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2017年10月20日 (金)

我が同人雑誌の遍歴体験苦節10年=外狩雅巳

 10月15日の通信に文芸同人誌『砂』の現状が掲載されている。
 高齢化で文芸同人誌の継続には多くの苦労が伴います。思い当たることも多いので私の見聞や経験を述べます。
 先ず私の三度の同人誌運営経験から幾つか述べます。
 最初は三十歳。夜間『中央労働学院』通学時でした。文芸科の男女4人でサークル誌『未知』を結成しました。年長なので代表になり、年五回の発行をつづけました。一人で百ページ弱。十万円弱の費用を負担しました。
 三百部発行一部二百円での買取、回収では赤字です。月間『未知通信』も発行して個人負担が大変でした。千部販売を目標に頑張りましたが無理でした。
 集会で平等負担を呼び掛けたら拒否されました。誰が金を払っているんだと捨て台詞で解散しました。
 『あなた、悲哀,愛と、書いてしまうと、あとは、何も書くことの無くなってしまう僕の詩』という表紙文字です。新聞『赤旗』同人誌評にも取り上げられ有頂天でした。
 トラウマになり以後二十年は仕事人間になりました。
--それは昭和60年の春でした。新聞募集での同人誌に加入するべく説明会
に出席したのが始まりでした。---
 これが人生後半の同人誌体験です。上記は同人誌『慧』鵺号の編集後記の冒頭文です。
 42歳で加入した同人誌で二代目代表になりました。会費制の会で掲載費も著者負担として活動中の会でした。相模原に移住後も池袋の月例会に出かけて継続しました。
 新聞の募集欄にも投稿して会員拡大に努めました。新日本文学会・文学学校教師の登芳久氏も加入しました。
 合評会を先導してくれ学びの場として盛会が続きました。さらに、定年後の為相模原市で同人誌発足を行いました。図書館の紹介で知り合った長澤勝男氏と協議しました。
 彼が会長で私が事務局で公民館に募集ビラを貼りました。十人ほどの加入者で『相模文芸』創刊号を創りました。
 市役所・公民館・地方新聞等の応援もありました。会員には後に会長等を務め現在も活躍中の人達がいます。編集・会計・正副会長・事務局の組織運営体制です。集団運営が現在に続く盛況の秘訣でしょう。
《参照:外狩雅巳のひろば

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