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2018年4月30日 (月)

文芸時事月報から文芸研究月報まで

 文芸誌「みなせ」に<日本文芸界の新聞情報記録―二〇〇一年六月版―伊藤 昭一>投稿。
ここに記録されている記事をみると、このころから、現在の現象が起きていることがわかる。
ーー際立つ文芸書不振/出版を問う・揺れる版元〈2〉】(毎日新聞六月二〇日・夕刊=岸俊光、大井浩一、桐山正寿)=文芸書の売れ行きが不振。昨年の年間ベストセラーのランク二十位以内(トーハン調べ)に日本人の小説作品が一つも入らなかったのは、九十年以降初めてだという。「そこそこ売れる、ということが許されなくなっているのでは」と「文学界」細井秀男編集長(四九)。
  「両村上などの人気作家を除けば、活躍中の作家でも部数が限られ、作品に触れる機会さえ少なくなった」「売れる本だけが売れ、他の本はほとんど売れない」という二極分化極端なまでに進んだとの認識は「群像」籠島雅雄編集長(五五)や、文学関係者共通したものだとする。文芸評論家の川村湊氏は「大量生産大量消費のマーケットとは別のルートで、純文学作品の扱いを考える時期にきている」と指摘。そのなかで、幻冬舎の石原正康常務(三八)は、もう一度、人々を本に振り向かせるのが仕事」とし、七月に第一回受賞者の決まる「幻冬舎NET学生文学大賞」に期待を寄せている。電子メディアで文章を書き慣れてきた世代が狙いだという。
【出版界は四年連続マイナス成長、新刊書は過去最高】(朝日新聞六月二十日・朝刊)=出版ニュース社の「出版年鑑二〇〇一年版」によると、出版物の売上げは、二兆五千百二十四億円(書籍一兆百五十億円、雑誌一兆四九七二億円)で前年比一・七%減。四年連続のマイナス。一方で書籍の新刊は六万五〇六五点で、前年より二千四百四十四点増えた。これは出版社が一点の部数を抑え、そのかわりに試行錯誤的に新刊を出している一部の出版社は、新刊を出すと取次ぎ会社が代金を前払いする仕組みを使い、資金繰りのために新刊を出す「自転車操業」の影響、としている。ーーさらに【衰退する文庫、専門書市場/出版を問う・揺れる版元〈3〉】(毎日新聞六月二一日・夕刊ーーと続く。
 こんなこ記録を作り始めたのは、自分が副業としていたライター業を本格的に拡大しようと、書きもののヒントとして、5大新聞の文芸欄の情報を集めたからだ。
 そのときに、過去の記事の詳細を知ろうと、その記事について、全文を読みたいと電話したところ、なかなか答えが返ってこない。なんと一時間近く電話で待って、返事が来た。
 これでは電話代がたまらない。そこで、新聞記事のコピーを保管することにした。しかし、ワープロが安くなったので、その記事コピーの概略を入力した。その時に、新聞名yと日付を入れなければ、あとで調べられない。
 そこで、記号化することにした。現在ならば、2018年であるから、「18」5月は「05」30日は「30」、そして新聞名は、読売新聞なら「Y」、朝刊はモーニングの「M」夕刊はイブニングの「E」これで、(180530YMM)で読売新聞の今日の朝刊とわかるわけだ。新聞記者名も重要視した、いざとなればその記者を訪ねて話をきくつもりだからだ。当初はあくまで、自分専用のデーター集であった。
 しかし、ひとりの個人が必要とすることは、ほかにも欲しい人がいることだとわかったのは、これを3か月まとめて同人誌「砂」に発表した、というより記録保存をしたのだ。
 記憶では、「石に泳ぐ魚』(柳美里)の作品訴訟の是非をめぐる各界の反響や意見をできるだけ要約して集めた。そのうちに、読者の2、3人から毎月作るのだから、それを打ち出してコピーしてくれないか、という話がでた。
 当時、3カ月分を同人誌に載せると、費用が6,~7万円かかった。そこで、独立して20部でもコピーして渡していた。それが、読者が多くなり、印刷するまでになった。B5版10頁、上質色紙100部印刷して3万円くらいだったとおもう。

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2018年4月28日 (土)

雑誌「弦」の番外編としての、「悲劇の戦闘機」(1)(下八十五)

  「弦」103号が到着して、一番先に読んだのが、「悲劇の戦闘機」(1)(下八十五)である。ここには、戦闘機の製造のための生産管理の当時の現状が、よく記されている。当時は、コンピューターを備えたNC旋盤がなく、良い製品を作るための用具の開発から描かれている。また、また未熟な技術者によるお釈迦失敗作)の出し方もすごく、採算を無視した国策のムダが表現されいる。文芸的な作品ではないが、同人誌ならではの、自由な表現力の発露として読める。《参照: 「悲運の戦闘機」(下八十五・著)に読むモノ造り(1)=「弦」103号》
 さらに、戦闘機の開発NOまで、記録されている。製造現場での出来事を語ることで、日本社会の精神性まで浮き彫りにするのではないかと、期待してしまう。私自身は、1942年生まれであるから、1歳の時のものである。シンガポールを昭南島といっていたが、それから間もなく、作者はすでに製造現場についているので、知らないことばかりである。戦線拡大で状況が悪くなっていることが、ここでは間接的に示されている。

