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2017年6月25日 (日)

文芸時評7月・早稲田大学教授・石原千秋氏「決断するストレス」

  (一部抜粋)今月の文芸雑誌で一番面白かったのは、文句なく関川夏央と御厨(みくりや)貴の対談「『ポスト平成』の日本と世界」(文学界)である。その理由も含めて、一番驚かされたのは、北朝鮮の人々は「むしろ戦争を望むのではないかな」という関川夏央の発言だ。これだけでも十分読むに値する対談だ。
 御厨貴は日本の大物政治家と深く付き合いながら、平気で彼らを批判するのだからなかなか得難い人材だ。「政治において一番大事なことは、決定して実行すること」なのに、民主党政権はそれができなかった。首相の仕事は「他所で本当に持て余した解決不可能な情報が『これは官邸に投げよう』ということで入ってくる」のを捌(さば)くことである。こんなことはサラリーマンなら日々経験しているはずだが、世事に疎い大学教員は役職にでも就かないと身をもって知ることができない。僕は前の大学でナントカ部長を経験したが、まさに決めることが最大のストレスだった。「長」には絶対になってはならないと悟った。

《産経新聞」早稲田大学教授・石原千秋 決断するストレス

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2017年6月24日 (土)

結局はひとりが決める類のものとして文芸同志会

 文芸同志会の実態はなにか。そこでこれまでの経緯を話す。《文芸交流会6月会合
 会の創設が1999年の文化の日だった。ただ、会員が増え始めたのが2000年以降。思ったより会の存続が長引いたので、それが媒体力となるとは思っていなかった。ただ、マーケティングの仕事をしていた時に、オーディオ機器の普及に関する雑誌づくりをしていた時に、スピーカー、アンプ、再生ソフトなどの取材をしていて、機器の製品の完成を決めるのは、ただ一人の耳の判断。その人の好み、価値観で決まっていることを知る。
 「あんた、みんなj評判悪いよ」と教えてくれるのだが、みんなという人はいない。評判を悪くしているのは、そう言ってくるその人一人だけなのではないか、と気づいた。そこから、文芸同志会も一人で活動をする人を会員にし、その活動を支援するところから始まった。また会は、会員が居なくなっても、主宰者がひとりが、運営していれば、なくなることがない。

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2017年6月21日 (水)

伊藤桂一師亡き後の「グループ桂」

  先日、同人誌「グループ桂」のいわゆる合評会を行った。《参照: 「グループ桂」のひろば》本誌は、小説のみ掲載し、詩やエッセイは対象外としている。いわゆるかつての文壇を意識した意欲作のみを掲載するという伊藤桂一師の意向を反映したものである。その精神は、継承して行くが、師亡き後は、自分たちだけで、向上心をもって論評を交わすしかない。合評会での同人の書くモチベーションの高さには、押されてしまう。北一郎は、まったく意欲が湧かないので、なんとか意欲を出そうと、考えて、自分なりに現在のこのつまらなさを、表現してみようと思って書いた。
 同人の批評でも、とにかく書くモチベ―ションが高い精神の持ち主には、理解ができないのが、自分にはよく理解できた。人生つまらないと思っていることを書くことは、できても、それが伝わるということはないようだ。じぶんにとって、現在がなぜつまらないかを、考え心あたりを過去の出来事から探るというスタイルは、あくまで現在形である。そこから思い出すのは、現在のこのつまらなさの原因をさぐることだ。これまでの自分になかった書き方の開発の端緒になるかもしれないと、思いつつ。(北一郎)

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2017年6月19日 (月)

文芸サークル誌「クラルテ」第8号(調布市)

