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2018年4月 2日 (月)

望月氏による文学フリマ運営の経過談話から

  文学フリマの始まりといえば、2002年の「群像」6月号に大塚英志氏が、「不良債権としての文学」を執筆し、そこから純文学会の手詰まりを打開する方策のひとつとして、文学フリマの提唱をしたことは、知られている。
 ただ、これには、その前段階として、大塚氏が東京新聞にコラムで、出版社の純文学部門は、マンガ本の収益で純文学の赤字を埋めている現状を指摘していたのだという。
  その評論に関し、大塚氏がそれを書いたのを忘れた頃に、純文学側の笙野頼子氏が、激烈な反論をした。
 これ対応して大塚氏が「群像」6月号に、今後の対策を提案したのだという。
 そこで、いくつかの提案をした。そのなかに社内起業しての文学の独立分離化、作家の自己負担によるPR、読者の負担、フリーマーケットの創設を提案した。
 望月氏は、「これらの提案の一定の正しさは現実が証明している。そこでは、単なる笙野頼子氏への反論でなく、批判の是非の域を超えていた」ことで、現在の文学フリマの拡大があるのだという。
 これは、国分寺「胡桃堂カフェ」での談話であるが、このイベントに参加した人の多くが、文学フリマに行ったことがない人たちだというので、ここに記しておこう。《参照:望月「文学フリマ」事務局代表とトーク=影山「クルミド」代表

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