梶井基次郎の美と憂鬱の定着点
桜の季節である。会員か良い写真が送られてきたので「桜の樹の下には 梶井基次郎」に採用してみた。梶井は結核を病んでいたので、常に死と向き合わされていたであろう。つねに死に至る憂鬱がつきまとう。そこに桜の美し生命の開花を観た時に、憂鬱と美意識の擾乱がおきたのであろうか。憂鬱な気分の時にロックが鳴り響くようなものだ。そこで、この美しさは死者の上に成り立っているこそのものと、イメージする。そのことで、憂鬱さの落ち着きを取り戻す。
本来はこれは詩であるはずである。しかし、詩では表現できない情念を表現するためには、言葉の関係性をからめた散文になるしかないのだ。菊池寛は「詩はなくなる」と予言したが、これはそれを証明するようなものになっている。ここには詩的でありながら、あくまで明瞭な風景と情念の関係がある。(北 一郎)
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