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2018年4月26日 (木)

日本文芸界の新聞情報記録=文芸時事月報の特性

 文芸誌「みなせ」に<日本文芸界の新聞情報記録―二〇〇一年六月版―伊藤 昭一>投稿。
  会員制情報紙「文芸時事月報」の創刊直後の号からその一部を公開したもの。しかし、これにはトリッキーな仕掛けがあった。この記録は、要約であるが、それの全文が知りたいときのために、工夫がしてある。
 それをたどるのには、新聞記事の日付が必要だ。
 そこで、もとの月報には、次のような決まりがあることを読者に知らせてあった。
ーー〔数字は新聞等記事掲載日付、英文字は新聞、雑誌名略。例/ME=毎日夕刊、AM=朝日朝刊、TE=東京夕刊、ZBGK=雑誌「文学界」、ZGUZ=雑誌「群像」など〕
たとえば、【「本を読まないで書いた」群像新人賞受賞者・萩原亨さん】コラム〈このごろ通信〉大井浩一記者=
には、見出し頭に月報では(010601MM)の記号がある。これは2010年6月1日、新聞名は毎日(M)朝刊(M)という意味だ。この当時、NECのワープロ「文豪」を使っていたので、そこにソート機能があった。そこで記号化しておけば、新聞名と日付から元記事を探せるようにしたのだ。
 ただ、新聞記事の要約に対しては、新聞社ごとに著作権意識が異なる。要約集も著作権違反とするところ。それから、新聞名と日付をフクすれば、黙認のところ。
いづれにしても、記事クレジットが記号では、論外。ただ国会図書館は、むこうから逐次刊行物のナンバーをつけてくれたものだ。

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2018年4月24日 (火)

中沢新一「レンマ学」と金剛経

  「群像」2月号から中沢新一「レンマ学 方法序説(1)」 があり、3月号に同(2)と連載している。なんでも、「ロゴス」の対語が「レンマ」だそうで、-ーロゴスの語源は「自分の前に集められた物事を並べて整理する」こと、レンマの語源は「事物をまるごと把握する」ことだという。知らなかった。
 これを読んでいると、存在物の関係性を因果律としてとらえ、仏教の縁起の論理がそれらしい。
 マルクス経済学では、眼のつけどころは、人により異なるが、経済学批判として、人間の生産関係の原初に、自然土地との関係から始まることが意識されている。疎外論もこの辺から始めれば、道がありそうだ。
  それが社会の発展段階論(ヘーゲル)での批判となるのだが、だいたいマルクスが批判するプルードンなども、ちょっとそれに手を加えたような、それに自己理論が似ているので批判するということがありそうだ。
 中沢理論序によると、これらが、ロゴスの世界で、「並べて整理する」世界把握に必然的に持ち出される因果率の視点、分割による局所性。それゆえの線形的な時間概念、過去・現在・未来--となる。
  それが、ーー科学の最先端としての量子力学によって示されたのは、「縁起」的な世界観だったーーというので、量子力学が縁起まできたのかと驚いた。
 縁起というのは、木を燃やすと炎になり灰になるが、その変化の化学変化の段階はわかるが、なぜそんな現象が存在するのかはわからない。わかっている人もいるだろうが、自分にはわからない。燃える前の木はどこにいったのか? 消えた炎はどこに行ったのか? 謎である。
 ところが、金剛経には、時間の間隔について、「現在心不可得、過去心不可得、未来心不可得」とある。中沢論には「華厳経」の縁起が対象になっているが、自分は「金剛経」の方からも読める。《参照: 「金剛経に一生を捧げた 濱地八郎天松居士」の周辺(2)》


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2018年4月23日 (月)

詩人囲碁会の合宿に

 このところ膝の痛みで、外出を抑えめにしていたが、年一回の「詩人囲碁会」の合宿に湯河原で一泊。膝の痛みもそれほどでなく、ゆっくりと交流を楽しめた。《参照:詩人回廊

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2018年4月21日 (土)

権力と権威の意向と表現

 今生天皇の退位が決まったが、この決定には法的な問題があって、政府も苦労していろいろ考えた形跡がある。英国のエリザベス女王は90歳、皇太子は70歳だ。女王が退位しないのは、王女のときから生涯をささげると宣言したとされるが、国情の安定に協力するという事情もありそうだ。
 日本では、たまたま安倍政権のこれまでの安定ふりから、さほど異論が出ないのであろう。議員を引退した亀井静香氏は、いぜんから、政治権力に対し、天皇の権威が、政治のバランスをとるに役立つとして、退位に反対の立場である。《「暮らしのノートITO」での記事「亀井静香氏、日本国民が独立国家ではない状況を良しとしている」では、文字化していないが、動画の後半では、この問題について、自分が質問をしている。

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2018年4月20日 (金)

