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2017年9月19日 (火)

実存と目的の狭間のミサイル

  人間の存在に関しサルトルが「実存は目的に先行する」としたことについて述べたが、これは何処に行くかわからないままに、行列の先頭にたつようなもので、生まれてきたけど、どうすりゃいいんだ、という状況である。足元がおぼつかない。すると、天から、山に登れのという声を聞いたものは、「そうか、自分は山に登るためにここにいるんだ」と思えることもある。
  「坊やは、おおきくなったら、何にないりたい?」。目的をもて、目的が欲しい。人間は目的を求める。そのため目的物に、意志を感じてしまう。ナイフを見ると、「刺せ」と言っているýような気になる。ピストルを持つと、引き金を引いて、人を打ちたくなる。それは、その物がそのために造られたからである。常に、物は語りかけてくる。俺が何のためにここにあるのかを考えろ。
 北朝鮮では、きっと兵士がミサイルの発射装置の前にいるのだろう。命令があったら、ボタンを押せといわれて。ボタンは、押すためにある。ボタンはいつも語りかけている。「押して、押して」と。危ないのは書記長ではなく、兵士が、ボタンの問いかけに答えて、命令がなくても、押してしまうことではないのか。
   

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2017年9月18日 (月)

文芸同人誌「海馬」第40号(兵庫県)

【「石を抱えたトキヨ」永田祐司】
 トキヨである「私」は、三人姉妹の末っ子で、母は教師、父はエンジニア。自分は保険の販売店に勤めている。家庭の話かと思えばそうでもなく、時空をこえた恐竜時代の夢を見たり、保険販売の客対応のコツを語ったり、人生の意義を考えたり、作者の思うところを自由に描く。宮崎アニメかと思うと「蟹工船」のプロレタリア文学を考え、ルソーと云う友達が登場すると、「告白」のルソーの人生を話題にする。キーワードは占い師が云った彼女の「子宮の中に骨がある」というもので、それがどういう意味か、考えながら読ませるところ。内面性の薄い表現のなかで、それが受け取り方の多様性をもたらしている。
【「うたかたの記」長谷川直子】】
 弁護士事務所に勤める女性弁護士の葉子が、50代になってボス弁護士の助手をしているが、仕事に倦怠を感じている。ある機会があって、菅野という男のバーの店の開店を支援することになる。葉子は菅野を美しい男だと感じる。菅野のバーは評判良く、流行る。が、ある日、菅野は失踪してしまう。その後、手紙が来て、彼が少年期に父親を海に突き落としていたことを告白する。
 全体にロマンチックなムード小説的であるが、菅野の少年期の事件が別件のように感じてしまう。話が漠然していても、前の分の美と愛の関係だけを絞って書いた方が文学性があるのではないか。
【「豊中の家」岡田勲」】
 豊中の家に住む女性の一人称で、生活の心境と家族の様子が、丁寧に描かれていて、なにかプルーストの「失われた時を求めて」の日本版の一部のような感じがある。終章で、その家の風景を見ることはないという言葉があり、時空を超えた話に読めた。これはこれで、一趣向のように思えたが、編集者のあとがきに、亡くなった娘さんのことらしい、とわかって、納得すると同時に、その文才に感銘を受けた。
【「愛のかたち」山下定雄】
 カンナという女性について、彼であるらしい「私」の独白体の語りで、小説的描写よりも、内面の心情や情念に重きを置いた表現。愛情のもつ曖昧な感覚を言葉にしてるようなものとして、長編の一部のようである。
 その他【「逃げ延びろ(二)」山際省、【エッセー「台湾ワールド」頴川雅麗】、【「手帳の余白ー編集後記に代えて」小坂忠弘】がある。
発行所=〒675-1116加古郡稲美町蛸草1400-6、山下方、「海馬文学会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年9月17日 (日)

中村文則さん「R帝国」インタビュー(東京新聞)

