。これもそのひとつか。同人誌仲間など、年齢をへて死にゆく女性の記憶をたどるところが、特性か。
【「林間に遊ぶ-8―」国方学】
 図書館に置いてあった文芸同人誌に出会い、その中の作品に自分の心境と重なり合うもの見つけ、合評会に出てみる。批評の出来る人が会の盛り上がりをはかるが、あまり感謝されていない様子が活写されている。作家として、いいところまで世間に出て、その後鳴かず飛ばずのような同人誌作家にもであったりして、なかなか面白く読ませられた。同人誌の同人でもないのに、作品を読むというのは、この欄に共通した視点でむある。
【「ワーゲンの女」空田広志】
 定年退職後の趣味に卓球のグループに入会した雄介。妻はまだ看護師をしている。卓球クラブに入るにも、スポーツ根性があるせいか、なかなか厳しい。男女の組み合わせで、色香の匂いがあるのが、楽しい。話の視点移動も自由で、突然、他の人の気持ちに入ってしまう。のびのびとした精神の有り様が面白い。結構長いのは、内容的な完成度をより、書く行為を重視したことか。
【「悲運の戦闘機」(1)(下八十五)】
 歴史的な資料として、自分の知らない出来事なのだが、なんとなく、重要なような感じがした。「暮らしのノートITO」のなかに、一部抜粋してみた。
発行所=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3-4-27、「弦」の会)。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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