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2017年11月 1日 (水)

文芸時評・11月「そこまでして村上春樹を避けたいのか」石原千秋氏

(中頁抜粋)今月の文芸誌は温又柔(ゆうじゅう)だらけ。その中で、リービ英雄との師弟対談「なぜ日本語で書くか」(文学界)は、誌上でのゼミ指導の趣があって面白かった。リービ英雄は温又柔の『真ん中の子どもたち』について、「僕があの小説を読んで不安に思ったのは、これは管理された上品な留学生活の話だということ。場所は上海で(中略)高層ビルばかりで、でもその下に、自身の二百年分の給料を払ってもマンションを買えないような人たちがウロウロしているはずなのに、それが全く出てこない」と厳しい。これがまさにテクスト論的に「語られないこと」を暴く方法なのだ。意図的であるかないかを問う必要はない。僕がいつも授業で話している方法である。加藤はいったい何をもってテクスト論だと想定しているのだろうか。
 今月は新人賞の月。何度か批判したが、受賞作よりも選考委員が前面に出てくるいかにも権威主義的な誌面構成がいっさいなくなったのはよかった。
 文芸賞の若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」のタイトルは、言うまでもなく宮沢賢治「永訣の朝」の本歌取り。もうろくした桃子という女性の半生を、東北弁をうまく交えながら書く。結婚後は「周造の理想の女になる、そう決めた」あたりで、これは安っぽいフェミニズムが来るかなと思って我慢して読んだら、「周造のために生きる。自分で作った自分の殻が窮屈だと感じ始めたちょうどそのとき、もう周造を介在せずに自分と向き合っていたまさにそのときに周造が死んだ」という一節にピンと来た。しかも、その後に「おらおらで、ひとりいぐも」が来る。これで桃子がくっきり独り立ちした。みごとな作品だった。文芸賞ぽくないのにこの作風を受賞作とした選考委員にも拍手。
《参照:ノーベル文学賞、そこまでして村上春樹を避けたいのか 11月号 早稲田大学教授・石原千秋》

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