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2018年2月28日 (水)

文芸時評3月(産経)=石原千秋 五輪は敗者のためにもある

 小谷野敦「とちおとめのババロア」(文学界)は、女子大のフランス語教師・福鎌純次がネットお見合いで皇族の後藤雍子(ようこ)(実は雍子女王)と知り合って結婚する荒唐無稽な話で、よくも書いたりと思う。彼女は徳田秋聲の熱烈なファンという設定で、小谷野敦のツイッターを見た人なら誰がモデルだかわかる。文学ネタもちりばめてある。ヒロインが「ようこ」で末尾が「車から降りると、天の川が降るようだった。純次はそっと雍子の肩に手を回した。」とあれば、大枠は川端康成『雪国』である。結婚後に戸籍謄本に「福鎌純次・雍子」とあるのを見て、彼女は「やっと人権が手に入った」とつぶやく。それがこの小説のテーマである。

 高原到「「日本近代文学」の敗戦--「夏の花」と『黒い雨』のはざまで」(群像)がいい。敗戦文学と言っていい原民喜「夏の花」のイロニーは自壊し、井伏鱒二『黒い雨』のユーモアは蹉跌(さてつ)したと論じ、いま日本文学は「あたかも『敗戦』などなかったかのように(中略)無数の『内面』と『風景』を手をかえ品をかえ生産しつづけている。だがそれらは文学なのだろうか?」と問いかける。これを「とちおとめのババロア」と接続すれば、戦後日本は「敗者の振る舞い」をたった一人に押しつけて来たのではなかったかという問いとなる。
《参照:文芸時評3月(産経)石原千秋 五輪は敗者のためにもある

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2018年2月25日 (日)

自己確立と権力三位一体における「ブラックボックス」の意味

  最近は唯物論と唯心論という対照で、ものを考えることが少なくなった。それは心が脳の活動であり、脳は身体という物質でできているという事実への意識が、広まってきているからだろうと思う。身体は、その人の存在の在り方を決めるものであり、自己確認の基本的なものがあるからであろう。
  伊藤詩織著・ドキュメント「ブラックボックス」については、出来事の結びつきが、警察官僚、安倍内閣、メディアという権力構造の三位一体の関係を表現しているので、政治色をもったものとして、読んでしまう。
  そのなかで、妙に文学的なところもあって、知人でジャーナリストとして畏敬していた男性にレイプされたことに、常に「何故?」という疑問をつきつけて、それを追求するところは、まさに純文学的こだわりとして、文学的なテーマ追求にも読める。そんなことから、彼女の話を聴きに行った。《参照:伊藤詩織氏は英国を拠点に活動!#Meを#Weへ
 結局、この話はレイプによって自己の尊厳が、自分で維持できなくなって、苦悩する自分に何故?と問うているようにも読める。それから自我の確立の回復段階に入っているのであろう。ただ、これだけ追及して書けるのは、かなりの手腕、才能である。おそらく、山口というジャーナリストは、彼女にその自我をやっつけたくて、確信的にレイプしたようにも、読める。だから、「やってやった」という気持ちがあって、謝罪などする気はないようにの受け止められる。 

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2018年2月23日 (金)

文芸同人誌「孤帆」29号(川崎市)

【「そこに親知らずはありますか」市川奈津美】
 いまは男女のパートナーの同棲相手を、同居人と称する。短いが、パートナーとの離別を女性の立場から短く描いて、切れ味が抜群。出だしに、美知という女性が歯科医で、親知らずを抜くところを描く。暗喩として効果的で、自らの肉体を構成していた存在が、ある時点で不都合となり、抜き取る。不都合であったものだが、なくなったための喪失感が残る。
 美知のパートナーの男とは、恋愛で夢中になって同居してきたが、いつの間にか、それに慣れ、ときめきのない生活になっていた。彼女はそうした日常の連続に疑問をもっていたが、男は現状に満足している。彼女に別れ話を切り出され、男はその存在の重要性に気付くが、すでに時遅しである。彼女は抜歯の痛みが薄れるように、彼ことを意識しなくなっていくのだろう。
【「きみは冷たいひとだね」とうやまりょうこ】
 あかねは、誰からメールをもらうが、誰だかわからない。相手はこっちを知っている。それが誰かを、社内外の関係から想像する。当然それは、その相手と自分の関係の在り方を浮き彫りにし、意識化することになる。そのように読むと面白いが、作者はその効果を狙ったかどうか、わからない。他者からの視点をした自己像を浮き上がらせる。
【「指」草野みゆき】
 恋人の愛撫の心を象徴するように、その指に対する情念を語る。詩的ロマンのある散文詩。形式としての行替えだけの詩は、もう力を持たない時代になった。
【「It`s a Sexual  World‐3‐」塚田遼】
 今回は、7「男性 62歳 高等学校校長」の項と、8「女性 14歳 無職」のケースが、ドキュメンタリーのようにリアルに描かれている。それぞれの話はまとまっていて、独立して読める。現代人の社会的な立場とセックス生活の関係の病理を浮き彫りにしている。
発行所=川崎市中原区上平間290-6、とおやま方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

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2018年2月22日 (木)

