伊藤桂一師亡き後の「グループ桂」
先日、同人誌「グループ桂」のいわゆる合評会を行った。《参照: 「グループ桂」のひろば》本誌は、小説のみ掲載し、詩やエッセイは対象外としている。いわゆるかつての文壇を意識した意欲作のみを掲載するという伊藤桂一師の意向を反映したものである。その精神は、継承して行くが、師亡き後は、自分たちだけで、向上心をもって論評を交わすしかない。合評会での同人の書くモチベーションの高さには、押されてしまう。北一郎は、まったく意欲が湧かないので、なんとか意欲を出そうと、考えて、自分なりに現在のこのつまらなさを、表現してみようと思って書いた。
同人の批評でも、とにかく書くモチベ―ションが高い精神の持ち主には、理解ができないのが、自分にはよく理解できた。人生つまらないと思っていることを書くことは、できても、それが伝わるということはないようだ。じぶんにとって、現在がなぜつまらないかを、考え心あたりを過去の出来事から探るというスタイルは、あくまで現在形である。そこから思い出すのは、現在のこのつまらなさの原因をさぐることだ。これまでの自分になかった書き方の開発の端緒になるかもしれないと、思いつつ。(北一郎)
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