「砂」に読む2017「文学フリマ東京」出店録の余話(2)   北一郎

          ☆
 この文学フリーマーケットの発祥は、文芸雑誌「群像」に、マンガ原作者であり、社会的文化評論家である大塚英志氏が、大手出版社の純文学雑誌(「群像」、「文学界」、「新潮」など)の発行が、赤字となっており、出版社のまんが本による利益を食いつぶしているーーという趣旨の評論「不良債権としての文学」を発表した。
 そこには純文学作品が出版社の赤字のお荷物になると、やがて発表の場が消滅するか、純文学の質的な純粋性が失われるかもしれない。そうした危機感から、大塚氏は書き手自らが読者に作品を売るフリーマーケットを開催しようと、呼びかけたのです。
 その前年に、文芸同志会を一人で設立していた伊藤昭一が、文芸界の情報を集めるキューレーション新聞、「文芸研究月報」を発行していたので、その情報を得た。
 そこで、大塚氏に参加したいという手紙を書いた。すると、本来はもっと参加者が多いと思っていたが、予定の半数であるが、開催をしたいので、支援してほしいという返事が来た。そこで、大塚氏からチラシ(フライヤー)をもらい、文芸研究月報の読者である文芸同人誌に、それを配布し、参加を呼び掛けた。
 そのことによって、「群像」の読者で、マンガやライトノベルを中心とした大塚イズム賛同者のグループに、伝統的な文芸同人誌が多く参加する結果になったのである。しかし、いざ参加してしまえば、どこからそうした情報を 得たということは、忘れられる。運営者が代替わりしたらなおさらです。
 伊藤は、ちょうど「特選小説」という雑誌の編集部に創作を売り込んだところ、純文学的な官能表現部分を一部誇張して掲載された。(伊藤の記憶では、同誌にはかつて菊村到や勝目梓などの作家が書いていた。それが官能小説中心になっていたのである)。
  その後、それに女性の読者から本作が官能小説ではない文学性があるという投稿があった。編集長は官能小説雑誌を主婦が丁寧に読んでいることに注目。次作の注文を出し、伊藤鶴樹という筆名で、ロマンポルノの小説復活させる新人作家として、表紙にうたって作家デビューした時期でもあった。そこで、プロもアマも同時の文学市場で、作品を売るというのは、大変都合が良かったのである。
  第1回文学フリマの参加では、「砂」の会員も沢山いて、作品展示者も多かった。なかには作品を文芸春秋社の新人発掘担当者に読んでもらった人もいた。終わった時には、渋谷の飲食店で打ち上げ会を実施した。
  反省会でも、文学賞受賞に近い位置にいる新人作家の出店もあって「なかなか華やかだった」ということが話合われ、盛り上がった。その人たちのメンバーで、現在も会員でいるのは山川豊太郎氏と江素瑛氏と北一郎である。
  ただし、「砂」誌と文芸同志会の連携による文学フリマ参加活動は継続されてきた。 (つづく)
本稿は雑誌「砂」136号に掲載のーー「砂」の会と文芸同志会が2017文学フリマ東京に出店(北 一郎)-を連載形式で分載するものです。《参照:雑誌「砂」のひろば
文芸同志会の出店風景

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2018年4月19日 (木)

個人事業者」の平均年収365万円への関心

かつて「響ルーム」として事業をしていた時は、かなり収支の不安定さに悩まされたもの。当たり前ですが、事務所が維持できない時が、やめる時期でした。やめるといっても、いくらかの契約があれば、休業を予告しながら残務処理しました。本サイトの拠点検討も、状況を反映してのことです。《個人事業者」の平均年収365万円

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2018年4月18日 (水)

中学3年女子が盗んだお金をもらった同級生の立場は?

  友人宅から現金1千万円を盗み、同級生に配ったとして、警視庁少年事件課などは16日までに、窃盗容疑で東京都江東区に住む中学3年の女子生徒(14)を逮捕した。容疑を認め、「遊びに行った時に2回盗んだ。同級生に仲間外れにされていると感じ、ストレスがあった」と供述しているという。
 同課によると、被害に遭ったのは小学校時代の友人宅で、女子生徒は頻繁に遊びに行っていた。
 女子生徒の母親が2月中旬、生徒の部屋のクローゼットから、トートバッグに入った帯付きの現金1千万円を発見。生徒は「知らない男から預かった」と話した。母親は事件に巻き込まれたと心配し、現金を自室に移したが、生徒は隙を見て持ち出し、校内などで同級生約10人に数十万~100万円を配ったという。(2018/04/16-12:30)
  事件として、報道されたものだが、では、このお金を渡された友だちは、どんな気持ちであったか? である。
  ーーいかにも現代的な出来事に感じそうだが、実はこれに類似したようなことを起こす世代であることが、小野友貴枝氏の本《「夢半ば」日記》の第1巻を読むと記されている。それは昭和29(1954)年の中学2年の日記であある。
 それは、知らずにものを受け取った体験の感想にある一部抜粋を交えて説明すると、
ーー私にはひとつの心配事がある。どうしようと思うが考えつかない。--それは同級生のKちゃんが、家のものを盗んできて、2組のひとたちにくださるので、お母さんがとても怒っているという。小野さんもいらない、いらないと言ったのに、みんなが受け取っているというので、もらってしまったのである。実はそれは、Kちゃんが勝手に家のものを持ち出して、配っていたのを知ったのでに、悔やみ反省し、明日どうするか相談しようと、日記に記している。
出来事として共通するのは、中学生のクラスでの存在感を高めたい、という心理によるものである。しかし、違いは、1954年の当時は自宅の物を使ったのに対し、他人の家の現金を盗むということである。
 物品lら現金に変わって、しかも他人の家の金を盗むという、中学生でも犯罪とわかることをも、あえてする意識である。
 この違いを考えると、この現金をもらってしまった、同級生が、日記にある小野さんのような、良心的な潔癖性をもっていることは可能なのか、どうかである。
 とくに、小野さんが大人になってから、苦学をしながら、社会的に貢献する仕事で、その地位を築いたことを、考えると、日本人の過去と現在、強いては家族関係の価値観などが、まったく異なる社会になっていることがわかる。
 現在の大人社会の現状を反射する鏡として、「夢半ば」日記を読む意義は深いのである。