「朝、目が覚めると戦争が始まっていた」―。物語は、隣国の核兵器発射準備をR帝国が空爆で阻止したニュースで幕を開ける。
 R帝国は″党″と呼ばれる国家党が強権体制を敷いている。民主主義の体裁を取るために存在する野党で議員秘書を務める栗原は、戦争の背後に党の思惑があることを知り、抵抗組織「L」と行動を共にする。
 R帝国には、ヒトラーやスターリンのような独裁者が存在するわけではない。「空気と流れで、いつの間にか全体主義的になってしまう、『日本的な独裁』を描いた」と中村さんは説明する。その風刺が痛烈だ。
 例えば「人権」「真実」など、党にとって都合の悪い言葉は「うさんくさい」「青臭い」「格好悪い」といった負のイメージを植え付けられ、無効化される。党を支援する「ボランティア・サポーター」たちは、指示されなくても党の意向を″忖度(そんたく)″し、反政府的だと判断した人々への過剰な悪口をまき散らす。
 信憑性(しんぴょうせい)の乏しいネット掲示板のうわさに飛び付き、喜々として攻撃を繰り返す男性が吐き捨てるように言う。「事実? そんなものに何の意味がある?」。フェイクニュースがまん延し、国や政権に批判的な言動がネットでたたかれる現状を想起させる描写だ。
 「強い国と一体化したい、という人々の願望が大きくなっている。もはや日本はR帝国になっているのかもしれない」と、中村さんは懸念を隠さない。
 《「2017-09-15 「空気」が支配する島国 / 長編小説『R帝国』 

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2017年9月15日 (金)

町田文芸交流会の運営の実情を知る

  町田文芸交流会の運営のをしている外狩雅巳氏が、その動機を記している。《参照:町田文芸交流会の参加者作品希望の合評実施》こういう心理は、だれでももっているが、その運営を実行する人はなかなないない。じぶんなどは、設定された場しか出ない無精者なので、ありがたい人だ。
 その基本は、人が集まっても個人が埋没しないようにしたい、ということだ。自分は、人を集めずに、立て看板のように、自分の見解をだすだけだ。人間の存在とは、やっかいなもので、サルトルは「実存は目的に先行する」と書いた。人間は、道具ではない。目的をもって造られた存在でない。今は、そうとは限らないが、人が知恵をもつと自分探しをする。もともと、自分が存在することに困って、目的を持とうとするわけである。そして、書くことが生きることだなどという答えを見つける幸せ者もいるということだ。
 野球やゲートボールやサッカーも遊びの範囲ならば、個人が埋没することがない。誰にでも、出番があることが多い。

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2017年9月12日 (火)

書籍は5番目に。コンテンツ産業市場(2016年)12兆3929億円

  デジタルコンテンツ協会が9月1日に発刊した「デジタルコンテンツ白書2017」(監修・経済産業省 商務情報政策局)によると、16年のコンテンツ産業市場規模は、前年比2.7%増の12兆3929億円となった。
  コンテンツ別のベスト5は、1位「テレビ」(民放地上波)1兆9605億円、2位「オンラインゲーム」1兆2574億円、3位「インターネット広告」1兆0378億円、4位「新聞販売」(広告収入除く)1兆0284億円、5位「書籍販売」7370億円の順。昨年5位だった「雑誌販売」は、6位(7339億円)にランクダウンした。(新文化)
<参照:コミケは盛況

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2017年9月11日 (月)

文芸同人誌「R&W」第22号(名古屋市)

