菊池寛の【作家凡庸主義】と文芸同人誌
「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)の疑問は、この菊池寛の文学論からはじまった。そこで、この論を全文掲載し、論じてみた。そして文芸同人誌には作家になるつもりはないが、自己表現としての生活作文が多く存在することと照合したのである。《参照:「菊池寛の作家凡庸主義と文芸カラオケ化の分析」を書籍化》
菊池寛の文学論【作家凡庸主義】
芸術――この場合特に文芸――に携わるためには、特殊の天分が必要であるように言われている。気質なり感覚なり感情なりに、特殊の天分がなければ、文芸は携われないように言われている。そして多くの人達が、天分がなくして文芸に携わることの誤ちを警告し、またそうしたために起こった凡庸作家の悲哀を語っている。
しかし、果たして、そんなものだろうか。文芸とは選ばれたる少数の人のみが携わるべき仕事だろうか。凡庸に生まれついている人間は、ただそうした少数者の仕事を指をくわえて見物し、彼らの作品を有難く拝見していなければならないものだろうか。ーーというものだ。
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