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2018年4月17日 (火)

「砂」に読む2017「文学フリマ東京」出店録の余話(1)   北一郎

  文学作品のフリーマーケット即売会の第「二十五回文学フリマ」が東京・平和島の東京流通センターで開催され、そこに文芸同人「砂」の会と文芸同志会(伊藤昭一代表)が出店し、発行作品を販売した。「砂」と文芸同志会は、第一回の開催から協力参加しているもの。
  展示販売作品は、文芸同人誌「砂」と、山川豊太郎の漫画研究評論の冊子「志村貴子『放浪息子』」(文芸同志会発行・三百円)、「成人男子のための『赤毛のアン』入門」(同)。
  伊藤昭一の著作物の「なぜ「文学」は人生に役立つのか」(五百円・文芸同志会発行)の1部編、Ⅱ部編。「野上弥生子の文学とその周辺」(伊藤誠二編著・草場書房発行)(本体・千円+税)、本書は、野上弥生子の想い出とその文学について語った随想集。伊藤昭一、浜賀知彦、野上燿三、伊藤誠二、岡田すみれこ、石塚秀雄、日野多香子、山下博などが、執筆している研究書である。
  これらには、かつて「砂」誌に掲載したものに加筆したものが大部分である。とくに、山川豊太郎と北一郎の共同作品集「カフカもどき」と伊藤昭一が菊池寛の「作家凡庸主義」という論をもとに、文学創作のカラオケ現象と、現代文学を比較した評論冊子などはそうである。売れ行きは上々で、幾つかの本は売り切れた。
 今回のイベントでついて、販売カタログで、主催の望月倫彦・文学フリマ事務局代表が巻頭言を下記のように記している。
【望月倫彦代表のカタログ巻頭言】
 「第1回文学フリマ」は2002年11月3日、青山ブックセンター本店に併設のカルチャーサロン青山というスペースで開催されました。そのときの出店者の数はおよそ80。その「第一回文学フリマ」会場で、ひとりの出店者として自作の本を携えてブースに座っていた私は、「文学というも名のもとに、こんなに大勢の人が集まるものなのか」と密かに感動を覚えていました。
 それから十五年が経ちました。本日の出店者数はおよそ800。第一回目のちょうど10倍です。ただの「文学フリマ」は、「文学フリマ東京」になりました。なぜなら、全国各地で開催されようになったからです。
 もし、文学フリマがこれだけの規模になると最初から教えられていたら、自分は代表なんて引きうけなかったかも知れません。でも、一五年前にそれを予想していた人は誰一人としていいませんし、そう教えられたとしても自分は信じなかったでしょう。今日の文学フリマは、第一回目の頃には想像もしなかったような地点に立っています。
 今回のカタログでは文学フリマ十五周年記念の企画として、コミテティア実行委員会代表の中村公彦さんに対談をお願いしました。「COMITIAI22」と「第二十五回文学フリマ」が同日開催となった今回、このような企画を快くお引き受けいただいた中村さんにあらためて感謝申し上げます。中村さんとの対談はとても刺激的な体験でした。
 十五周年で過去最多の出店数と言いつる、いつも変わらない文学フリマです。今日ここに集まった作品を、各々で楽しんでいただければそれだけで幸せです。
2017年11月23日
   文学フリマ事務局長 望月倫彦
                             (つづく)
本稿は雑誌「砂」136号に掲載のーー「砂」の会と文芸同志会が2017文学フリマ東京に出店(北 一郎)-を連載形式で分載するものです。《参照:雑誌「砂」のひろば
文芸同志会の出店風景

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2018年4月16日 (月)

文芸同人誌「石榴」第19号(広島市)

