文芸時評3月(産経)=石原千秋 五輪は敗者のためにもある
小谷野敦「とちおとめのババロア」(文学界)は、女子大のフランス語教師・福鎌純次がネットお見合いで皇族の後藤雍子(ようこ)(実は雍子女王)と知り合って結婚する荒唐無稽な話で、よくも書いたりと思う。彼女は徳田秋聲の熱烈なファンという設定で、小谷野敦のツイッターを見た人なら誰がモデルだかわかる。文学ネタもちりばめてある。ヒロインが「ようこ」で末尾が「車から降りると、天の川が降るようだった。純次はそっと雍子の肩に手を回した。」とあれば、大枠は川端康成『雪国』である。結婚後に戸籍謄本に「福鎌純次・雍子」とあるのを見て、彼女は「やっと人権が手に入った」とつぶやく。それがこの小説のテーマである。
高原到「「日本近代文学」の敗戦--「夏の花」と『黒い雨』のはざまで」(群像)がいい。敗戦文学と言っていい原民喜「夏の花」のイロニーは自壊し、井伏鱒二『黒い雨』のユーモアは蹉跌(さてつ)したと論じ、いま日本文学は「あたかも『敗戦』などなかったかのように(中略)無数の『内面』と『風景』を手をかえ品をかえ生産しつづけている。だがそれらは文学なのだろうか?」と問いかける。これを「とちおとめのババロア」と接続すれば、戦後日本は「敗者の振る舞い」をたった一人に押しつけて来たのではなかったかという問いとなる。
《参照:文芸時評3月(産経)石原千秋 五輪は敗者のためにもある》
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