デンパク(電通・博報堂)と国民投票の関係

  自民党は教育の充実強化のため国が教育環境の整備に努めるなどとした憲法改正の条文案を提示。教育育の無償化・充実強化」について議論。
 条文案では、高等教育などの無償化の明記は見送る一方、教育を受ける権利を定めた憲法26条1項に、「経済的理由によって教育上差別されない」という文言を加えている。
  こんなことは、文科省での利権を固めるものだ。わざわざ、憲法改正までしようとするのは、憲法9条の改正をする準備で、国民投票に慣れさせようという、策略が見て取れる。
 国民投票となると、活躍するのが巨大広告代理店「デンパク」である。その実態を本間龍氏に聞いた。《参照:巨大広告代理店のメディア支配の現状と今後》YOUTUBはこんな風にして、ネットにアップするのである。

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2018年2月20日 (火)

文芸同人誌「ガランス」第25号(福岡市)

【「母と娘のパリ訪問記」小山田由美】
 海外旅行記は多いが、おおよそが自己記録の表現としてのスタイルである。そうしたものに対し、私は特殊な読者となる。実は、事情があって、一度も国外に出たことがない。
 そういう自分は、国内にいては知ることのない体験を、どのように知ることができるか、という興味で読む。そのなかで、本作は大変興味深く、好奇心を満足させてくれた。
 とくに1934年生まれの母親が、見合い結婚し、小学学校教師をして、絵画芸術の興味を寄せていたという。当時の因習の強い社会環境で、母親、妻とう主婦としての役割のみに比重の偏る生活。そのなかで、華道や絵画鑑賞に心を寄せる姿が印象深い。
 芸術への姿勢を家族全体の環境から、手際よく書きだす。優れたエッセイストの見聞記として、読めた。とくに、ユトリロの晩年の作品が、母親の絵画の精神と共通点を見出すところなど、そういうこともあるか、と驚いた。
 日本では、著名な美術館の作品展があると、昔と違って混雑がすごい。とくに上野は、落ち着いて観られない。その点、向こうではゆっくり見られるのは、素晴らしい。
【【評論「プラトン・ミュートス考(その2)新名規明」
 第一印象は、古典哲学に縁がないので、解るかな? と疑問に思って読み始めた。だが、ポストモダン思想の現代に通じるものがあることが分かって、その原初の思想はそうなのか、少しばかり納得した。ちょうど、自分はポストモダン時代の近代社会(モダン)との分岐点を探していた。そこで、その手掛かりとして、文学的な実作者から見た近代文学の本質が菊池寛の文学論に存在するのではないか、と資料を研究している。そのなかで、菊池がモダン社会の世界文学について、大局的に把握しているのがわかった。ポストモダン時代との比較をしているうちに、彼が「真・善・美」の思想を背景にしているのは、ヘーゲルを読んでいたためらしいことがわかった。
 この真・善・美は、ギリシャ哲学からのテーマであると知ってはいたが、これはプラトンやソクラテスの時代の思索のための対話の形式がわかって面白い。
【「ひとりぼっち評論―戦後美術から原発まで」ミツコ田部】
 「序にかえて」の項では、ポストモダンの大冊ドゥルーズ、ガタリの共著「千のプラトー」について芸術論が述べられている。私の年齢層ではポストモダンについてなにかを語ること自体が、、日本的みんなの世界から外れたことなのである。もちろん自分は読んでいない。ただ、ネットの読書メーターを読んだり、解説を読んでイメージを取り込んでいる。そのイメージにつて手掛かりを得ることができる。戦後美術に関し、アメリカ人特有の雑駁な芸術手法を「俗物の形而上学」という名称で表現していることは、知らなかった。またここで、述べているように原発事故の教唆する未来を、なぜ政治がこんなに無視できるのか。日本人のみんなが気にかけないのか、催眠効果か、思考力の低下なのか、よくわからない。資本主義の示す本性なのかも。
発行所=〒812-0044福岡市博多区千代3丁目2-1、(株)梓書院内。」ガランスの会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年2月19日 (月)

同人誌評「図書新聞」(2018年2月3日)評者・志村有弘氏

中野雅丈の「岸和田合戦顛末記」(樹林第634号)が、豊臣秀吉に仕えた岸和田城主中村孫平次一氏と紀州勢との戦いを描く。重厚な文体で展開する、読ませる力作。
 牧山雪華の「片恋――岡っ引女房捕物帖」(あるかいど第63号)は、薬種問屋の清兵衛とその浮気相手の女が死んでいた真相を岡っ引橋蔵の女房千鶴が謎解きをしてゆく。捜査コンビの行動が心地好い。
 山下ともの時代小説「貧乏長屋の幽霊」(文芸百舌第2号)は、心温まる掌篇小説。
 三嶋幸子の「遺体ホテル」(八月の群れ第65号)が、今と未来を考えさせられる作品。
 山田英樹の「エンゲルとグレーテル」(大衆文芸第76巻第1号)の主要な登場人物は、小学四年の達樹と五歳の早苗と母の良枝。場面の展開など、よく構想を練った作品。
 牧子嘉丸の「孤影――旅の日の芥川龍之介」(トルソー第2号)は、視点が拡散している印象もあるが、作者の鋭敏な神経を感じさせる佳作。
 「文芸復興」第135号が創刊七十五周年記念号。寄稿文や同誌の歴史を示す一九四三年時の編集後記を掲載し、宮澤建義編集長は七十五年間「自己表出の場を提供し続けている」、堀江朋子代表は戦時下の「文芸復興」同人は「時代に対する抵抗精神と自らの人間性を杖として、生き抜いたのだ」と述べる。「吉村昭研究」が40号を重ねた。主宰者の桑原文明をはじめとして弛まぬ不断の努力に敬意を表したい。
  「babel」が創刊された。同人諸氏のご健筆・ご発展をお祈りしたい。
 「季刊作家」第90号が松本敏彦、「潮流詩派」第251号が原子朗、「綱手」第352号が長崎豊子、「八月の群れ」第65号が竹内和夫、「文芸シャトル」第88号が三宅千代、「別冊關學文藝」第55号が多治川二郎の追悼号。衷心よりご冥福をお祈りしたい。
(相模女子大学名誉教授)
《参照:岸和田の合戦を綴る中野雅丈の歴史小説(「樹林」)――岡っ引夫婦の謎解きを描く牧山雪華の時代小説(「あるかいど」)、現代小説の力作・佳作