【「滅びゆく懐疑派―『東海魁新聞』と眞野志岐夫の周辺」渡辺勝彦】
 眞野志岐夫というアナーキストが居て、まず、その長男の眞野吉宣が亡くなったことを記す。吉宣氏は、昭和11年の生まれで、行年76歳。語り手の「私」が彼に会ったのは、6年前である。
 「私」は、『東海魁新聞』を発行していた眞野志岐夫のことを調べているのだが、まず、その息子のことを記すのは、時代背景と現代との距離をつかませる。そして「私」が彼の父親について、取材すると、多くを語ることを避ける。しかし、彼の死後に「私」に向けて書かれた手紙が、発送されないで残っていたことがわかる。じつに話の展開が巧い。
 「私」が『東海魁新聞』を入手してその幾つかの号を読むのだが、眞野志岐夫は社会主義思想に基づいて、新聞を発行し、広告なども充実し読者の安定していた様子が新聞からわかる。彼が「治安維持法」違反で、警察から罰金刑を科せられるが、罰金が払えず、刑務所に入っている。
 その後、警察によって、社会主義思想家からの転向をさせられる。転向後も新聞を発行するが、国民より国家権力を優先する風潮を、転向者の証明として、過剰に賛美表現することで、皮肉の意味を持つような記事を載せるようなこともしていたらしい。
 すでに、法として成立している「治安維持法」のなかでの生活の様子が、普通に描かれている。現在の労働基準法をないがしろにする残業代ゼロ容認法なども、こうして成立していくのだろうな、と感慨を呼び起こす。資本主義と国家体制が結びついて、目に見えない網がかかっている社会の空気が読めるような気がする。いま与党として連立している公明党だが、創価学会の牧口常三郎初代会長は、伊勢神宮の御札(大麻)を受け取らなかったということで、昭和18年「治安維持法」違反で、拘束され獄死しているという。錯綜する矛盾社会をみる気がする。
【「禿頭賛歌」藤田充伯】
 亡くなった田中小実昌は、作家・翻訳家として著名である。文壇や周囲ではコミさんで親しまれた。彼はベレー帽を被っていたが、それは禿頭なので、頭が寒いからだったと想像がつく。本稿の作者も禿頭だそうで、そこから田中小実昌の人となりを語る。自分は、田中小実昌訳となると、ほとんど目を通した。翻訳なのに、ひらがなを多用し、日本の物語のように訳す。本人の書いたものは天才で学ぶべくもないと思っていたが、翻訳というのは別だろう思っていたところ、とんでもない。翻訳の文体でも天才であった。ハドリー・チェイスの「ダブル・ショック」の翻訳を読んだ時の驚きは忘れない。名人技の文章である。
 その彼が、映画鑑賞と路線バスに乗るのが好きで、わたしの地元、蒲田西口商店街にあった映画館に通っていたことを書いているのを読んでいる。晩年は、カント哲学について書いているのには驚いた。今は路線バスに乗るたびに、ひょいっと外の風景を見ては、彼のことを思い起こすことがある。何でもない街の風景に心の永遠なるものがあるのだ、と悟らせられるのだ。
 本稿で、通称コミさんがクリスチャンであったことや、亡くなったのがNYでの客死あったことなどを知った。
【「シ・ネ・マ」霧関忍】
 少年が罪を犯したと思いこんでいる過去と、ロマンスと超常現象とを混ぜ合わせた物語。過去のことに罪悪感をもつという自意識を働かせた題材が、現代では珍しい。そう感じるのは、政治家が「美しい日本」を掲げているが、それは過去に「汚れた日本」の存在を示す意味があるのに、気づかないような自意識の薄さ。現在の日本人の風潮を意識させるものがある。
 発行所=〒460-0013名古屋市中区上前津1-4-7、松本方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年9月 9日 (土)

「たね」と「空想カフェ」の形の紹介試行

  堀内みちこ・個人詩誌「空想カフェ」とプロテスタント文学集団の「たね」が文芸交流会に届いたというので、その形と内容の一部を外狩雅巳「文芸同人誌展示会」以後の文芸交流会」に付記として掲示した。
  文芸交流会には、その他の雑誌が送られてきているが、それを情報化しきれていない。現在は試行の段階だが、誰でもそれを簡単に記録できるような形式がないと、長続きしないであろう。「交流誌周辺情報」としてのスタイルを、考えていくことにする。
  文芸同志会のはじめは、作品を同人誌に印刷しなくても、その前の原稿の段階で、読んで研究し、それが世間の問えそうだ、というところまで、検討して州版者に持ち込んだり、しようということで、実際に会員は実行していた。当時の会報「文芸時事月報」や「文芸研究月報」には、そうした結果が掲載されていた。
 また、講談社などの出版者の人事や方針なども情報交換していた。作品公募の「未発表作品」というのは、どこまでを未発表とするか、などの取材も行っている。
 時代の流れで、活動もどんどん変化してきている。あきらかに時代は会の発足当時と異なっているので、再構築する必要があると思っている。

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2017年9月 8日 (金)

