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2017年10月10日 (火)

「散文とは判断の芸術である」ということ

  長々とモダニズム文章論を紹介してきた。でもこれが結論。《参照:伊藤整「氾濫」モダニズム文学の周辺と北原武夫の評論(4)
北原武夫は「散文とは判断の芸術である」というアランの言葉を前提にこの評論をしているようだ。自分は、判断のない文をじぶんなりに、叙事と称することにしている。そして、そこに文学味があればとりあえず、叙事詩としている。

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