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2018年1月22日 (月)

文芸同人誌「文芸多摩」10号(町田市)

  【「常識のかけら」一条まさみ】
 キミエという社会人になりたての女性が、アパートを借りて、神田の小さなデザイン会社に勤める。そこで社会の仕組みを学ぶことを、常識のかけらを知るという意味のようだ。
 時代は明確でないが、デザイン会社でキミエが業界新聞の題字のレタリングを定規やフリーハンドでおこなっているところや、生活事情から、戦後の復興期の時代と推察できる。
 父親は結核療養中で、母親は同病で若死にしたなかで、零細企業の社員の生活が描かれる。生活上の苦しい状況の描写に重点を置かず、若さ生活力をつける軽い描き方に、工夫がみられる。ただし、作者の話によると、家庭内の状況には大変な苦労があったそうである。ただ、それをは省いたことで、明るいトーンで話のまとまりが良くなった。
【「『穴熊』と少年恵介】
 恵介少年が国民学校6年の時に、太平洋戦争がはじまった。場所は四国山脈の眉山の麓である。なにも疑わず国民全体が、国の大本営発表を信じ、日本人が一体となって戦意高揚に戦争を支持する勢いが描かれる。主人公は、少年の恵介であるが、作者は少年の視線をもとながら、冷静な筆使いでそれを客観的に描く。
 「穴熊」というのは、城東中学校の校長に生徒たちがつけた渾名である。内心は世相に批判的だが、とにかく良心に従って、生徒の勉学をすすめた。ただし、成績優秀生徒が、陸軍や海軍の士官学校に進もうとすると、それを押しとどめて他の進路をすすめたので、世間から批判されることもあった。
 米軍の空襲で多くの民間人が焼夷弾で焼け死ぬなか、「穴熊」は、自らの危険を顧みず逃げ遅れた生徒が合いないか、見回る「穴熊」の姿を少年は見る。なかでも、天皇陛下の御真影を守るために命がけの活動をする国民たちの姿を描いているのは、象徴的である。
 敗戦がわかった少年は、<なんだ! 日本は神の国ではなかったのか><国や神様がウソを教えて来たのか>とわかり、<もうだまされないぞ。自分で考えるのだ>と少年は決心する。校長の「穴熊」は戦後、郷里の岡山に帰り、裁判所の判事を務めたという。
 少年時代に、個人よりも国家集団を優先した時代。神の国とsれたその雰囲気と考えが敗戦で一変してしまった時代の一番の被害者の立場が、静かで冷静な調子でよく示されている。
【「10歳の階段」原秋子】
 メイコは小学4年生で、その学校での運動会などの生活ぶりが描かれる。運動会では、リレーには出るが、ソーラン節などのダンス競技には、誘われても出ない。自分は、皆のように熱心に練習をしていないのに、一緒に踊るにはふさわしくないと感じるからだ。また、徒競争では身体の不自由な生徒に、ハンデをつけて走らせていることに、当人はそれをどう感じるのだろうか、と思ったりする。とにかく論理性のある考えをするのだ。
 一見、童話的な調子の中に、生活はどうあるべきかを、大人に考えさせるという思想をもった作品であることがわかる。そう見ると、興味が湧く形式の作品である。
【「差し出された手」木原信義】
  大学を卒業して教師になる過程をへて教員試験に合格した河村明。だが、東京都教員組合の分裂動向や本部との軋轢などで苦労する。共産党にたいする風当たりの強さなどが語られる。具体的には、図書館教育のなかでの親子読書運動の成果が語れる。教育者の外部圧力と教育活動の難しさが示されている。
発行所=194-0041東京都町田市中町2-18-042、木原方、日本民主主義文学会、東京・町田支部。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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