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2017年5月15日 (月)

現実と小説創作におけるリアリズム

 美濃加茂市長の受託収賄事件で起訴され2審で有罪とされた藤井市長が、選挙で3選当選した。有罪の2審では藤井市長が主張を述べる場が与えられず、贈賄がわの詐欺罪服役中の男が贈賄の事実があると述べた。
 これに対して裁判長は、収賄の事情を語った事情には、充分説得力があり、もっともらしさがある。としている 毎度の話であるが、これを小説の創作において、事実あったことをそのまま描くと、リアルでないとされ、そこにフィクションを入れると、もっともらしい、リアルさが増したと評されることが少なくない。
 実際に、三島由紀夫は海外で映画化された「午後の曳航」を書く時に、横浜かどこかのヨットのオーナーに、小説モデルの取材にヨットを見せて欲しい、と見学に来たという。しかし、三島は肝腎のヨットをあまりよく観察しないで、帰ったという。そしてその小説は評判が良かった。
 要するに、事実にこだわると、もっともらしさが失われると考えたのであろう。見ずに書いたといわれたくなかったので形式的に見学したということになる。三島の小説には、実在の地名をつかったのが多い。しかし、そこの土地柄を良く表現しているわけでもない。いわゆる、非現実的な話にもっともらしさをだすための常套的な手法と読める。
 現実の裁判では、贈賄の事実を述べた判決書を検察側から熟読させられ、何か月にわたって応答の練習をさせあっれ、それにそってもっともらしい嘘をのべたのではないか。というのが郷原弁護士の憶測だ。
 《参照:美濃加茂市長選挙、藤井氏が当選も収賄事件判決に課題

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