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2017年7月 9日 (日)

文芸同人誌「異土」第14号(生駒市)

【評論「S・ベケット『ワット』―世界の意味が喪失するときー」紀井高子】
 冒頭にサミュエル・ベケット(1906~1989)の解説がある。アイルランドのダブリンで生まれた劇作家・小説家で、「ワット」は1943年に執筆され、1953年に出版された彼の2冊目の小説である。当然、「ユリシーズ」のジョイスと親交があって影響を受けたとされる。この同じ年に日本では、松本清張が『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞しているので、ごく近代の作家なのである。
 本誌の評論には、他にも、中里介山や火野葦平に関するものがある。「シラーの美的国家」論なども、安倍首相の好きな美しい日本とどう違うか興味深い。
  そのなかで、ベケットのこの評論では筆者が、前回の本誌でJ・M・クッツエーがベケットの「ワット」と「名づけえぬもの」を高く評価しているという評論を読んで書く気になったという。ベケットも彼もノーベル文学賞受賞作家である。
 自分も、いったいどれだけの人がベケットの「ゴドーを待ちながら」の演劇を観たり戯曲を読んだりしてるか、と思いながらこの評論を読んだ。よくぞ、書いてくれたという感がある。
 自分は、ある事情により 白水社の小説三部作(「モロイ」「マロウンは死ぬ」「名づけえぬもの」)全3冊セットを持っていた。それも新本を買っていた。ジョイスの「ユリシーズ」は古本であったのに、である。これを読み切るというのは、自分の通常の生活であり得ないことだが、内容の理解はとにかく読んだのである。独白文体の効果や、物語にしてしまうと、表現から抜けて落ちてしまう思考を展開する作家がいることを知った。
  しかし「ワット」という作品について読んでいないので、大変参考になった。同時にベケットを読み耽った時代を懐かしく思い出した。
 それは、ともかく、紀井氏の解釈を読むと、人間のもつこの世界への認識把握というものの不確定についての確信を描いたものらしい。文学的に見ると、事実として、世界が不確定であるところに、確信はない。だが、不確定であると捉えた認識については、確信することがあるのだ。わけのわからない内容の小説に、その意味づけを他人に説明できないが、わけのわからない作品でした、とは説明できるのである。
 小説とは現象を描くことで、この世界の存在の意味付けを、いろいろなパターンで認識させ、それを深める機能がある。しかし、どうとらえても存在世界の全体を「知りえないこと」があるのを認識できるのは確か。
 この評論による「ワット」の引用に円を描いた「絵」の項目がある。そこに――無限の空間と無限の時間のなかをそれぞれある中心とその円を求めているのだと考えた時、ワットの目には押さえがたい涙であふれた(中略)彼の気分をたいへん爽快にしてくれたーー(「ワット」白水社/高橋康也・訳151ページ)とある。
 まさに、道元の「心身脱落」の姿を想い浮かべた。同時に、時間は常に現状の変化を強要し、人間はそれに逆らってもがくということか。まさに「ワット」は、「ホワット?」かも知れない。
発行所=奈良県生駒市青山台 342-98、秋吉好方、「文学表現と思想の会
発行者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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