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2018年2月18日 (日)

創作のために百円玉催眠に突撃体験を追う(2)外狩雅巳氏

  起きた出来事をありのまま、描くことを叙事という。およそ文章の働きに注意深くない人は、日常生活の出来事をありのまま書くことを、エッセイとかいうが、実際はただの叙事であることが少なくない。本人がエッセイというから、それでいいともいえる。それに詩的な味わいとリズム感があれば、叙事詩となる。
  それは物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つものである。古典では、一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。   その意味で「創作のために百円玉催眠に突撃体験を追う」外狩雅巳氏は、文体にリズム感があり、現代的な叙事詩ともいえそうだ。
  この場合は、孤独感の強い高齢者が、親切にされ、優しく相手になってきれると、居心地が良くなってくる。そして繰り返し足を運びたくなる。それを他人から、とがめられると、余計その思いが募る。
 ここでは、その商業活動を舞台の演劇化したように表現している。高齢者たちに英雄的なドラマ性はない。
英湯的な帯兄 主にドイツの演出家・劇作家のベルトルト・ブレヒトによって探求された演劇のあり方。しかし、読者を舞台のなかの人物のように、観客を観察者にして、その出来事への理解を委ねさせれば、これは作品として成功するのではないだろうか。

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2018年2月17日 (土)

創作のために百円玉催眠に突撃体験を追う(1)外狩雅巳氏

  高齢化社会になって、それだからこそ起きる社会現象が多くある。テレビのコマーシャルでも、高齢者の生命保険や、健康食品、サプリメントなどが、氾濫している。生命保険などは、働き盛りの大黒柱が、万一の時に、妻や子供が生活維持するためのリスクをとったものが、本来の姿。すでに、子どもも独立した高齢者などは、たとえ死んでも、家庭に保険をかける必要もないのである。そうした、社会動向のなかで、「詩人回廊」の外狩雅巳庭では、「安売りショップの特別販売に通う日々」の連載を開始した。まず、いま、流行りの催眠商法で、、格安商品を販売して、そこから高額商品売りつける商法の現場に突入しているようだ。
 このビジネスは、無料の景品や安価な商品を目玉にして、数カ月以上販売会場に通わせる。相手が高齢者で暇があるので、可能な手法であろう。高齢者は、会場に行けば何かと得をするし、仲間も誘う。友人からの誘いならば、それが高額商品を交わせる目的の呼び寄せとは気がつかない。
 会場に行くと、優しい言葉で販売員が次々と話かけてきて、淋しい人には居心地がいい。しかも、何らかのお買い得商品が買えるので、毎日のように通うのである。
  販売員は、高齢者の好む健康の話題を軸にし、売り込む商品間接的に係る話を面白おかしくする。宣伝はするものの、押し売りはしない。そこで、高額商品を買わされても、被害者意識がでない。
 国民生活センターによると、長期にわたって、大量の商品を買わせる「次々販売」の被害者は2016年で1411件。購入契約をした被害者の年齢は平均72.5歳。なかには90歳以上もいるという。平均支払い額は約180万円だという。
 この現場を外狩氏はどのように創作するか、まずはその下書きとして興味深い。

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2018年2月16日 (金)

文芸同人誌「文芸中部」107号(東海市)

