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2017年7月 8日 (土)

文芸同人誌「海」第二期・第18号(太宰府市)

【「SODMY」中野薫】
 主人公の「僕」は、オックスフォード大学を出た長身金髪碧眼の英国人。京都にいて、英語教師をしながら能の研究をしている。ホモである主人公が、少年を求めて、古都を徘徊する話。サトシという日本人の男と知り合うが、まだ深い付き合いに至らない段階で話は終わる。白人の「僕」のゲイ嗜好を日常化したものとして描いたのであろう。現在の性的マイノリティLGBT(レズ、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の社会的な認識が進んだ時代に合わせたものであるとしても、タイトルが宗教的な視点での表現で、作品に描かれたイメージとどこでマッチするのか、考えてしまう。
【「万華鏡」有森信二】
 日本社会が、高度経済成長に入ろうとする時代。作者の少年時代と重なるのであろうか。近代社会の後半の、農村社会の共同体のなかの家族の世界を描く。作者の表現力は突出して素晴らしい。農家の子供である姉の美奈と弟の喬の姉弟愛が中心である。
 そのなかに、父親の妹である幸子が病弱で、働けず同居している。多少の家事手伝いをするが、喬はこの叔母が遊び相手をしてくれるので、好きである。読んでいて、自分の家にも親類の女性が同居していて、自分を可愛がってくれたのを、思い出した。なぜ、忘れていたのだろうと、不思議に思う。ようするに、この題材は、親近感に満ちている。
 いわゆる「みんな」意識で生活をし、支え合って生きた家族たち。父親と母親と子供たち、それに家長の妹が、作者の優れたリアリズム描写によって、生産関係に組み込まれた家族というかつての構造を、手堅い造型師の建造物のようにしっかり浮き彫りにしている。
 小説では家長制度のなかで、長男は喬であるが、まだ身体が出来ていないので、姉の美奈が水汲み労働を行う。喬は農業の家業を継ぐ長男としての役目を親から要求される。日本社会が脱農業化に変化しているのを察知したのか喬は農家を継ぎたがらない。
 そのことを象徴するように、父親が村人と酒を飲んでは、このところはみんなサラリーマンになっていると愚痴る。
 時代は、農業から工業へ人口移動がすすみ、核家族が進む。親がサラリーマンなってしまうと、子供は生産活動に参加できない。せめて買い物を手伝いするのだが、それは苦痛の伴う労働ではなく、消費者としてお客様として扱われる。
 核家族になれば、共同(みんな)で使っていた生活用品が、個人別に必要になる。住居も核家族すると足りなくなる。膨大な消費が生まれる元である。国内需要の増大によって、経済の高度成長時代がここから始まる。
 ここには、前世代にの生活スタイルが性格に描かれている。作者の眼は、世代断絶した我々の社会構造の変化の実態をよく見つめて表現している。事件も何も起きないが、しっかりとしたリアリズム手法で描かれた作品なので、共感をもって読ませられる。
【「あちらこちら文学散歩」(五)】井本元義】
 ここでは、詩人から俗世界の商人になったランボーの足跡をたどる旅が記録されている。楽しめる読み物である。俗物である私でさえ、堀口大学の翻訳で、作品を読んでいる。本作の冒頭で、昨年にランボーの関係した拳銃がオークションにかけられた話があるが、これはたまたま、詩人の堀内みちこ氏も「ランボー小論」(個人誌「空想カフェ」23号、2017年6月発行)で、AFP通信2016年12月1日の記事を紹介している。井上氏は、その口径7ミリ六連発リボルバー銃の写真を掲載している。
 詩人から生活人に人生の舵を切ったランボーの話は、おそらく長く人々の関心をひくことであろう。
【「静かななる本流」井本元義】
 文学的表現力が抜群で、文章そのもので読みごたえがある。長篇の一部らしいが、まとまっていなくても、作者の文学性のこだわりが、伝わってきて退屈することがない。
発行所=福岡県太宰市観世音寺1-15-33、(松本方)「海」編集委員会。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

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コメント

海第二期の作品を、鄭重にご紹介いただき、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。有森

投稿: 有森信二 | 2017年7月 8日 (土) 11時01分

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