 本誌は、日本民主主義文学会・代々木支部のサークル誌で、年1回刊行とある。
【評論「『シンゴ・ジラ』は何を進化”させたか?--続・怪獣映画のリアリズム考」谷本諭】
 非常にわかりやすく、主張のはっきりした評論である。まず映画の「シン・ゴジラ」(総監督:鹿野秀明、監督:樋口真嗣)が、2016年に公開され興行収入82億円の大ヒットになった。「日本アカデミー賞を」の最優秀作品賞、最優秀監督賞など7部門を獲得。いわゆる怪獣映画が、この栄冠を得るのは、史上初。さらに「毎日映画コンクールの日本映画大賞、「ブルーリボン賞」の作品賞など邦画各賞を総なめににし、歴史ある「キネマ旬報」の国内映画ランキング(2016年期)でも、「第2位」に選ばれているーーなど。
  続編なのに、きちんと理解できるように、説明がある。その評論の方向は、自衛隊を美化しているように観られてしまうか、政治的な意図を読みとられてしまうかなど、映画文化における社会的な意味性について論評されている。
 わたしは、「新世紀エヴァンゲリオン」の監督・脚本の鹿野英明が総監督であるから、ヒットしたのであろうと思うくらいで、また映画の意味性の議論もいわゆるマニアの世界のことと受け取りながら、関心を寄せなかった。もちろん映画もみていない。しかし、これを読んで、現代カルチャーの問題とする意味性について、概略を知ることができた。大変に勉強になった。
【エッセー「ビバ!『逃げ恥』リアリズム」谷本諭】
 これは同じ筆者のエッセーである。TBSTVドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を「逃げ恥」と略して、話題になっていることは知っていた。が、ここにその魅力と各回の概略が記されていて、実にわかりやすく、面白い。内容紹介のまとめ方や、社会的なメッセージについて語るところなど、じつに手際よく解説してくれている。自分の作品紹介ぶりが、どれほど不器用で下手であるかを思い知らされた。とにかく、500円で読めるのだから、お勧めである。才能ある社会文芸批評家の起用をする北村編集者の柔軟な発想に敬意を感じてしまう。
 このほか、【エッセー「星野源が福山雅治とキムタクを超え、植木等になる日」コングロマリット橿渕】、【エッセー「小説で読むブラック企業と労働組合」北村隆志】など、エッセーと称しなが、前者はカルチャーを、後者は労働者たちの現代社会環境動向を良く表現した小評論に読める。
 ちなみに、友人と待ち合わせをするため喫茶店でこれを読んでいたら、友人がこの本を手に取って、「ぼくに貸してよ。これには読みたいものがある」といったので、「読んだあとでね」と言ったものだ。要するに、文学がカルチャーとして、ほかのジャンルに負けてしまっている現状からすると、その他のジャンルに乗り込むための文学性が必要だということを強く認識させられるのである。
発行所=〒調布市上石原3-54-3-210、北村方。「日本民主主義文学会代々木支部。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
 

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2017年6月18日 (日)

文芸同人誌「異土」第14号(奈良県)

 毎号大変充実した作品群が詰め込まれているが今号も300頁を超える冊子となっている。執筆会員は近畿地方の人が大部分で会合も大阪市の労働センターで行っています。今号は322頁ボリュームです。
 注目したのは秋吉好氏の作品「松永軍記」と松山信慎介氏の作品「甦る火野葦平と戦争文学」である。
 171枚の力作である火野葦平作品論は、戦争協力作家として戦後に追放された事に言及している。
 現在私が同人誌に郷土作家として発表予定の古山高麗雄(1920年- 2002年)の紹介でも重複するので後述したい。
 ここではもう一つの秋吉氏の作品を紹介することにしたい。
 政権基盤の脆弱な室町幕府を揺さぶり戦国時代の幕を開けた応仁の乱の当事者の一人の臣下の物語。
 室町幕府の二大巨頭。細川と山名。日本国の六分の一を所有する六分の一衆と言われ細川勝元。
 そして以後は国元の四国の統治をおこなうそ家老の三好氏が実権を握りのし上がってきた。
 京都の室町幕府を牛耳る三好氏。しかし更にその家老の松永氏が台頭する下剋上の戦国時代。
 その松永久秀の実態に迫る142枚の連載長編が今号では一番の興味をそそられた。
 かつては「歴史読本」等の月刊誌があり図書館で手軽に読めたので歴史ファンとして読んでいた。
 廃刊となり日本史関係雑誌が身近になく、この作品を興味深く学びながら読ませてもらった。
 氏は奈良県在住で当誌の発行人としての重責を果たしながら多くの作品を生み出している。
 徳川家康・豊臣秀吉などの歴史上の有名人は多くの作品になり読者も多い。
 私も新聞連載になった津本陽氏の織田信長記「下天は夢か」は毎日欠かさず読んでいた。
 しかし近畿地方の戦国大名の松永氏についてはあまり興味がなかった。
 「異土」が毎回送付されてくるので読みふけり松永ファンになりそうである。
 武士階級が平将門等で世に出た奈良時代から実力を蓄え平氏と源氏が時代の主役になった平安時代。
 そして源氏の鎌倉幕府。貴族階級の復古勢力による反攻期の南北朝時代後を抑えた足利尊氏。
 その足利幕府を支えた細川氏の家来たちの歴史としてこの作品を細かく読み込んでいる。
源平藤橘の話 源平藤橘とは日本における貴種名族の四つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏を まとめた言い方である
 源平藤橘(日本における貴種名族の四つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏を まとめた言い方)として現在まで日本の名家であり支配階級の根幹として連綿と続く家父長制度。
 日本人とは何か。それを基調にした視点で足利家の歴史の読みを行っている。
 発行所=奈良県生駒市青山台 342-98、秋吉好方、「文学表現と思想の会」(発行日=2017年6月)
紹介者=外狩雅巳・文芸交流会事務局長