【「クリスマス」木戸博子】
 主人公の私は、妻子ある男の子供を宿した身体で、それを相手の男にも、家族にも告げていない。どうするのか? この課題をかかえたままのなか、認知症の祖父が、徘徊中に足を骨折して入院する。私の両親も加わって、祖父の対応に追われるクリスマスシーズンである。
 構図的には、老衰期に入っている祖父の認知症的な反抗行為、それに新しい命を宿した私。対応に追われる家族関係から、人生における現代への問題提起がされている。なかでも、認知症の祖父の行動に細かな描写が集中しており、その不合理な反抗ぶりが、小説的な構図のなかにおさまっている。創作的なパターン化が見える。祖父の認知症の対応に加わりながら、私は子供を産むことを決意する。日本の家族関係は、さまざまな形態が生じて来ている。それを認知症の祖父の介護問題と絡めたところが、女性らしい作者の視点がユニークである。
【「写真家宮内民生の到達したもの」篠田賢治】
 目次には、作者が高尾祥平となっているが、どちらかが本名なのであろうか。写真家・宮内民生という人の作品評論の体裁をしている。しかし、内容はベンヤミンや、フッサールの現象学の視線からみた、映像表現・言語・コラージュなどの、複製芸術論のようになっている。アクロバチックな、論証展開であるので、なかなか解釈が難しい。現在の二次創作的なジャンルや、シュミレーション的コピー表現論にもつながるのであろうが。ありきたりの芸術評論の平板さを避けようとする、作者の特有の手法であろう。
発行所=〒739-1742広島市安佐北区亀崎2-16-7、「石榴編集室」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2018年4月15日 (日)

事実に創作が追い付かない(コミックを除く)と

 従来、小説は日常生活の退屈を紛らわすものであった。それが、リアルかリアルでないかなどは、棚に上げていた。しかし、最近では、滋賀県彦根市の交番で巡査部長が拳銃で射殺され、殺人容疑で部下の男性巡査が逮捕されたとか、身内を片端から殺してしまう男とか、脱獄した男が逃げおおせているとか。リアルでないような事件がリアルなのである。これを文学的に人間の内面を説得力をもって描くというのは、至難技であろう。起きたのだから、本当らしいということでしかない。
 そうなると、身辺雑記の何事も起きない話の方が、心を癒してくれる時代になった。最近のTVドラマや映画の原作がコミックだというのも、その中間のカルチャーとしていいのかも知れない。

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2018年4月14日 (土)

文芸同人誌「澪」第11号(横浜市)

【「プロペラ地蔵」石渡均】
 相模原市の小田急線の付近をオダサガというそうである。主人公は、作者と等身大らしきプロのカメラマンで、写真家育成専門学校の講師もしている。若い頃は時代のニーズにマッチした写真集が出せたが、年齢が高くなると、写真集が売れなくなる。そこから妻から離婚の申し出を受けている。その設定が自由な精神と行動を可能にし、物語化に便利である。
 相模原の町のいわゆるそこらの風景描写が、さすがカメラマンと思わせる。丁寧さが光る。弘明寺や戸越銀座の場所も懐かしい。プロペラ地蔵の怖しいような逸話にも存在の説得力がある。だが、話の軸は、教え子や、紹介されたカメラマン志望者たちの自殺してしまった若者の話になっている。
 三人の自殺者の関わりを描くが、彼等の内面に迫ることができない。どうにか化出来なかったのか、という思いは伝わるが、世代の異なる自死者たちの心はわからない。この分からないことの報告の作品となっている。
 散漫のような話の手順だが、読んで飽きない。多様性のなかで、妙に集団性が崩れない日本社会の描き方の一つであるかも知れない。
【「大池こども自然公園生態系レポートⅡかいぼり編(下)」鈴木清美】
 池のかいぼり作業が、テレビ番組にもなった。自分も、かいぼり後の井の頭公園に行ってレポートをしているので興味がある。
 ここでは、地元の写真家による横浜・旭区の「大池」のかいぼりと、その地域の歴史、生態系がレポートされ、見事な写真もある。とくに、外来魚アリゲーターガーの水面浮上の写真が見事にキャッチされているのが、すごい。アリゲーターガーは、自分が大田区の吞川の近くに住んでいた時に、池上本門寺近くの川にガ―が3匹はいるらしいという目撃情報があった。それが5、6年前から目撃されている、というので、時折、川沿いを探したが見つからなかった。ところが横浜の外来種捕獲ボランティアがやってきて、捕獲した。テレビ放送までついて、見事2匹を捕獲した。
 また、自分はライブドアのネット外部ニュース記者として、多摩川の「お魚ポスト」を取材した。たしか稲田堤の近くだった。現場で池の写真はとったが、管理者に会うことが出来ず、ボツ記事にした記憶がある。それはともかく、ここでは、外来種生物との生態系を乱さない共生的思考などが記されている。また、池の魚や野鳥への一般人による過剰な餌やりなどの問題提起がある。
 同感するし、実際に独り暮らしの友人が、野良猫に餌やりするので、近所からクレームをもらったりし、当人も癖になり、病のようになっているので、他人ごとではない。とにかく、こうした記事は、フクションより面白いところがある。
【「ウメとマツ」鈴木容子】
 ウメとマツは、よしお君が飼っていた猫の名前である。話は昭和50年から60年頃のものだが、ポイントは視点がよしお君だけでなく、猫にも移動したように書かれている。短編で視点の移動は、失敗するとされている。だが、ここでは、それが欠点というより、自然で人間の幻想を見る存在としての進化の途中であるような現象に読めた。
【「針鼠二人」上田丘】
 タイトルから、守りの堅い人間同士の話かな、と思って読んだら、若者のカップルの心理が描かれていて、当たらずとも遠からず。理屈っぽいところのあるひとつの男女交際風俗風景。
【「十五分後」衛藤潤】
 都外のデパートの屋上の観覧車の係員になった予備校生の時松が、客とゴンドラに同乗することがあり、それが評判になって制度化する。
 そこで、時松自身が同乗した人たちの記録のような話。変わった設定で面白い。無関係の人の語る話を聞くという軽い読み物で、これもまた現代風俗のひとつか。
【映画評「カツライス・アゲイン!『ど根性物語・銭の踊り』」石渡均】
 勝新太郎と江利チエミが主演で、市川昆監督の映画の話だが、自分は見ていない。しかし、ヌーベルバーグの幾つかは見ていたので、状況説明は面白く読める。また、撮影の裏話と作品批評が一体となっているのも、興味をそそる。特に、市川昆監督のカメラの個性が生まれるための条件がわかって、なるほどと思った。
【「ハイデガーを想う(Ⅱ)下・柏山隆基」
 外国哲学というのは、用語の翻訳がまず困難として立ちはだかる。この作者の用語の説明は、翻訳語の日本語解釈のイメージづくりに参考になる。ただ、認識についての定義なので、範囲は限られている。自分は、雑誌「群像」に連載の中沢新一「レンマ学」を読んでいるが、不立文字の認識と哲学的な日本的解釈の違いを感じる。
発行所=241-0831横浜市旭区左近157-30、左近山団地3-18-301。「澪の会
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年4月13日 (金)

