文芸同人誌「ガランス」第25号(福岡市)
【「母と娘のパリ訪問記」小山田由美】
海外旅行記は多いが、おおよそが自己記録の表現としてのスタイルである。そうしたものに対し、私は特殊な読者となる。実は、事情があって、一度も国外に出たことがない。
そういう自分は、国内にいては知ることのない体験を、どのように知ることができるか、という興味で読む。そのなかで、本作は大変興味深く、好奇心を満足させてくれた。
とくに1934年生まれの母親が、見合い結婚し、小学学校教師をして、絵画芸術の興味を寄せていたという。当時の因習の強い社会環境で、母親、妻とう主婦としての役割のみに比重の偏る生活。そのなかで、華道や絵画鑑賞に心を寄せる姿が印象深い。
芸術への姿勢を家族全体の環境から、手際よく書きだす。優れたエッセイストの見聞記として、読めた。とくに、ユトリロの晩年の作品が、母親の絵画の精神と共通点を見出すところなど、そういうこともあるか、と驚いた。
日本では、著名な美術館の作品展があると、昔と違って混雑がすごい。とくに上野は、落ち着いて観られない。その点、向こうではゆっくり見られるのは、素晴らしい。
【【評論「プラトン・ミュートス考(その2)新名規明」
第一印象は、古典哲学に縁がないので、解るかな? と疑問に思って読み始めた。だが、ポストモダン思想の現代に通じるものがあることが分かって、その原初の思想はそうなのか、少しばかり納得した。ちょうど、自分はポストモダン時代の近代社会(モダン)との分岐点を探していた。そこで、その手掛かりとして、文学的な実作者から見た近代文学の本質が菊池寛の文学論に存在するのではないか、と資料を研究している。そのなかで、菊池がモダン社会の世界文学について、大局的に把握しているのがわかった。ポストモダン時代との比較をしているうちに、彼が「真・善・美」の思想を背景にしているのは、ヘーゲルを読んでいたためらしいことがわかった。
この真・善・美は、ギリシャ哲学からのテーマであると知ってはいたが、これはプラトンやソクラテスの時代の思索のための対話の形式がわかって面白い。
【「ひとりぼっち評論―戦後美術から原発まで」ミツコ田部】
「序にかえて」の項では、ポストモダンの大冊ドゥルーズ、ガタリの共著「千のプラトー」について芸術論が述べられている。私の年齢層ではポストモダンについてなにかを語ること自体が、、日本的みんなの世界から外れたことなのである。もちろん自分は読んでいない。ただ、ネットの読書メーターを読んだり、解説を読んでイメージを取り込んでいる。そのイメージにつて手掛かりを得ることができる。戦後美術に関し、アメリカ人特有の雑駁な芸術手法を「俗物の形而上学」という名称で表現していることは、知らなかった。またここで、述べているように原発事故の教唆する未来を、なぜ政治がこんなに無視できるのか。日本人のみんなが気にかけないのか、催眠効果か、思考力の低下なのか、よくわからない。資本主義の示す本性なのかも。
発行所=〒812-0044福岡市博多区千代3丁目2-1、(株)梓書院内。」ガランスの会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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