町田文芸交流会の運営の実情を知る
町田文芸交流会の運営のをしている外狩雅巳氏が、その動機を記している。《参照:町田文芸交流会の参加者作品希望の合評実施》こういう心理は、だれでももっているが、その運営を実行する人はなかなないない。じぶんなどは、設定された場しか出ない無精者なので、ありがたい人だ。
その基本は、人が集まっても個人が埋没しないようにしたい、ということだ。自分は、人を集めずに、立て看板のように、自分の見解をだすだけだ。人間の存在とは、やっかいなもので、サルトルは「実存は目的に先行する」と書いた。人間は、道具ではない。目的をもって造られた存在でない。今は、そうとは限らないが、人が知恵をもつと自分探しをする。もともと、自分が存在することに困って、目的を持とうとするわけである。そして、書くことが生きることだなどという答えを見つける幸せ者もいるということだ。
野球やゲートボールやサッカーも遊びの範囲ならば、個人が埋没することがない。誰にでも、出番があることが多い。
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