【「続・文学館のこと」三田村博史】
 前号で名古屋に文学館を作りたいという話を書いたら、反響が多かったという。しかし、河村市長に手紙を書いてもナシのつぶてとか。お役所相手で話が進まない現状を嘆く。
 本誌で三田村氏は、「杉浦明平・初期作品(愛知縣豊橋中学時代)の散文・短詩・和歌などを掲載している。
 【「ジャングルまんだら」大西真記】
 小説を読む面白さの要素に、日ごろの生活から離れた非日常性の世界を、家に居ながらにして味わえることであろう。その意味で、この小説はそのまま、面白く読める。ゴンドワナ共和国10日間ツアー」に女性でメンバーを作って参加する。50代から60代の女性グループの熱帯ジャングルツアーとなり、ガイドからグループがはぐれてしまうハプニングで、サバイバルな野宿生活を強いられる。
 メンバーのそれぞれの家庭事情が少しずつ明らかにし、ベジタリアンを超えた強度の菜食主義の女性などのキャラクター、地元の野生猿ファビーを飼ったりする状況が描かれる。
 やがてこの国の軍隊に救助されて、一行のサバイバル体験は終わる。ジャングル生活などは想像力をもって細かく描かれている。書くのは大変だが、所詮は観光旅行のスリル体験記となる。日常生活も大変だが、元気よく生きていこうという意味か。
【「能の虫」和田和子】
 大学の登山部の活動で、四人が小さな山に登る。藪の中をかきわけて、いわゆる藪こぎをする。すると、皆が虫やマダニに食われる。なかにはダニの毒がまわって、入院することもある。心や能にも虫が入って、神経を侵されるイメージにつながる。現代人の神経症的傾向を表現したものであるのか。スクールカーストとかの、話題もでるが、どれも意味をもって繋がるような手掛かりが得られない。読んだ時は、何か理解できたような気がしたが、こう書いてみるとよくわからない話だ。
【「里山」吉岡学】
 父親刑務所にいて、将棋好きだったらしい。その息子のぼくが里山の近くにいた老人と将棋に話をする。あとは将棋にまつわる人々の将棋談義が描かれている。将棋好きには面白いのかも。
【「ゴーレム・ゴーレム」西澤しのぶ】
 金崎文人という小人口が、カフカにあこがれ、カフカの生活した町、プラハに行く。両替をすると、大金を二足三文で換金され、一文なしになる。その後、カフカの小説のような、奇妙な体験をする話。カフカへのオマージュか。
【「思い出の九月」朝岡明美】
 看護師をしていた頃の恋人関係の男との成り行きを、還暦になって思い出す。思い出話にしても、重点がない。性的な関係をあっさり描くのは手法として、村上春樹のいくつかの作品にあるが、性的な男女関係がるから話になるので、それを無意味化するのは、つまらない。
発行所=〒477-0032愛知県加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年2月15日 (木)

文芸月評2月(読売新聞)先住民、異文化…未知との出会い

「新潮」先月号から2回分載されたNHKディレクター、国分拓さん(53)の「ノモレ」は、ペルーのアマゾン奥地を舞台にした物語風のノンフィクション作品だ。主人公は、学校教育を受ける機会に恵まれた先住民の男性、ロメウ。集落のリーダーを務める彼は、文明社会に全く触れたことがない「イゾラド」と呼ばれる人々が近くに現れたと聞く。2015年、彼はついに川を挟んでイゾラドの男2人と遭遇した。ロメウは彼らに向け、自らの部族の言葉で叫ぶ。
 ノモレ! ノモレ!
 それは、「友達」や「仲間」を意味する言葉だった――。
 先住民を迫害し発展した南米の歴史、加速する自然開発と環境破壊、現代社会で先住民の尊厳をいかに保つか。本作は、幅広い問題を考えさせる。だがそれ以上に、腹に響くのは「ノモレ」の言葉だ。
 国分さんは、アマゾンの森で生活するヤノマミ族とともに暮らした体験をつづる『ヤノマミ』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。自然とほぼ一体化して暮らす人々の剥むき出しの生と死、友愛の感覚が、文明人を覆う心のほこりをそぎ落とす。
 オーストラリア在住の岩城けいさん(46)の「Matt」(すばる)は、父親の仕事のため、同国に日本から家族で移住し、地元の学校に転校した少年の真人を描いた前作「Masato」の続編だ。
 真人は思春期に差し掛かり、会社をやめて起業した父と暮らし、日本に帰国した母とは別々の生活を送る。題名が想像させる通り、現地の教育を受け、オーストラリアでの生活に染まってゆく。
 平仮名や片仮名、英語が交じった会話文は、多様な子が通う学校のざわめきが聞こえるかのようだ。10代の少年が母語でない英語を習得する過程を、日本にしか住んだことのない人間にも体感させる。
 小説の言語や感覚の鋭さが刺さってくる詩人として活躍する筆者の2作もあった。
 日和聡子さん(43)の「水先人のない舟」(文芸春号)は、10編を収めた掌編集だ。土俗的なにおいがする「河童」、抑えた文章にエロスが漂う「ぶどう」。迷子に憧れる子どもが出てくる「丘」など、不思議な話もある。小さなビーズの玉のような各編は、色彩を伴って心の中に残る。読み進むうちに、切れたり、つながったりして面妖な輪を作る。
 四元康祐さん(58)の「奥の細道・前立腺」(群像)は、前立腺がん手術に至るまでの体験を物語化した。性的機能を失う覚悟を迫られた苦しさを距離を置いて見つめるため、四元さんは松尾芭蕉の紀行『奥の細道』の手法を使う。旅情に文章が流されないよう俳句を挟んだ芭蕉と同じく、一連の経緯を記す文章に各種の韻文を配して引き締めた。
 村田喜代子さん(72)の連載「飛族」(文学界、2016年5月号~)も完結した。地上からの高度が80キロ~800キロ離れた熱圏に夢の中でたどりついたと語る鉄鋼マン。体がふわっと浮く体験をした女性。海で嵐に巻き込まれて船が沈みかけ、「空ば飛べっ! 漁師には隠し羽根がある!」と叫んだ九州の離島の漁師と、彼の帰りを待つ妻――。(文化部 待田晋哉)
古典文学を自在に解釈
「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」で古典文学の現代語訳を担当した書き手が魅力を語った『作家と楽しむ古典』(河出書房新社)が出版された。同シリーズの2冊目で、高橋源一郎さん、内田樹さんら第一線の筆者の自在な作品解釈が楽しい。
 エッセイストの酒井順子さんは、「うつくしきもの」「にくきもの」など、テーマを設けて書く手法を用いた清少納言の随筆『枕草子』を、「あるあるネタ」のパイオニアと呼ぶ。作家の中島京子さんは、『堤中納言物語』の男性の登場人物には、気になる姫君に接近する「ドンドン系列」と逡巡しゅんじゅんする「グズグズ系列」が存在すると分析する。堀江敏幸さんは『土左日記』を現代語訳した際、自らの小説『その姿の消し方』の準備もしており、言葉について考えるうえで相補的な関係にあったと明かした。
《参照: 【文芸月評】真っすぐな心取り戻す