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2017年6月17日 (土)

寺澤有氏のメディアが伝えない警察組織の内情が面白い

  寺澤有氏といえば、秘密保護法を憲法違反とジャーナリストたちを集めて訴訟を起こしたり、それ以前から警察組織の内部不祥事を週刊誌に暴露し、警察官を逮捕させたりしたことで、「国境なき記者団」(フランスに本部)から100人のヒーローの一人に選ばれたりしている、ジャーナリストである。その彼が、現在裁判傍聴をして追及しているのが、泳がせ捜査の「覚せい剤11キロ密輸事件」である。
 まるで小説にもないような警察組織の活躍ぶりが、この記事の下にある動画で語られている。話が複雑なので、動画で語っていることの関連事項を記事化してわかりやすくしている。
問題はCD(コントロール・デリバリー=おとり捜査の法的な運用の範囲である。
 日本では警察・司法というのは、勧善懲悪で正義の味方というイメージが流布されている。しかし海外の場合、警察官といえども、契約による職業のひとつという見方をするので、一般人と同様に悪徳な警官、裁判官も存在すると考える。また、組織の欠陥で、優れた正義的警官を排除する仕組みがあることを市民が認識している。日本でも、現代っ子が社会を形成しているので、認識を改める時代に入ったのではないか。

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2017年6月16日 (金)

文芸同人誌「奏」34号・2017夏(静岡市)

