「文学が人生に役立つとき」の時代把握の仕方
ぼちぼちと買い手があらわれてきた「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)。これは、文芸同人誌に参加している人向けではない。同人誌作家は、自分の作品についての関心だけで、世界の人間の考える情況になど関心がないはずである。じぶんあくまで一般人向けのもので、モダン時代とポストモダンの共通点と、異なるところを事例で、説明している。
時代が異なるということは、社会の姿が変わることで、「旧人類」と「新人類」との根本的なちがいを、子ども時代の社会との接し方が、団塊の世代までは「旧人類。親の家業の生産を手伝うことで、社会を知った。生産者体験。「新人類は」テレビ番組で「初めてのお使い」が人気を博すように、消費者としての社会接点経験がある。
本書では、言及していないが、子ども自殺は「旧人類」には少なかったはず。なぜなら、家業をもっていれば、子どもは重要な働き手であって、親にとって必要としてることを自覚しているはず。その存在感を子どもの心を強くしていたはず。ふと、そんなことを思いついて、次の評論には、これを追加しようと思った。
最近、図書館で、菊池寛「半自叙伝」を読んだら、もともと、作家に離れないだろうと思って、文学部の教師になろうと考えていたそうである。なるほどと思った。彼の文学論には、日本と世界の作家の個性のちがいなどの評論が存在してる。現代で、そのようなことのできる作家はいない。
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