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2018年2月14日 (水)

「BOOK☆WALKER」国内外で売上げ伸びる 



  電子書籍販売の「BOOK☆WALKER」 (KADOKAWAのグループ会社(株)ブックウォーカーが運営)の売上げが急速な伸びを示している。日本語版は2桁増、英語版、台湾版は、2年前と比べてそれぞれ333%増、208%増で推移。2月7日に東京・千代田区の帝国ホテルで行われた「BOOK☆WALKER7周年 感謝のつどい」で同社の安本洋一社長が報告した。
  講談社の野間省伸社長、小学館の相賀昌宏社長、KADOKAWAの角川歴彦会長など、出版社のトップや関係者約400人が出席。野間社長は「『dマガジン』など、様々な施策で当社をはじめ、出版業界に貢献していただいている。『dマガジン』がなければ廃刊した雑誌もあったのではないか」と同社の功績を讃えた。

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2018年2月12日 (月)

文芸時評1月(東京新聞) 佐々木敦氏=デビュー作芥川賞2作品

 以前紹介した際にも、特に若竹作は高く評価した。心密(ひそ)かに、これは芥川賞候補に挙げられるのでは、候補になったなら高い確率で受賞するのでは、とも思っていた。予想は見事に当たったわけだが、今回は作品評とはやや違った角度から述べておきたいことがある。
 それは今度の芥川賞の二作が、どちらも新人賞の受賞作、すなわち第一作だということである。「百年泥」は「新潮新人賞」、「おらおらでひとりいぐも」は「文藝賞」を受賞した作品であり、つまり石井氏と若竹氏はいずれもデビュー作でいきなり芥川賞を射止めたわけである。そもそも芥川賞は賞規定としては「新人賞」ということになっているのだが、だからといって新人賞(デビュー作)で芥川賞というケースはけっして多いわけではない。
 だが、ご存じのように前回の芥川賞も「文学界新人賞」の沼田真佑(しんすけ)「影裏(えいり)」が受賞した。その前は、文芸誌へのデビュー作の芥川賞受賞は第百五十三回(一五年上期)の又吉直樹「火花」があるが、文芸誌新人賞受賞作となると、第百四十八回(一二年下期)の黒田夏子「abさんご」が「早稲田文学新人賞」だが、仔細(しさい)は省くが黒田氏は実は再デビューなので、正確には「群像新人賞」だった第百三十七回(〇七年上期)の諏訪哲史「アサッテの人」まで遡(さかのぼ)らねばならない。そして、文芸誌新人賞受賞作=デビュー作=芥川賞が二人並んだのは、ひょっとしたら史上初めてのことなのではないか?
《参照:芥川賞2作品 デビュー作受賞、時期尚早か

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2018年2月11日 (日)

文芸同人誌「あるかいど」63号(大阪市)