【「評伝藤枝静男(第一回)」勝呂奏】
 表題の郷土の私小説作家の詳細である。冒頭に講談社文庫に藤枝の短編集が2点刊行されていることに触れ、没後も一定の愛読者が存在することの現象として捉えている。
 たしかに、私自身も「悲しいだけ」をもっているし、それ以前に幾つかの短編を読んでいた。40才頃から執筆しはじめた藤枝の作品が、師とする志賀直哉とほぼ同量の作品を残した、と指摘しているのには驚いた。なぜ、藤枝静男の作品が意外にも? 読まれるのか。自分はその理由は、家族関係が題材になっていることが多いことだと思う。
 家族関係は、人間生活の基本的な構造に由来する。したがって、読み物好きには、興味深く感じる。場合によればもっとも大衆的な素材である。人間の好奇心に訴える物語にミステリ―小説があるが、それと同等な世間話的な家族関係も大衆的な魅力がある。横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の大ヒットもそうした両面をもっているためであろう。
 同時掲載の【「藤枝静男『家族歴』ノート」勝呂奏】と合わせて、藤枝の家族関係の細部は、愛読者には参考になる労作である。
 本論一部を読んで、私なり注目したところを上げてみると、まず藤枝の自我の形成についての手掛かりがある。人間の自我形成は幼児期にあると見るので、これによる藤枝の自我形成には、祖父や兄によって、愛情を与えられて、そこから無意識な自己肯定の基礎ができたこと。
 同時に、人間像へのイメージが尊敬する先輩や偉人の姿に置くという理想主義があって、彼の自己肯定感を満たすには、この境地に達すること、というビジョンがあったこと。
 そのために、自己批判と自己否定感の影を負っていたと見える。常にそれと向き合っていただけに自分は自分という自己肯定感によって、困難に打ち勝つ精神が確立された。志賀直哉の我儘にも見える自己肯定の精神に藤枝が同感したのも道理である。
 これと対象的なのが、太宰治で、裕福な家庭内ありながら、家族からどこか充分な愛情を受けているという、充足感を知らず、愛情不足を抱えた精神が形成されたのではないか。無意識に抱く世界感について、寛容性を感受するより、不公平感を持つ。僻みっぽく、自己肯定的精神が弱い。他者の気分を伺い、それに感情が左右される感受性が生まれる。太宰治の文学的才気の繊細さと、藤枝の図太いような作風は対照的である。
 今後はそれに関連した話題として、示唆されると思うが、藤枝の私小説が、ただ事実をもとにしただけでなく、そこから次元を超えた日本の風土に根差した異次元世界への展開を含む、想像力による手法に果敢に挑戦したところが魅力であろう。
【「小説の中の絵画(第六回)太宰治『キリギリス』(続)妻の願い」】
 太宰の作品にこのような絵画の場面があるとは知らなかった。妻の独白体の引用文を読んでも、女性の感性を表現するのが巧いし、女性の孤独感より、夫の孤独感が想像させるのは、やはり巧さと才能を感じるしかない。
発行所=〒420‐0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2017年6月15日 (木)

KADOKAWA、文芸情報サイト「カドブン」開設

者自らが文芸にまつわる情報を発信するサイト「カドブン」を開設した。小説やノンフィクションなども含めて、読者に本の面白さを伝えるメディア。作家のインタビューやベストセラーや話題書などの書評を月曜日から金曜日まで毎日配信していく。
東京・渋谷区にある「森の図書館」の図書委員長である森俊介氏や、俳優の池内万作氏、「レビュアー大賞の受賞者などが定期的にレビューを執筆する。「文芸」をキーワードに、学生など幅広い層に魅力を伝え、市場拡大を狙う。

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2017年6月14日 (水)

文芸同人誌「群系」38号(東京)

 本誌の36号が第6回富士正晴全国同人雑誌賞の大賞を授賞した。この賞は、徳島県三好市が郷土出身の作家・詩人の富士正晴を顕彰して同人雑誌に特化した賞で、地元で授賞式を行うことで、文学祭のような町おこし効果もあるようだ。特別賞に「水路」第20号、「文芸中部」第100号(名古屋)が授賞している。
 「群系」は文学史に残るような作家、作品の評論が主で、それが評価されたようだ。そのなかで小説もいくつか掲載されている。
【「青いアネモネからの風」荻野央】
 冒頭から「妻が交通事故で頭を強く打って意識不明となったその年の暮に、妹の亭主が自殺した。続けられたふたつの不幸によって今年の正月は、感傷が二重になってなまなましく、わたしにはきつかった」という説明があり、それを前提とした50代「私」の精神にかかわってアネモネの存在の様子が語られる。
 状況はかなり憂鬱な雰囲気にあるが、しかし、アネモネを観察観賞し、その美的な感覚を楽しむ「私」は、冷静な側面が半分あるようで、虚無的な精神から距離を置いている。散文詩的な感覚に、世俗的な出来事を組み合わせたもの。アネモネの存在する空気世界は、透明性をもった文章で光を帯びて明るい。詩的な一つの定型である憂愁のなかに、世界を悲観的なものとして受け取めない作者の向日性をもつ個性が良く出ている。
【「会長のファイル5『地縁・血縁』」小野友貴枝】
 市の公益社団法人・社会福祉協議会(市社協)の会長に就任した英田の組織改革の活動に向けた、地域の風土との調整の苦労を語る。地域の民間福祉団体が、各自治会を通じて会費が入っていることや、各種の利益還元もあり、会長はベテラン部下のすすめもあり、自治会の幹部に運営資料を届けるため、自宅訪問を行う。
 能率の良くない不合理なしきたりだが、実行してみるとそれなりに、風土と結びついた福祉活動の実体験として学ぶものを感じる。地域の民間福祉団体の組織活動の内部の実相が良く反映されて描かれている。実体験であるが故の曖昧な表現が、かえって想像力を働かせる余地を生み出し、それが多くの含みをもって、面白く読める。
【「大豆の戯言」野本恵理子】
 茅ヶ崎から三重県津市の別荘地に引っ越したこと、家族が3人であることなどが記さる。ある日、外出から帰ると煮込んでいた大豆が戯言を言ってるのが聞こえるたという。とりとめのない話だが、こうした断片の連続は、ツイッターの呟きを読むようで、今後の文学的手法の通り道を示すのかも知れないと思えた。
 メインの評論にも、いくつか興味をそそるものがある。いわゆる評論対象の作家について、読者がどれだけ知識があるかにかかる。データ―ベースの多い少ないに読者動向が左右される。その意味で、大衆小説やコミック、流行作家について評するのがてっとり早い。
 最近の「群系」には、そうした動向を掲載した編集がなされているようで、それが良い評価につながるのであろう。
発行所=〒136-0073江東区大島7-28-1-1336、永野方。「群系の会
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2017年6月13日 (火)