ミッシングリンクって? 政治と官僚の関係

 特定の情報を順繰りに集めることを、IT用語としては、インターネット上の情報を収集しまとめること。または収集した情報を分類し、つなぎ合わせて新しい価値を持たせて共有することを言う。キュレーションを行う人はキュレーターと呼ばれる。キューイングというそうだ。一方、周辺情報の断片のつながらないところをつなげる事象をミッシングリンクというらしい。それが、《加計学園の愛媛県職員記録は、ミッシングリンク=前川喜平氏》の記事なのだが、それは、それとして、昨日の夜の出来事が、YOUTUBEで映像化かされてしまう。その現場に行っていると一次情報であるが、それを文字にするより早く、映像かされているので、文字化したニュースの多くが2次情報となってしまう。
 そこで、動画を利用したキューイングを採用することを考えている。
 ところで、産経新聞がつぎのような記事を書いている。自民党に寄りそう新聞だが、最近の自民党と官僚の関係を象徴するようなところが読み取れる。国債は銀行が多く買っているので、国民の借金ではない、のは事実。
 
ーー 経済学の常識と企業財務の知識があれば、ただちにこれがフェイクであると見抜かれるはずなのに、各紙とも財務官僚のブリーフィングを真に受けて、「国民1人当たり約858万円の借金を抱えている計算になる」と財政赤字を報じてきた。
 国民は金融機関経由で政府債務の国債という資産を持ち、運用している。それを国民の借金だと言い張るのは、詐欺師だ。日本以外の世界にそんな国民をバカにしたエリート官僚がいるのだろうか。
 もっと恐ろしいのは、財務本来の考え方が欠如している点だ。財務とは負債の部と資産の部を基本にしている、経済は貸し手と借り手で成り立つ。借り手がいないと国は成長できない。国民は豊かになれない。デフレ日本は家計に加えて企業もカネを貯めて借りない。となると家計が豊かになるためには、政府に貸すしかない。
 政府が借金を減らすなら、貸し手の家計は為替リスクのある海外に貸すしかなくなり、円高で損する。増税で家計から所得を奪うなら、やはり家計は貧しくなる。
 「経理省」に化した財務省は債務が国民全体を豊かにする真理が眼中になく、ひたすら予算書のつじつま合わせに熱中する。文書改竄も経理官僚の延長なのだ。(産経新聞特別記者・田村秀男)

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2018年4月12日 (木)

文学フリマ東京5月への出店掲示キャッチフレーズ決める

  文学フリマ東京での2階展示場出店「カー46」垂れ表示の文言を決めました。『「文学フリマ東京」(第26回)販売本4点』です。それぞれ在庫が沢山あるので、今後はネットでの販売を宣伝していこうと思います。出店では、詩集以外はよく売れているものなので、期待しています。

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2018年4月11日 (水)

