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2018年3月 5日 (月)

高原到「『日本近代文学』の敗戦」とメルトダウン

  国の衰亡から目を逸らすのは、国民の当事者意識としては、仕方がないところではあるが、そこには日本の世界的な視点での現実を見ようとしなかったことがあるのでは…。その一つに無条件降伏した太平洋戦争を、終戦と称し、敗戦としなかったことに、抵抗感なくすごしてきた感覚がある。そして珍しく、それを敗戦とするタイトルに目をひかれてて読んだのが、 「群像」3月号に「日本近代文学の敗戦ーー『夏の花』と『黒い雨』のはざまでー」(高原到)である。原民喜と井伏鱒二の作品を、現在の視線で描いている。そして、そのなかで、昭和天皇の戦争責任についても記している。ーー昭和20年8月15日の玉音ラジオ放送「終戦宣言」で、堪えがたきを堪えて忍ぶーーと文語体のには、戦争責任には触れず、その次に、「第二の終戦宣言」文学における戦争責任を問い得ないものとして、論破しようとしなかったーーという見方をしている。そして、政治と文学が敗北してきたことの経過を、原と井伏の作に見ている。評論のなかに、メルトダウウンと格納容器という用語が活用されていることも、新味である。
 おりしも、平成天皇が今月に沖縄を訪問するという。5月には、沖縄への観光客運動「この子、は沖縄だ… 」がある。

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