« 東京新聞の川口晴美氏の詩評に文学フリマの話題も | トップページ | 「同人誌のひろば」を週刊読書人WEBが開設 »

2017年6月 6日 (火)

文芸同人誌「海」95号(いなべ市)

【「アナザー・ローズ」宇佐美宏子】
 60代半ばの塔子は、眼の具合が悪くなり、病院に行く。すると、血液検査をされる。結果は梅毒による視神経の疾患とわかる。感染の原因は60歳で数年前に病死した夫しか考えられない。末尾に参考資料として、医学書が3点記されており、医師による事実の記録に同様の事実があったようだ。
 作品は、夫との生活の回想を中心に、病状の悪化を、薔薇の花やバルコニーの花壇の荒れようと並行して描く。話は孤独に暮らす塔子の回想が中心であるが、そのやり切れない孤独感が伝わってくる。小説設定からすると、他の手法もあるかと思うが、孤独を描くのに適した作者の資質なのか、本質的に人間は孤独であると強く認識させる筆力で、不思議な余韻を残す。こうした特殊なケースでなくても、孤独の表現が可能な作者のような気がする。
【「どこかへ」白石美津乃】
 定年退職者の政雄。妻の君江、82才になる母親の茂子は認知症気味。40才前の息子の弘。一度、都会生活をしたあと、実家に舞い戻って来て、居候をしている。それにペットの猫という家族構成で、ある種の現代家族構造の一典型でもある。政雅は、仕事を離れてしまって家庭内に居場所がない感じをもち、どこかに出かけることにする。自由であるが、孤独である。女性の手になるせいか、細部が実に小説的。
 人間社会は家族・市民社会・国家の構造のなかにあるとヘーゲルの「法哲学」にある。家族は愛による共同体という一体感をもち自由であれば良いとしている。家庭内の自由がどういうものか、この作品の家庭は一体感は失われている、自由であるように見えるが、幸せの条件を満たしていない。マルクスは「ヘーゲル法哲学批判序説」で、資本主義国家の経済的階級格差がヘーゲルの主張を裏切るとしている。しかし、これは息子の弘の経済生活の不満足の現状とはマッチしないようだ。本作品の家庭内生活ぶりを読むと、現代はヘーゲルやマルクスの発想を超えた段階にあることを示している。ただ、よく描かれた小説の家族構造は、社会科学の時代性の問題提起をも表現しているように思える。
【「水谷伸吉の日常」国府正昭】
 理髪店の主人が、お客が減ってしまう。経済の高度成長時代の人口増の反動と、高齢化で頻繁に髪の手入れを必要としない人が多くなった。そうした時代の流れに逆らえず、近隣の精神的発達障害者の施設に出前の仕事を引き受ける。淡々とまじめに仕事をする主人公の姿を描く。社会環境というのは、必ず変化することを実感させる。
【「夕霧理容室」紺谷猛】
 こちらの話は、50年前の団地生活ブームに合わせて、地域に必要となり開店したので、順調な時期が続いたことも話題にされている。この時代は、農村地帯からの大量人口移動が起こり、農業から工場現場へ、工場事務員が人口の半分近くになった。農業からサラリーマンになる人が都会に集中した。いわゆる団塊の世代の現象である。そのベッドタウンとしての団地造成があった。そこで良い商売になったのが、耐久消費財の電機メーカの系列電器店である。しかし、電気製品の普及が進むと、まず大型電気店に押されて消えて行ったのも系列電器店である。それに比較すると、理髪店の衰退はゆるやかである。
【「河岸をたたく雨」宇梶紀夫】
 農民文学賞受賞作家の鬼怒川ものともいうべき、一連の地域歴史時代小説である。「おさと」という料理茶屋の女中の見聞を軸に、当時の商売、庶民の男女のふれあい、鬼怒川の増水による輸送船の転覆事故など、さまざまな悲喜劇が語られている。各地に郷土史家や郷土作家がいるが、これも地域風土の雰囲気を再現しているように読めた。
【「『世代』初代編集長 遠藤麟一朗のこと」久田修】
 作者のエッセイ風の前半につづき、「世代」という文芸誌の編集賞であった遠藤麟一朗というエリート社会の文学者の年譜がついている。知らない文学者の話だが、が形式にこだわらない自由な書き方が、読んで面白い。
発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎。

|

« 東京新聞の川口晴美氏の詩評に文学フリマの話題も | トップページ | 「同人誌のひろば」を週刊読書人WEBが開設 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 東京新聞の川口晴美氏の詩評に文学フリマの話題も | トップページ | 「同人誌のひろば」を週刊読書人WEBが開設 »