文芸月評5月(読売新聞5/4・文化部) 待田晋哉記者
《対象作品》
松家仁之さん(58)の「光の犬」(新潮、2015年9月号~)は読後、しばらく黙っていたくなる小説だ。物語の静寂の中に、たたずんでいたくなる。
物語の最終盤、町の人口は往時の半分になり、始は父親やおばたちを介護する。日本の人口が6年連続で減少したと伝えた、総務省の14日の発表を象徴するような光景だ。だが、町が静けさに包まれるほど、老いた人々の混濁した意識の中でかつて生きた人々の言葉が冴さえ返り、営まれた生の記憶は美しく輝くのだ。
今年の文学界新人賞に決まった沼田真佑しんすけさん(38)の「影裏えいり」の主人公は、同性の恋人と別れ、東京から岩手に異動して2年になる男性会社員だ。社内に遊び仲間もできた。だが、会社をやめたその友人は生活が乱れ、東日本大震災の津波に巻き込まれたのか行方不明になる。2人が自分の心の揺れを抑え込むように熱中する釣りの様子、豊かな自然の描写に精彩がある。
太田靖久さん(41)の「リバーサイド」(群像)は、大学を出て銀行員になった青年と、小学校のサッカーチームの仲間で、高校を卒業して派遣の仕事につく男との関わりを描く。面倒くさいけれど、変に「正しい」ことを語る男の存在が主人公は気になる。丁寧な筆致で出来事や感情の流れをたどり、男の突然の死がやりきれない影を落とす。
今月の文芸誌では、旦敬介さん(57)の「アフリカの愛人」(新潮)も注目作だ。南米やアフリカなど各地に暮らし、『旅立つ理由』で読売文学賞を受賞した著者の小説である。日本人の妻とケニアに滞在する<K介>が、ナイトクラブで知り合ったアミーナを愛するようになる話だ。
ベテランの森内俊雄さん(80)は、「新潮」2013年11月号から始めた計6本の連作小説「道の向こうの道」を終えた。1956年、大阪から上京して早稲田大の露文科に入学した大学生の青春をつづる。「いいかね、きみたち。露文科の学生になったからには、もはや就職はあきらめたまえ」。1年生の最初の専修科目の授業で高らかに、教授は学生たちに言い放つ。かつての大学には、紛れもない本物の文学があった。
二瓶哲也さん(48)の「墓じまい」(文学界)は顔にやけどの痕を負いながら、5人の子どもを育てる女性の造形に型破りな活力がみなぎる。(文化部 待田晋哉)
ポール・オースター回想録
米国を代表する作家の一人、ポール・オースターの回想録『冬の日誌』と『内面からの報告書』(いずれも柴田元幸訳、新潮社)が刊行された。子どものころにボールを一人で高く投げて遊んでいて大けがをしたこと、性に目覚めて彼女と唇がひび割れるまでキスしたこと……。時間が行きつ戻りつする文章に、人間の記憶とは過去から現在へ真っすぐには流れず、波打つように揺らぐものだと改めて感じる。
《 【文芸月評】三代記 一瞬一瞬で描く》
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