【「アンソロジーできちゃった!」高原あふち】
 文学性のある作品ばかりが毎回満載の本誌だが、このほど同人30人による「アンソロジー」の出版にこぎつけて、第五回文学フリマ大阪(堺商工会議所)に出店したとある。私は、運営の善積健司氏とは東京のフリマで会っている。おおよそ、見ず知らずの同人誌をみて、通行人にそれを渡したらどう読むか、という視点と、同時に自ら書く立場からそれをどう受け取るかという姿勢での記録の意味で、作品紹介を続けていた。
  そのなかで、文学フリマで大塚英志氏と出会ったのである。今回のフリマ大阪ではアンソロジーは、12冊が売れ、「アルカイド」62号は6冊など23冊が売れた。木村誠子「ワルシャワの心臓」、住田真理子「ハイネさん」が完売したという。
 私の経験では、マーケットの日柄によって、売れ行きが異なり、一冊しか売れなかったこともある。かと思えば、見本誌まで買かわれてしまい、改版本を出すのに、印刷所に見本を出せなかったこともある。文学フリマで売るようなら、自分の紹介も必要ないかな、と思ったりする。同人誌の課題は、同人以外の人が読んだらどう読まれるか、ということだからだ。
【「越境」清水公介】
 28歳になった私が、これまでの人生であった幼少期、青春時代の記憶が広がる。文体に文学的表現力があるので、洒落た読み物になっている。筋のようなものはなく、とうぜん終わり形のような、終わりはない。自己肯定へのロマンが、自己嫌悪への意識を作りだすのだが、文章技術的にその対比のコンストラストが弱い。そのために文章力の巧さが生かされていないのではないか、という感じがした。こういう作風は、日本ではあまり多くないので、貴重だが、ここでは小さな流れが、大きく広がるための序章ではないのか。世界観の思想的な深みを高めることで、今後が期待できそう。
【「ふるさとの山河」高畠寛】
 大平洋戦争の敗戦前後の関西での少年の生活記である。1945年3月13日に大空襲があり、工場地帯であったため、徹底的に叩かれる。その時、小学三年生になる前の邦夫の行動で、敗戦後の一種皆貧乏という平等社会の子供の生活が描かれる。
 こどもだから、空襲でどれだけの人が犠牲になったか、などということは頭にない。クズ鉄拾いや、埋もれた物資を探し当てては、お小遣いにする。焼け跡こそが、少年たちの故郷へでもある。
 書きなれた自然な筆力で描くと、こんなに活き活きと少年期の世界が表現できるものかと畏敬の念を持った。
 作者は自分より年上のようだが、その記憶でも東京の京浜工場地帯で、似たような状況であった。屑鉄を売って銭湯に行く話を短編にした。それを、今は亡き秋山駿氏に読んでもらったことがあるが、「箸にも棒にもかからない、と言いたいが、それよりはちょっとましかな」と笑われたものだ。
 本作では、焼け跡から立ち直ろうとするなかで、ジェーン台風が襲来する。すべてが水につかったなかを邦夫が、手作りの筏で広い水に浸かった地平を眺める。なんと清々しく澄んだ光景なのだろう。
 閉塞感に包まれた現代では、破壊的災害の描写にもかかわらず、気持ちがすっきりと吹っ切れる感じがした。なるほど、そうでもあるな、このように書くべきだったのか、と感慨にひたることになった。
 発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10―203、高畠方。
 紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2018年2月 8日 (木)

文芸同人誌「婦人文芸」98号(東京都)

【「海に浮かぶ町」秋本喜久子】
 千葉県で東京湾の沿岸に浦安という町がある。東京ディズニーランドが出来るまでは、山本周五郎の「青べか物語」のモデルの町として、周五郎フアンには知られていた。昔は葦原で、漁業と海苔採取業の町であった。この町に住む高校生の悠太の大学受験生活を通して、学友の誠一、彼と付き合っている美佳に悠太は恋心を持っている。
 学校の文化際の催しで、明治からの浦安の歴史を展示する企画があって、その制作活動のなかで、町の資料館を利用して、海苔採り場であった町のことを調べる。
 そのなかで、山本周五郎の「青べか物語」を読み、当時の性風俗のかなり自由な生態を知る。また、漁師だった住民が、東京湾の埋め立てで漁業権の放棄による補償金を得た。あまり大金を手にしたことのない漁民はいかさま師に金をだまし取られたり、身を持ち崩したという話が伝わっている。
 終章では、ディズニーランド周辺の住宅地が、東日本大震災で地面の液状化で、大被害を受けた様子が語られる。
 本編では、浦安という町を舞台に、高校生の活動と、その親たちの生活の変遷が示されている。読んでいて、大変懐かしい感じがした。というのも、自分自身は、大森に住み、海苔の種付けのための網を載せたポンポン船で、父親と共に東京湾を横断。浦安と姉が崎まで渡っていたからだ。
 山本周五郎の足跡をたどる資料など、たくさんあると思うので、別の視点での作品も期待したい。
【「挽歌」野中麻世】
 昭和20年、敗戦末期にハタ町というところにも、米軍の焼夷弾爆撃がされる。そこに伯父さんが住んでいた。敗戦間近い7月9日の夜中、私たちの市はアメリカの爆撃機百八機による空襲を受けた。夜中のたった2時間足らずの無差別焼夷弾攻撃で、市のほとんどが焼け野原となったとある。
 なかに「空襲に遭った人々の証言」(空襲を記録する会発行・1989・3)からの抜粋があり、空襲によって、猛烈な火災が起き、空中6千メートルまで煙が吹きあがり、旋風でドラム缶も人間も舞い上がったという資料記録が記されている。
 身近な伯父の思い出のなかに、当時の悲惨な現状を示している。
発行所=142-0062東京都品川区小山7-15-6、菅原方。婦人文芸の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年2月 6日 (火)

文芸同人誌「仙台文学」第91号(仙台市)