「遊民経済学の時代」の文芸と社会

マスターカード社の国別都市別ランキング調査によれば、2009年から16年の間に世界経済のGDPは21.8%増加している。年平均3.1%は、けっして高いとは言えない。ところがこの間に、世界132都市における外国人観光客数は55.2%伸び、その支出額は41.1%増加している。7年間でざっくり5割増しである。
思えば世界経済の規模は、とっくに「人口:70億人、GDP:70兆ドル」を超えている。つまりGDP1人当たり1万ドル以上の時代を迎えている。これだけ豊かになれば、海外旅行をする人口は激増する。そろそろ世界が貧しかった時代の常識を捨てなければならない。これから先は、国際的な人の移動が世界経済の主要エンジンと考えるべきだろう。つまり観光客の増加が、世界経済をけん引する時代である(本誌では、以前からこれを「遊民経済学の時代」と称している)。(溜池通信より)
 こうした世界的遊民が、マルチチュード(群衆)となって、社会構造の枠を超えるのではないか、というのが東浩紀の「観光客の哲学」であろう。「菊池寛の作家凡庸主義と文芸カラオケ化の分析」にも、それを紹介している。宣伝だけれども、文章講座や文芸同人誌の編集者には、基本として読んで欲しいものだ。  

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2018年4月10日 (火)

柳美里さんが書店「フルハウス」を福島で開店

  芥川賞受賞作家で福島県南相馬市在住の柳美里さん(49)が店長を務める書店「フルハウス」が9日、同市小高区東町にオープンした。柳さんは、書店が近くのJR小高駅で電車を待つ高校生の居場所になったり、市外の人が訪れる新たなきっかけになったりすればと願っている。
  夏ごろには、カフェを併設も考えも。「つらいときに別世界の扉をあけられるような本を選んだ」という。開店にあたっては、昨年クラウドファンディングで募金を募ったという。

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2018年4月 8日 (日)

赤井都さん~桜色の時間が通り過ぎたらもっと春色満開号~

  ■「そっと豆本、ふわっと活版、ほっこりお茶4」ご案内(2018年4月26日~5月16日) 
  風薫る五月、今年も8階茶道具売場にて、豆本と活版印刷の展示販売会と ワークショップを開催致します。 会場には赤井都による豆本作品と、Bird Design Letterpressによる活版作品とステーショナリーが並びます。 繊細な技術による作品と、特別開催のワークショップをこの機会に是非 お楽しみ下さい。皆様のお越しを心よりお待ちしております。
  会 期:2018年4月26日(木)~5月16日(水)※最終日は16:00まで
  ※5月12日(土)、13日(日) 活版ワークショップ・ローマ字名とワンポイントを入れたメッセージカードを活版印刷 ・2,000円(税込)予約不要(随時受付)所要時間約20~30分
  ※5月6日(日) 豆本ワークショップ
  ‣赤井都のオリジナル超短編を「布表紙のアコーディオン折豆本にします。・3,240円(税込)所要時間約40分予約優先(予約・問合せ052-264-5387)会 場:あーと・すぽっと(丸栄8階茶道具売場 名古屋市中区栄3-3-1)
出展者:赤井都、Bird Design Letterpress 協力:andantino、弘陽(三木弘志)
  ■アリス初版本を触ったこと
  国際古書市が銀座で開かれたので、かげろう文庫さんにご案内をいただき、雰囲気を見ようと行ってみたら、カタログには掲載されていなかったアリス初版本が出品されていました。「博物館と違って、何でもお客として、触
れるのが古書市のすごいところなんですよー」と聞いていたので、思い切って、イギリスから来たそのお店の方
に、ガラスケースから出してもらいました。見て、触れてみたら、うっかり、買いそうになりました。150万円。
買えなくはないけれど、そのあと、むっちゃ貧乏生活になりそうでした。頭を冷やすようにその場を離れました。
赤い布表紙のマクミラン版。扉の絵とタイトルの間にはグラシン紙が綴じ込まれていました。テニエルが気に入らなくて、アメリカへ行って刷り直しになったという挿絵は、小口木版の小さなサイズでインク少なめな繊細な線でした。表表紙には金線で四角い枠、裏表紙の中心に丸でチェシャ猫の顔が金箔押しされていました。いい体験をさせてもらいました。アリス初版本がうちにあっていいかも、という、夢を見させてもらいました。キャロルが一生懸命作った本だから、魅力を感じたんだろうか? 本の魅力って何だろう? と、改めて考えさせられる出来事でした。 本の魅力って、何なんでしょう?
 《参照:サイト言壺
   ■オーダーメイドについてFAQ
   これまでずっと自分が作りたいように豆本を作ってきて、今はデザインやテーマから、人様のご要望に応えて作りたい心境になっています。
    「こんな豆本を私のために作ってほしい」というご要望は、自費出版の豪華版のミニ版になりますので、30万円くらいのご予算をお考え下さい。 オーダーメイド製本・修理・改装は、カウンセリング・ご提案・デザイン料・材料費・印刷代・手製本費用等がかかってくる、お一人のための製本プロジェクトとなります。赤井都のノウハウを、あなたの新しい本のためにお役立て下さい。 メール、お電話、お手紙などでお気軽にお問合せ下さい。
お電話は、平日毎日13時頃、大丈夫です。
   「こんな豆本を作って売ってほしい」という出版のリクエストでしたら、どう実現するかはわかりませんが、言ったものがちとして、いつでもご希望を囁いて下さい。『銀河鉄道の夜』『近代ミステリ』『絵本』、リクエストはちゃん
と覚えています。まだ着手しませんすみません。