文芸月評(読売新聞9月7日)時代は人間が成す石垣

 作家の橋本治さん(69)がベテランの存在感を発揮している。「新潮」に「草薙の剣――昭和篇へん」を発表し、「群像」では昨年7月号からの連載「九十九歳になった私」を完結させた。
  「草薙の剣――昭和篇」は、62歳から12歳までの10歳ずつ違う6人の日本人が、どのように生きてきたかを、父母の来歴を含めて同時並行的に描く。「平成篇」は10月号掲載予定で、昭和と平成とは何だったのかを長編として総体的に捉える試みのようだ。「九十九歳になった私」は、2046年、98歳の作家「橋本治」の日々をゆるゆるとつづる。東京大震災が発生し、科学の暴走のために恐竜が空を飛ぶようになった世の中をぼやきながら、作家は独り暮らしを続けて99歳になった。
  壇蜜さん(36)の「はんぶんのユウジと」(文学界)は、古本屋巡りが趣味の生気のない男と見合い結婚する女性の話だ。デートの食事で、ビーフシチューかハンバーグか迷う女性に、彼は見た目の汚さを構わず両方頼んで半分ずつにしようと語る。
 三輪太郎さん(55)の「その八重垣を」(群像)は、万葉時代の日本にあった歌垣の風習が残る中国・雲南の少数民族を調査する40歳前の研究者を描く。国境を越えて民族や文化が混淆こんこうする東アジアの姿にロマンを感じる男の夢を、実際に台湾から日本へ渡った一族から聞いた現実の話の重みが徹底的に打ち砕く。
 木村紅美くみさん(41)の「雪子さんの足音」(同)は、アパートの住民と交流したがる大家と、それが重荷になる若者の姿が淡く胸に残った。
  多和田葉子さん(57)の連載「地球にちりばめられて」(群像昨年12月号~)も完結した。故郷の「列島」が消滅し、人々は地球上に散らばる。ある女性は欧州で自分の作った言語を話して暮らし、ある男性は話せない状態に陥る。列島の言葉を学び、成りすます者も現れた。(文化部 待田晋哉)
 昨年2月に68歳で死去した作家、津島佑子さんの母校、白百合女子大でのシンポジウムの記録などを収めた井上隆史編『津島佑子の世界』(水声社)が出版された。
 《参照:【文芸月評】時代は人間が成す石垣:》

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2017年9月 6日 (水)

投稿雑誌「文芸生活」58号(1980年)の作品選者たち

  雑誌「文芸生活」58号(新文化社)について外狩雅巳氏が「詩人回廊」にその因縁を書いている。目立ったのは雑誌の表4に西部デパートの広告が出ていることだ。小さな文芸雑誌には不似合いな、大企業広告である。ひょっとして、と思って、雑誌の投稿規定を見ると、そこに創作指導/選者のメンバーが名がある。
 そのなかに、やはり辻井喬(詩人)というがあった。応援をしていたらしい。そのほか、高井宥一(作家)、小松伸六(評論家)、久保田正文(評論家)、奥野健男(評論家)、半沢良夫(作家・本誌編集長)、伊藤桂一(作家・詩人)、嶋岡晨(詩人)など、かつてほでもなくても、当時でも錚々たるメンバーである。
編集長の半沢良夫は、この年「ジプシー分隊―わが青春の墓標」を刊行している。雑誌の構成は、会員制同人誌で市販はしていなかったようだ。
 久保田正文の投稿作品評には、「うまいが感動しない」として、どれもソツなく書けているが感度をしない、という小説技術の巧さだけでは、物足りなさを指摘している。
 一方、詩の部門では、伊藤桂一が「詩の格と才質」として、詩にも、長年の勉強で、作品に格がにじみ出るということを記している。選んだ作品には、一読してもさりげないさが印象に残るものがある。
 これらは、現在の同人雑誌に共通の指摘である。
 小説では、通常は男の「妻帯者」に対する外狩氏の家族の田中萱「夫帯者」というのが選ばれている。巧いもので、文章の感性に優れている。もう一つの森屋耀子「田園監視人」も優れていて、題材も現代的だが、時代に合えば、世に出ていたのであろうと思われる。ちなみに、この年の直木賞は、向田邦子や志茂田景樹が直木賞などを受賞している。
 映画では自分は、鈴木清順「チゴイネルワイゼン」、黒澤「影武者」、コッポラ「地獄の黙示録」を観た年であった。

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2017年9月 4日 (月)

第1回「ラノベ総選挙」10作品を発表=ブックウォーカー

  ブックウォーカーの投票でライトノベルの人気作を決める「次のヒット作はこれだ! 新作ラノベ総選挙2017」を行い、上位10点を発表した。「BOOK☆WALKER」で毎月購入している読者や書店員を対象に投票を募り、1万以上の票が集まったという。日販では500店以上の取引書店で上位作品を対象にしたフェアを順次始めている。
上位10点は次の通り。
①海道左近『インフィニット・デンドログラム』
②屋久ユウキ『弱キャラ友崎くん』
③安里アサト『86―エイティシックス』
④綾里けいし『異世界拷問姫』
⑤犬村小六『やがて恋するヴィヴィ・レイン』
⑥伊達康『友人キャラは大変ですか?』
⑦むらさきゆきや『14歳とイラストレーター』
⑧井中だちま『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』
⑨裕時悠示『29とJK』
⑩どぜう丸『現実主義勇者の王国再建記』
《参照:ラノベニュース