【随想「村の名前」(わが逍遥遊②)石川繁】
 NHKのお名前由来番組が良く観られているようだが、ここでは「ふるさと」が、古い都での懐かしさを意味であったのが、地方から江戸に人々があつまり、故郷という意味がついたとか。また、江浦草(ツクモ)が江浦藻(つくも)となったという。もとは葦の種類のフトイという水辺の植物の総称であったという。なかなか勉強になる。
【「雪の雫」渡辺光昭】
 中年男が、若い女を愛人にして付き合いが長くなる。それを妻が感づいているのではないか、と思わせる出来事が起きるのだが、作者は中年男のそれに気がつかない視線で語るので、それがスリル味になっている。愛人との腐れ縁を地道な書き筆遣いで描き、面白く読ませる。ただし、週刊誌の不倫騒動の世相のなかでは、折角の筆力も見栄えがしないで、損をしているかも。菊池寛が科学技術の発達で、ロマンがなくなり、詩は滅びると予言した。現代は小説でロマンをでっちあげる作業をすることが出来ないのか、などを考えさせる。
【「巡礼の娘」安久澤連】
 「一関史」第三巻の民話・伝説のうち、第二十五話「袖が原物語」が原作だということが末尾の資料として挙げられている。普通の生活をしていた女性が、貧しさのゆえに、家から出て、身を売る生活になる。取り残された、その娘も生活のために売春宿で働くようになる。そして巡礼に旅に出て行き倒れになり、村人に自分の身の上を語る。なかなか切実な感じで、引き込まれる話法である。
【「再読楽しからずやーウイリアム・フォークナー②『エミリーの薔薇』」近江静雄】
 自分も中年の頃になって、やっとフォークナーの多くを読み終えた記憶がある。「エミリーの薔薇」は、因習のなかで、女性が自らの愛をつなげていく努力が切なく描かれている。フォークナーがちょっと、ブロンテの「嵐が丘」に霊感を受けたのかも、と思わせる。それがエミリーという女性の名に出ているような気がしたものだ。とにかく、楽しい読み物になっている。
【「松本清張短歌一首の謎(22)―投身自殺予防短歌として」牛島富美二】
 松本清張のミステリーに「ゼロの旗」というものがある。物語に出てくる能登には---

雲たれて / たけれる荒波を / かなしと思へり / 能登の初旅 / 清張

 という句の碑があるそうだ。そこで投身自殺をした女性がいたことから、地元の自殺防止のために頼んだ句だという。その他、面白い逸話が記されている。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方。仙台文学の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年2月 5日 (月)

紙と電子の推定販売金額、前年比4.2%減の1兆5916億円に

2017年の紙版の推定販売金額は1兆3701億円で13年連続減少。減少幅は過去最大の6.9%、前年より約1000億円減少した。「書籍」は7152億円(前年比3.0%減)、「雑誌」は6548億円(同10.8%減)。雑誌分野では、定期誌が同9%減、ムックが同10%減、単行本コミックスが同13%減と落ち込んだ。
一方、電子版の市場は2215億円(同16.0%増)と伸長した。「電子コミック」1711億円(同17.2%増)、「電子書籍」290億円(同12.4%増)、「電子雑誌」214億(同12.0%増)。紙と電子を合わせた市場規模は1兆5916億円(同4.2%減)。電子コミックと電子雑誌の伸長率は鈍化している。(1月25日、出版科学研究所)(新文化)

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2018年2月 4日 (日)

文芸同人誌「海」第二期・第19号(太宰府市)

【「家畜化計画」有森信二】
 日本の家族の伝統的な構造に男子家父長継承制度がある。天皇制の仕組みがそれであり、戦国時代の下剋上の時代から、徳川幕府までもその仕組みが継承されている。
 男子継承であるから、女性の役目は、男子を産んで育てることである。この作品では、その制度がもたらす、ひずみを軸にして、たくましく生きる女たちの生活を中心に描く。
 話は、80歳を超えて病歴の多くなった克子を、息子の健治が住んでいる福岡に呼び寄せようとするところから始まる。そこから克子の母親のトシの境遇から生まれた「トシの掟」に関わる物語を通して、農家の家族制度の伝統に縛られた女性の生命力を力強い筆致で表現する。密度濃い描写と、筆の運びで、一気に読んでしまった。女性の視点や、男の視点に移動させる表現力で、登場人物の体臭までが伝わって来る表現力は、抜群である。今年中にこの作品を上回るエネルギーを持ったものがでるかどうか、考えてしまうほどの出来映えである。
 核家族が増えて、家長制度はあまり話題にされないが、現代社会の深層に根付いていることから、共感をもつ人も多いはず。
【「幼稚な日本人」中野薫】
 もと警察官からみた世相で、警察官が何のためにいるかを理解せず、何でも警察に頼る人が多くなったという。自分の周囲にも、タクシーがわりに救急車を呼ぶ人がいる。また、農家の作物を盗む、戦時中でも盗まれなかった村の半鐘が盗まれたりする。心のない人が増えたようだ。安部内閣では国民総活躍政策をするとしているが、そんなことができるのだろうか。まあ、警察官も人間なので、いろいろ不祥事もあるのだが…。
発行人=〒818-0101太宰府市観世音寺1-15-33、有森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2018年2月 3日 (土)

文芸同人誌「メタセコイア」第14号(大阪市)

