文芸同人誌「群系」第39号(東京)
【「貸家物語『猫を侮るな』」小野友貴枝】
地方公務員を定年退職した多賀谷裕子は、貸家を三棟ほど所有している。そのうちの一棟に、四月から入居していた遠田が、七、八キロ離れた山奥で、死体で見つかった。
この遠田という男は、初美と云う愛人がいた。遠田が貸家に住む不動産屋への手続きは、初美が行ったらしい。そのためか、遠田の同居人は息子ということになっているが、実際は初美が家内をしきっているようだ。
賃貸契約では猫を飼ってはいけないことになっているが、遠田と初美はそれを無視して、猫を何匹も飼い、家も借家人も猫の臭いに充満する。猫屋敷と化した遠田コンビと不動産屋と家主のやりとりが小説的に面白い。ここに重点を置いて描かれているので、冒頭に記された遠田が山中で、遺体となって見つかった事実が、出来事として受け止められ、ミステリー的な読み物ではないことを示している。そのため、なぜ、どのようにして遠田が死んだのかということが不明のままで区切りをつけているが、小説的にはそれほど問題を感じさせない。貸家話の連作になるのか。タイトルは「猫」遠田を死に追いやったのかと、妄想させる。とにかく、出来事の叙事と小説的な物語を混在させて、個性のある作品になっている。
【「叫ぶ Calling…」荻野央】
二つのエピソードをつなげている。 「空蝉」というタイトルでは、生臭坊主がお彼岸と死者の霊の話をもっともらしく語るところが導入部。この入りが工夫の見えるところで、蝉の抜け殻や、その後の蝶の出現と、亡き妻との霊的なつながりを記す言葉を引き立てている。ちょっと清岡卓行の「ああ きみに肉体いがあるとはふしぎだ」の透明感のあるビジョンを思い浮かべてしまう。作者好みの甘い幻想を加えたようなロマン精神の散文表現になっている。
もうひとつの「棺桶の電話」というタイトルのものでは、関西国際空港に近いところに箱作(はこつくり)という町がある。そこに妹が住んでいる。その町の名は棺桶作りの町だったかららしい。妹は夫が蒸発して年月を経たので、高級棺桶屋に頼んで、中に電話機を入れて葬儀をするという。これも霊的な異界との交流を意識的につなげ、蝶の登場でそのロマン的精神をまとめている。通信電話機を棺桶にいれるという、発想がユニークだが、イメージ的な想起では、なるほどと感心させられた。
本誌には、同じ筆者の評論「石原吉郎の詩、わたしの読み方(三)」がある。情感豊かで、優しい視点で評する。たまたま、詩人で評論家の郷原宏氏が「未来」(未来社の季刊誌)に「岸辺のない海―石原吉郎ノート」を連載している。冷静な分析力が興味をそそる。なかで石原が朔太郎の「月に吠える」の作品に影響を受けて、新しい展開のきっかけになったのではないか、という説があったので、それについて、郷原氏に会った時に「月に吠える」の朔太郎の独特の肉体の部分表現についての影響であるのか、ときいたところ、それはないであろうという返事だった。
【「蠱惑の森」坂井瑞穂】
ドイツ文学のグリム童話の風土色の濃い、魔法使いや妖精の跋扈する世界での「ぼく」の体験談。アルプスの麓の緑の森の雰囲気小説として、グリム童話の陰鬱さから離れた、明朗な調子の表現に特徴がでているように思えた。
発行編集部=〒136-0072江東区大島7-28-1-1366、永野方、「群系の会」。
紹介者「詩人回廊」北一郎。
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