実存と目的の狭間のミサイル
人間の存在に関しサルトルが「実存は目的に先行する」としたことについて述べたが、これは何処に行くかわからないままに、行列の先頭にたつようなもので、生まれてきたけど、どうすりゃいいんだ、という状況である。足元がおぼつかない。すると、天から、山に登れのという声を聞いたものは、「そうか、自分は山に登るためにここにいるんだ」と思えることもある。
「坊やは、おおきくなったら、何にないりたい?」。目的をもて、目的が欲しい。人間は目的を求める。そのため目的物に、意志を感じてしまう。ナイフを見ると、「刺せ」と言っているýような気になる。ピストルを持つと、引き金を引いて、人を打ちたくなる。それは、その物がそのために造られたからである。常に、物は語りかけてくる。俺が何のためにここにあるのかを考えろ。
北朝鮮では、きっと兵士がミサイルの発射装置の前にいるのだろう。命令があったら、ボタンを押せといわれて。ボタンは、押すためにある。ボタンはいつも語りかけている。「押して、押して」と。危ないのは書記長ではなく、兵士が、ボタンの問いかけに答えて、命令がなくても、押してしまうことではないのか。
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