同志会の仕組みと媒体としての現状

 文芸同志会は、同人雑誌を発行しない。個人として活動したい人の集まりである。そのために平凡であるが、さまざまな手法を用いている。よくネット活動専門と思い込むひともいるが、《文芸同志会のひろば》を順次読めば、その社会活動の経緯わかるはずである。
 単純な活動であるのに、いろいろ不思議な団体の思われるらしい。《参照:文芸交流会で文芸同志会研究を6月の企画に=外狩雅巳
この要因の一つに、ネットでのカテゴリーで区切る手法があるためかも知れない。要するに、多くの人は自分の興味のある部分しか読まない。そのから社会のさまざまジャンルの人が、それぞれ自分の関心のあることを読むので、検索サイトから各分野にアクセスがあり、それが重なって媒体化してしまったのであろう。いろいろな団体からの呼びかけがあり、新聞やTVにでないような社会現象も出来事として発表してきた。それを読んで、メディアの取材がいくこともあるかも知れない。とくに最近は、ウソニュースの自粛だそうで、写真入りが多い当会の運営サイトが検索にあがりやすいようだ。--といっても、証拠があるわけでなく、主宰者の独断で自己理論に基づいて行っている活動である。会員制と寄付で交通費やカメラ代、パソコンメンテ代などをまかなっているが、機器の寿命での買い替えやメンテ費用で経済的には苦しいところがある。苦しい時の投げ銭的寄付頼みである。

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2017年6月11日 (日)

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』村上春樹著

小説執筆の傍ら、世に送り出した翻訳書は約70冊。作家の村上春樹さんが自らの翻訳家としての36年の歩みを振り返る。3月刊で2刷2万8000部。主な読者層は20~50代の男女と幅広い。
 小説やノンフィクション、音楽についての文章まで、手がけた一点一点が丁寧に紹介される。J・D・サリンジャーの永遠の青春小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の項では〈その魔術的なまでの巧妙な語り口〉に正面から挑んだ感慨をつづる。
 全集を訳した同時代の米作家レイモンド・カーヴァーについてこう書いている。〈僕が彼から学んだいちばん大事なことは、「小説家は黙って小説を書け」ということだったと思う。小説家にとっては作品が全てなのだ。それがそのまま僕の規範ともなった〉。若い書き手が世界的な人気作家へと成長していく道程の、精緻で心揺さぶる記録がここにある。(中央公論新社・1500円+税)
《産経新聞6月10日:世界的作家を育んだ膨大な訳業『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』村上春樹著》より。

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2017年6月 9日 (金)

