村上春樹のレイモンド・チャンドラー翻訳
そして力を尽くして『ロング・グッドバイ』を翻訳したわけだが、僕の新訳に対する風当たりは思いの外きつかった。まずだいいちにこの作品には清水俊二さんの『長いお別れ』という優れた翻訳が先行してあり、多くの人がその訳書を通してこの作品に親しんでいた。
これは野崎孝さん訳の『ライ麦畑でつかまえて』(拙訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)についても言えたことだが、このようにいわば神格化された優れた既訳があるときには、新訳は厳しい逆風を受けることになる。それらの訳書を読んで感銘を受けていた読者は、自分にとっての神聖な領域に、見知らぬ人間に土足で踏み込まれたような不快感・抵抗感を抱いてしまうからだ。その気持ちはわからないでもない。僕だってやはり野崎さんの『ライ麦畑』や清水さんの『長いお別れ』で育ってきた世代だから。
ただ翻訳というものは、経年劣化からは逃げられない宿命を背負っている。僕の感覚からすれば、おおよそ半世紀を目安として、ボキャブラリーや文章感覚のようなものにだんだんほころびが見え始めてくる。僕が今こうしてやっている翻訳だっておそらく、50年も経てば「ちょっと感覚的に古いかな」ということになってくるだろう。
《参照: 準古典小説としてのチャンドラー 村上春樹氏寄稿(下) 》
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