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2018年4月 5日 (木)

梶井基次郎の美と憂鬱の定着点

  桜の季節である。会員か良い写真が送られてきたので「桜の樹の下には     梶井基次郎」に採用してみた。梶井は結核を病んでいたので、常に死と向き合わされていたであろう。つねに死に至る憂鬱がつきまとう。そこに桜の美し生命の開花を観た時に、憂鬱と美意識の擾乱がおきたのであろうか。憂鬱な気分の時にロックが鳴り響くようなものだ。そこで、この美しさは死者の上に成り立っているこそのものと、イメージする。そのことで、憂鬱さの落ち着きを取り戻す。
 本来はこれは詩であるはずである。しかし、詩では表現できない情念を表現するためには、言葉の関係性をからめた散文になるしかないのだ。菊池寛は「詩はなくなる」と予言したが、これはそれを証明するようなものになっている。ここには詩的でありながら、あくまで明瞭な風景と情念の関係がある。(北 一郎)

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2018年4月 4日 (水)

天皇陛下のご執筆も「日本魚類館」に、ご筆名「明仁」で

 『小学館の図鑑Z 日本魚類館』が、書店店頭で好調な売行きを示している。長年、ハゼの研究をしている天皇陛下が執筆人に加わっていることが、発売後に発表され、POPを作成する書店が増えるにつれ、幅広い読者が手にしているようだ。同図鑑の執筆陣は47人。そのうち、天皇陛下は「明仁」という名で4ページにわたり、7種のハゼを紹介。これまで新種のハゼを8種も発見されている。(新文化)
 昭和天皇は、研究対象のヒドロ虫類について、専門的な研究成果を上げられ、世界的にもしられていたという。
 皇室生物研究では、《皇室と生物学ご研究》に詳しい。
自分は、学生時代に筑波常治というユニークな講師から、その話を聞いた。教壇でわざわざ後ろと横の頭の格好を示してみて、昭和天皇とおなじような骨相であることを示した。なんでも、苗字を作ることになって困っていたら、庭から筑波山が見えたので、その名にしたという。
 なんの教科であったかは忘れたが、自然科学だったと思う。自分が疑問に思っていたマルクス主義の社会科学と自然科学の関係について示唆するものがあったので、覚えている。

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2018年4月 2日 (月)

望月氏による文学フリマ運営の経過談話から

  文学フリマの始まりといえば、2002年の「群像」6月号に大塚英志氏が、「不良債権としての文学」を執筆し、そこから純文学会の手詰まりを打開する方策のひとつとして、文学フリマの提唱をしたことは、知られている。
 ただ、これには、その前段階として、大塚氏が東京新聞にコラムで、出版社の純文学部門は、マンガ本の収益で純文学の赤字を埋めている現状を指摘していたのだという。
  その評論に関し、大塚氏がそれを書いたのを忘れた頃に、純文学側の笙野頼子氏が、激烈な反論をした。
 これ対応して大塚氏が「群像」6月号に、今後の対策を提案したのだという。
 そこで、いくつかの提案をした。そのなかに社内起業しての文学の独立分離化、作家の自己負担によるPR、読者の負担、フリーマーケットの創設を提案した。
 望月氏は、「これらの提案の一定の正しさは現実が証明している。そこでは、単なる笙野頼子氏への反論でなく、批判の是非の域を超えていた」ことで、現在の文学フリマの拡大があるのだという。
 これは、国分寺「胡桃堂カフェ」での談話であるが、このイベントに参加した人の多くが、文学フリマに行ったことがない人たちだというので、ここに記しておこう。《参照:望月「文学フリマ」事務局代表とトーク=影山「クルミド」代表

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2018年4月 1日 (日)

「文学が人生に役立つとき」の時代把握の仕方

  ぼちぼちと買い手があらわれてきた「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)。これは、文芸同人誌に参加している人向けではない。同人誌作家は、自分の作品についての関心だけで、世界の人間の考える情況になど関心がないはずである。じぶんあくまで一般人向けのもので、モダン時代とポストモダンの共通点と、異なるところを事例で、説明している。
 時代が異なるということは、社会の姿が変わることで、「旧人類」と「新人類」との根本的なちがいを、子ども時代の社会との接し方が、団塊の世代までは「旧人類。親の家業の生産を手伝うことで、社会を知った。生産者体験。「新人類は」テレビ番組で「初めてのお使い」が人気を博すように、消費者としての社会接点経験がある。
 本書では、言及していないが、子ども自殺は「旧人類」には少なかったはず。なぜなら、家業をもっていれば、子どもは重要な働き手であって、親にとって必要としてることを自覚しているはず。その存在感を子どもの心を強くしていたはず。ふと、そんなことを思いついて、次の評論には、これを追加しようと思った。
 最近、図書館で、菊池寛「半自叙伝」を読んだら、もともと、作家に離れないだろうと思って、文学部の教師になろうと考えていたそうである。なるほどと思った。彼の文学論には、日本と世界の作家の個性のちがいなどの評論が存在してる。現代で、そのようなことのできる作家はいない。

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