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2017年6月24日 (土)

結局はひとりが決める類のものとして文芸同志会

 文芸同志会の実態はなにか。そこでこれまでの経緯を話す。《文芸交流会6月会合
 会の創設が1999年の文化の日だった。ただ、会員が増え始めたのが2000年以降。思ったより会の存続が長引いたので、それが媒体力となるとは思っていなかった。ただ、マーケティングの仕事をしていた時に、オーディオ機器の普及に関する雑誌づくりをしていた時に、スピーカー、アンプ、再生ソフトなどの取材をしていて、機器の製品の完成を決めるのは、ただ一人の耳の判断。その人の好み、価値観で決まっていることを知る。
 「あんた、みんなj評判悪いよ」と教えてくれるのだが、みんなという人はいない。評判を悪くしているのは、そう言ってくるその人一人だけなのではないか、と気づいた。そこから、文芸同志会も一人で活動をする人を会員にし、その活動を支援するところから始まった。また会は、会員が居なくなっても、主宰者がひとりが、運営していれば、なくなることがない。

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