文芸月評(読売新聞11月3日)文化部 待田晋哉記者
今月は、文芸誌3誌で新人賞の発表があり、計4作の受賞作が出た。その中で、圧倒的な言葉と観念の密度を感じたのは、文芸賞を史上最年長で受賞した若竹千佐子さん(63)の「おらおらでひとりいぐも」だった。
主人公は、突然に夫を亡くした70代の女性。深い悲しみの中である日、生まれ育った東北の言葉が体の内側からわき上がってくるのを覚える。
<どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如なんじょにすべがぁ><だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから(略)おらだば、おめだ。おめだば、おらだ>
彼女は東京五輪の年に24歳で実家を出て50年になり、標準語が身についたはずだった。だが一人で暮らすうち、自分の中で対話するように故郷の言葉で過去を振り返る。幼い頃に<さかしいの、めんこいの>とほめてくれた祖母。勝ち気な母に反発しての上京。結婚と子育ての日々――。
新潮新人賞は石井遊佳さん(53)の「百年泥」に、素材の面白さがある。多重債務の返済のためインドで日本語教師として働く女性が、現地で100年に1度の洪水に遭遇した。川の汚泥が巻き上げられ、自身や現地の人々の記憶などが混然一体となって呼び起こされてゆく。
すばる文学賞を受賞した山岡ミヤさん(31)の「光点」は、家族の問題などを抱えた若い男女2人が、新しい一歩を踏み出すまでを刻む。文章が澄んだ光に包まれている。
石田千さん(49)の「母とユニクロ」(群像)は、年老いた両親が住む東北の街に里帰りした女性が、母とユニクロへ出かけた一幕をつづる。ブラウスの袖の形などについてあれこれ言いながら選ぶ2人の姿に、老いた親を気遣う娘と、子供がいない娘を思う母の無言の優しさを交差させた。
町屋良平さん(33)の「水面」(文芸冬号)は、心が弱い若者の失恋や傷心のインド旅行、社会での低迷の日々を記す。弱い人間の図太ずぶとさもにじませた。
<ぼくのベッドはナッツ> 短編では、不思議な一文で始まる坂口恭平さん(39)の「ロンパの森」(Monkey13号)に、広い場所へ導かれるような心地よさを覚えた。
村田喜代子さん(72)の連載「エリザベスの友達」(新潮昨年4月号~)も完結した。北九州の介護施設に入った認知症の老いた母親たちと見舞いに訪れる娘たちの物語だ。年を取って知覚が衰えると、人間は自分の過ごした最も良い頃に帰るという。中国の天津租界で優雅な生活を送った記憶に浸ったり、出産の痛みに包まれた時間へ戻ったりする母の姿を娘たちは目の当たりにする。
夢を扱った『屋根屋』をはじめ著者には、意識と無意識の境界が揺らぐ世界に紡いだ小説群がある。今作は、老いの衰えに物語の桃源郷を見出みいだした。(文化部 待田晋哉)
『時の肖像 小説・中上健次』などの著作を残した辻章さん(1945~2015年)の作品を収めた『辻章著作集』(作品社)の刊行が始まった。麻布学園時代の同窓生が刊行会を作り、6巻を出版する。
第1巻には、初の作品集『逆羽』や第2作品集『この世のこと』のほか、芥川賞候補作になった「青山」などを収録した。「逆羽」は、学生運動がセクト同士の陰惨な内ゲバへと転じた時代が舞台だ。「暴力革命」といった抽象的な言葉からはこぼれ落ちてしまう、実際に学生に鉄パイプが振り下ろされたような現実のざらざらとした恐怖感が身に迫る。「青山」は、障害を抱えた子供を持つ父母が家庭を崩壊させてゆく姿を書き尽くす。いずれの作品にも、現代の小説には見かけなくなった剛直さがある。
《参照: 【文芸月評】方言の背後 豊かな力》
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