組織がウソを言わせる世情について

  きょうは、市民原子力委員会の会合に行ってきた。原発事故で、メルトダウンをしたことが、わかっているの言わなかった。嘘で隠していた。大洗での被ばくでも、まず被ばくの実際を嘘でごまかした。《参照:原発の安全への自治体の役割と課題を論議
 原発には、原子炉の大爆発を防ぐために、圧力を逃すベント装置がある。炉の中の圧力を抜くので、放射能がそこから噴出する。大爆発で拡散するより、放射能が少ないから良い、という装置だ。街の工場プラントで、毒物タンクが爆発しそうになったら、少量の毒を出して圧力を下げるので、安全です^、といってきたら、ああそうですか、少量ならしかたがないでしょう、といっているのと同じなのである。
そこで、民間の専門家の話を聞いて、情報を修正する。
  家計学園で、政府はまだウソを言っている。これは、組織人として、ウソをいっているのだろうが、そのうちに嘘を言わないのは、組織内でバカだということになる。
 原発も国民はバカだからウソいっても大丈夫というのが、日本だけでなくトランプまで波及している。
 でも、国民もウソを信じたいよね。大丈夫、自分だけは助かる。そう思いたい。でも本当はどうなの。と、思う心で、直に話をきくのである。

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2017年6月 8日 (木)

散文叙事詩としての佐藤裕「乳房」評

佐藤裕「乳房」 (「詩人回廊」掲載)(6月5日~6日)は、いわゆる叙事散文である。小説として受け取るのが、普通かもしれないが、結局、終章において、情感表現で終わらせているので、散文詩の部類にはいるであろう。
 この作品の特性は、男女の出会いから、恋愛関係、破局までをスピードと緊張感をもって、記されている。短い文節の文体から、一気に読まないと味わいに不足が生じると、本来の「詩人回廊」サイトならば4回くらいに分載するものを、2回にしたので、1回が長めの文になった。
 会員読者からは、長く感じて我慢が必要というような感想も届いた。たしか、現代は、スマホやタブレットで読む人が増えたので、短い文章をさっと読むという傾向にある。
 その意味では、ライトノベル的な作風とは、明確な違いをもって、読む気のある人だけに読んでもらうという「詩人回廊」の趣旨がこれから意味をもってくるような気がする。

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2017年6月 7日 (水)

「同人誌のひろば」を週刊読書人WEBが開設

 週刊読書人WEBに「同人誌のひろば」が開設された。《参照: 同人誌のひろば
 ひとつのアイディアとしての取り組みであろう。

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2017年6月 6日 (火)

文芸同人誌「海」95号(いなべ市)