【「町」マチ晶】
 ストーリのない散文で、書き手は住んでいる町の中心部に行ったことがない。見知らぬ町をゆくように観察しながら彷徨する行程を描く幻想小説。静まった町の風景に非実在的な女性が登場。短い割には自らのイメージを追想する描写などは、時間をかけて書いたように思える。不安と憧れ、愛とロマンの世界。統一性に欠ける面があるが、文学性の高い作品に読めた。
【「足跡」北堀在果】
 記憶によれば、インドにルージュという名僧がいて、彼は若い頃には透明人間になって、女性の館に忍び込んだ経験がある。後に、空と中観の心の領域を説く人になったという印度説話があったような気がする。それが日本では、龍樹菩薩といわれるようになったのだろうか。話は薬を飲んで透明人間になって、女性にいたずらをするが、ついには、ばれてしまうというもの。その人が龍樹菩薩になる前の話である。
 末尾に「今昔物語」巻四第四十四「龍樹俗時作隠薬語」との引用であることが記されている。
【「あなたもそこにいたのか」和泉真矢子】
  夫婦間に子供ができないが、欲しい妻。不妊治療専門医に通う。夫の協力が欠かせない。夫は、形ばかりで、身を入れて協力をしない。女性の立場から、その悩みを巡って、女性の立場からの真理と行動を描く。話は想像妊娠現象に及ぶのだが、終わりは自己憐憫の涙を流して、生活への意欲を取り戻す。不妊治療をする女性の心理がどれほど辛いものかを描いて良いのだが、娯楽小説にするには、ストーり―的な面白がらせの要素は薄い。純文学にするには、語りの感覚が軽い。これは、作者の問題と云うより、文芸世界の現象が複雑化しており、方向性を作者が捉えきれていないためのものだと思える。書き続けることで、道が開けることを期待したい。
【「あおい鳥」よしむら杏】
 結婚して、15年の夫婦。ペットを飼っている。妻の史華は、ときどき「お不安さま」と称する不安症状が起きる。ここの設定が大変面白い。と、思ったら、具体的な事例が、分かりやすく、平凡。有澤家の子供も登場するが、その位置づけの意味が単純。夫が無精子症とわかるが、「ま、いいか」という感じ。問題提起になる素材を並べながら、それほどこだわらないで、幸せな日常。この段階では、風俗小説の範囲。時代の現状を良く表していることは確かだが。
【「痲保良」櫻小路閑】
 大学准教授の大堂は、地球温暖化の研究者である。彼の講演を澤渡という男が、熱心に聴講している。
 その彼の話を聞く大堂。澤渡は、事業で大儲けをした資産家。「痲保良」という地区を買い取り理想郷を、建設する話をする。作品のポイントとしては、澤渡の話が主体で、彼の独白を、大堂が受け止めるという形式。語り手から長話を聴くという間接的な手法をどういう形式でするか、というところが工夫のいるところ。内容は、現在の日本社会の現状と国民性への批判があるように読める。
 ここでは、合間に料理に注文を入れるということで、場を持たせている。そこが面白かった。
発行所=〒546-0033大阪府東住吉区南田辺2-5-1、多田方、メタセコイアの会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2018年2月 2日 (金)

西日本文学展望「西日本新聞2018年1月31日/朝刊」茶園梨加氏

題「豊かさとは」
志田昌教さん「炭住の赤い靴」(「長崎文学」86号、長崎市)、武村淳さん「母と歩けば冥土の道」(「詩と眞實」823号、熊本市)
有森信二さん「家畜化計画」(「海」第二期第19号、福岡市)、「火の鳥」(27号、鹿児島市)は吉井和子さん追悼特集
本欄はしばらく休載となり、6月再開予定だそうです。その間も同人誌は文化部宛に送ってください、とのこと。
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2018年2月 1日 (木)

赤井都さん言壺便り-2018・01・31

  2018年も「言壺便り」をよろしくお願いします!
  1月ほぼ一カ月間という長い会期を、Le Petit Parisienというオープンな書斎でいただいて、窓際で展示販売を
させていただきました。たくさんのご来場、ありがとうございました。蔵書票は50枚入れたのが40枚も売れて、
アリスも人気でした! ありがとうございました。小さな机の上に豆本を置いて、引出しの中に版を入れ、奥に古書があるという眺めが私自身とても気に入りました。
  展示では、私の作品の他に、稲垣足穂の貴重な本の数々が展示されました。出版された当時は、こんな装丁だったのかー、とか、こんな対談集出てたんだ、などの珍しいものが見られました。古い文字組で『弥勒』を読みました。
  基本お任せしていて、私は行ける時に遊びに行ったのですが、だいたい行けるのが金曜の午後になるパターンで、展示本を一冊ずつ手に取って読書をしていました。
  会期中、書斎のオーナーさん、古書の出品者さん、私の三人での雑談会もしました。お忙しいところ、お集まりいただきましてありがとうございました。テーマがあって複数の人と話すということ、新鮮でした。特に演台とかもく同じ高さで本棚の間に皆で椅子を並べて座るという距離感が良かったですね。もっといろいろとお話したりお聞きしたりしたかったのですが、なにしろ時間があっというまでした。
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■最近のはまりごと
  実用書をばらして、綴じ直すことにはまりました。ストレッチの本など、超実用の本。ハンズフリーで見たい
のですが、背が固くて、両側を押さえておかないと勝手に閉じてしまう本。その本のページを一枚ずつばらして、
和紙で折丁の形になるように足継ぎして、針と糸で綴じてぱかっとどこででも開いて手を離して見られる本になりました。一冊綴じ直すのは、乾かす時間があるので、二日間必要です。
  書斎ではなく、茶の間に置いて使うので、無地の革や布など、インテリアとして溶け込む素材で表紙をつけました。
  すると、とても使いやすい、自分の本になりました。これまで、本の改装は、本を芸術にするルリユールの視点
で習ったまま、そのイメージで来ていましたが、アートになりそうもないガチな実用書を、自分の利用に便利なよう
に、物として変えていいんだ、と思ったら、とても自由になりました。綴じ直せば、便利です。製本は生活を豊かに
する技術だなと思いました。教室でも、本の改装をもっと教えていきたいです。そのうちブログにも書きたい話。
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