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2017年9月 2日 (土)

西日本文学展望「西日本新聞」2017年8月31・朝刊・茶園梨加氏

題「記憶を描く」
鳥海美幸さん「窪(くぼ)み」(「龍舌蘭」193号、宮崎市)、廣橋英子さん「ブルーベルベット」(「季刊午前」55号、福岡市)
浦川キヨ子さん「きのこ雲」(「西九州文学」39号、長崎市)、志田昌教さん「墓穴遠洞」(「長崎文学」85号、長崎市)、岡林稔さん「『龍舌蘭』の旧作を読む(四)」(「龍舌蘭」193号、宮崎市)、杉山武子さん「『女と刀』のアウラ」(「小説春秋」28号、鹿児島市)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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2017年9月 1日 (金)

文芸同人誌「あるかいど」第62号(大阪市)

 ある文芸評論によると、現代の小説が面白くないので、芥川賞と直木賞を統一したらどうだという論を述べている。もともと、直木賞は大衆的な読み物、芥川賞は文学的芸術性の価値を賞するものである。それが、面白いことを主眼にしたとなると、すべて直木賞とし、芥川賞はいらないということになる。これはたくさんの人に読まれないと、商業的に成立しない、同時にそうでないと、データーベースとしての評論の材料に不足がでるということになる。こうして、資本主義の論理のもとに、芸術作品が衰退させられていくのである。前記の文学論は、いわゆるポピュリズム文学世相への皮肉であろう。
 では、ポピュリズム文学時代の同人雑誌の実相はどうなのであろうか。普通は、そのあるべき姿を問うのが手順であろうが、自分はそれを求めて読んでいるわけではないことか。観察するだけである。そのなかで感じるのは、職業作家が編集者と話し合う余地があるのだろうが、同人誌作品は、ひとりで考えることである。指針や相談を受ける人がいない。磨きのかからない原石が魅力だが、装飾的な艶が出ていない。描写のコントラストが弱い。書き出しの重要性の認識が薄い。同じ号の作品の書き出しの文章だけを並べてみたことがあるのだろうか。どこに、どれをくっつけても同じようか、緊張感のなが気にならなければ、読者としても幸いである。
【「半径二〇三メートル僕イズム」高原あふち】
 認知症となった母親を介護する僕。孤児だったのを5歳の時に、今の両親に引き取られた存在だ。町工場の多い町で、父親が工場経営をしていた。子供のころから機械の音を聴いて育つ。父親は、工場経営が苦しくなった折に、ちょうど区画整理があったので、それに乗って土地を売却、大金を手にし、株式の投資などで過ごす。僕は高校を出て町工場に就職、会社は順調に規模拡大をしている。父親が亡くなったあと、母親が認知症になると、社長は、定時で引き上げることを認める。昼休みには、自転車で母親のところに行く。その距離が、203メートルなのである。限られた行動域にこだわる表現で、その生活感の異状性を、鈴音という高校時代の女性が、引き立てる。
 血のつながりのない親と、介護生活を軽い調子で語りながら、なんでこれが自分の人生なんだ? と、誰でも一度は思うであろう心が伝わる。介護体験のある人や親子関係にこだわる人には、身近な共感を産むかもしれない。
【「竜宮門」木村誠子】
 イトは、孫のユータが詩を書いていて、彼が文学作品のフリーマーケット「文学フリマ京都」に出店するという。そこから文学フリマの店番をする。その独特の雰囲気が良く描かれている。それを導入部に、さらにイトのイリュウジョンの世界に展開が広がる。それを充分に拡げるには、短すぎるところがあるが、作者の世界観を展開する糸口になるのかも知れない。ちょっと、人物像を描きながら、井上陽水の歌を援用するなど、ちょっとヘンリーミラーを思わせる素質を感じさせる。
【「父からの手紙」高畠寛】
 伝統型文芸同人誌では、高齢者の私小説が多いが、これは父親の終末期と同年令になった時に、生まれる感慨という的の絞られたテーマなので、興味深く読めた。ここでは、父親と対立する関係から、肯定的な気分に移るまでを描く。核家族が進んだ今は、父子関係にもその影響があり、まさに家庭の様相の個別化のなかの一例として、読者の認識を深めるのではないか。
発行所=545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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