【「アナザー・ローズ」宇佐美宏子】
 60代半ばの塔子は、眼の具合が悪くなり、病院に行く。すると、血液検査をされる。結果は梅毒による視神経の疾患とわかる。感染の原因は60歳で数年前に病死した夫しか考えられない。末尾に参考資料として、医学書が3点記されており、医師による事実の記録に同様の事実があったようだ。
 作品は、夫との生活の回想を中心に、病状の悪化を、薔薇の花やバルコニーの花壇の荒れようと並行して描く。話は孤独に暮らす塔子の回想が中心であるが、そのやり切れない孤独感が伝わってくる。小説設定からすると、他の手法もあるかと思うが、孤独を描くのに適した作者の資質なのか、本質的に人間は孤独であると強く認識させる筆力で、不思議な余韻を残す。こうした特殊なケースでなくても、孤独の表現が可能な作者のような気がする。
【「どこかへ」白石美津乃】
 定年退職者の政雄。妻の君江、82才になる母親の茂子は認知症気味。40才前の息子の弘。一度、都会生活をしたあと、実家に舞い戻って来て、居候をしている。それにペットの猫という家族構成で、ある種の現代家族構造の一典型でもある。政雅は、仕事を離れてしまって家庭内に居場所がない感じをもち、どこかに出かけることにする。自由であるが、孤独である。女性の手になるせいか、細部が実に小説的。
 人間社会は家族・市民社会・国家の構造のなかにあるとヘーゲルの「法哲学」にある。家族は愛による共同体という一体感をもち自由であれば良いとしている。家庭内の自由がどういうものか、この作品の家庭は一体感は失われている、自由であるように見えるが、幸せの条件を満たしていない。マルクスは「ヘーゲル法哲学批判序説」で、資本主義国家の経済的階級格差がヘーゲルの主張を裏切るとしている。しかし、これは息子の弘の経済生活の不満足の現状とはマッチしないようだ。本作品の家庭内生活ぶりを読むと、現代はヘーゲルやマルクスの発想を超えた段階にあることを示している。ただ、よく描かれた小説の家族構造は、社会科学の時代性の問題提起をも表現しているように思える。
【「水谷伸吉の日常」国府正昭】
 理髪店の主人が、お客が減ってしまう。経済の高度成長時代の人口増の反動と、高齢化で頻繁に髪の手入れを必要としない人が多くなった。そうした時代の流れに逆らえず、近隣の精神的発達障害者の施設に出前の仕事を引き受ける。淡々とまじめに仕事をする主人公の姿を描く。社会環境というのは、必ず変化することを実感させる。
【「夕霧理容室」紺谷猛】
 こちらの話は、50年前の団地生活ブームに合わせて、地域に必要となり開店したので、順調な時期が続いたことも話題にされている。この時代は、農村地帯からの大量人口移動が起こり、農業から工場現場へ、工場事務員が人口の半分近くになった。農業からサラリーマンになる人が都会に集中した。いわゆる団塊の世代の現象である。そのベッドタウンとしての団地造成があった。そこで良い商売になったのが、耐久消費財の電機メーカの系列電器店である。しかし、電気製品の普及が進むと、まず大型電気店に押されて消えて行ったのも系列電器店である。それに比較すると、理髪店の衰退はゆるやかである。
【「河岸をたたく雨」宇梶紀夫】
 農民文学賞受賞作家の鬼怒川ものともいうべき、一連の地域歴史時代小説である。「おさと」という料理茶屋の女中の見聞を軸に、当時の商売、庶民の男女のふれあい、鬼怒川の増水による輸送船の転覆事故など、さまざまな悲喜劇が語られている。各地に郷土史家や郷土作家がいるが、これも地域風土の雰囲気を再現しているように読めた。
【「『世代』初代編集長 遠藤麟一朗のこと」久田修】
 作者のエッセイ風の前半につづき、「世代」という文芸誌の編集賞であった遠藤麟一朗というエリート社会の文学者の年譜がついている。知らない文学者の話だが、が形式にこだわらない自由な書き方が、読んで面白い。
発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

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2017年6月 4日 (日)

東京新聞の川口晴美氏の詩評に文学フリマの話題も

 東京新聞の詩の月評に文学フリマの体験が話題にされた。《参照:詩人・川口晴美氏の「第24回文学フリマ東京」参加体験記
 詩の評をするときの基準は、人それぞれであるが、全国の都市展開をする文学フリマから、素材をとれば、各地での地元での詩人の流れのようなものが把握できるかもしれない。
 小説では、とても短時間で数多い作品に目をとおすのは、難しいが、詩ならばそれも可能かも。

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2017年6月 2日 (金)

西日本文学展望「西日本新聞」5月31日(水)朝刊・茶園梨加氏

題「海の見える風景」
木下恵美子さん「神の海」(「詩と眞實」815号、熊本市)、佐々野喜市さん「葬儀」(「しやりんばい」39号、宮崎市)
田崎弘章さん「火を囲う者たちへ」(「三田文学」)が第23回三田文学新人賞佳作、相川英輔さん「エスケイプ」(文学ムック「たべるのがおそい」vol.3)
笠置英昭さん『大伴一族興廃史』(九州文学社)、宮川行志さん『不知火の焔』(文芸社)、草倉哲夫さん『プリンクル物語』(朝倉書林)
立花和平さん「日めくり」(「宇佐文学」60号)、広田助利さん追悼特集となった長崎ペンクラブ「ら・めえる」(74号、長崎市)、志田昌教さん「異聞 島原の乱~ユキと伊織~」(「長崎文学」84号)
文芸同人誌案内掲示板:ひわき さんまとめ)

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