文芸同人誌「星灯」第5号(東京)
【「支配からの逃走」渥美二郎】
人間による人間の支配をテーマに、教師の立場から見た支配的な事例を上げて、自からの行為も検証する。まとまった物語の形をとらないので、エッセイ的に見えるが、こうしたテーマ追求の形も純文学の特性であろう。ドストエフスキーの「地下生活者の手記」の手法もあるので、こうした作風に注目したい。
【「ラスト・マン・スタンディング」野川環】
桜井大は、40才を超えた中年だが、現在はマウンテンバイクを使って、故郷の実家に戻ってきた。原発とは距離があるのだが、放射能汚染は、ひどい。そのため妻子は、大と別れてしまった。過疎となった実家は荒れ果てていた。彼は、勤めていた会社の早期退職に応じ、マイホームを売ることで退職金を使ってローンを返済した。それが、妻の離婚の意思で、ローンと離婚の慰謝料に多くの金が消えてしまった。残った多少の金で生活するために、実家に戻るしかない。過疎地であっても近くに、老婆が住んでいた。その老婆もそこから出て行くという。大は、放射線汚染のその地で暮らして行こうと、決心する。
原発事故を忘れることがあっても、放射能汚染はなくならない。放射能汚染を日常化させた試みは、意義があると感じさせる。地域の電気水道事情や、セイタカアワダチ草の繁茂する様子など、フィクショナルであるが、話を面白くさせている。
【評論「日本文化論の形成と発展―加藤周一論ノート(4)」北村隆志】
加藤周一という評論家のものを意識して読んだ記憶はない。が、マルクス主義思想の社会階級論文学についての評論は読んだ記憶がある。ここでは、加藤評論の日本人の精神的風土論を紹介しているので、大変興味深い。知識人による日本人論として、宗教や万葉集、源氏物語を生み出した精神の底流の分析を紹介している。
なかでも、日本人の現在主義と集団主義の意識について、積極的に論じている。そのなかで共産主義者のなかに、戦争に反対した人々が存在していることを強調している。
現代のポピュリズムの世界的な流れのなかで、現在主義と集団主義という視点は、分類項としては、幅が広すぎるようにも思える。これらは、近代社会の流れから知識人による分析を紹介している。その意味で勉強になる。
ただ、本誌の大変面白い座談会(渥美二郎、神村和美、島村輝、松本たきこ)「『騎士団殺し』メッタ斬り」で論じられているような問題。つまり、近代社会以後、ポストモダンの文学的な現象に向けた視点での評論を生み出すことが課題ではないだろうか。
発行所=〒182-0035調布市上石原3-54-3-210、北村方。星灯編集委員会。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一
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コメント
丁寧に論じていただきありがとうございます。最後のご指摘は、今後の執筆に活かしたいと思います
投稿: 北村隆志 | 2017年10月27日 (金) 10時10分