カルチャー産業のはずれに位置する文芸
先日、小説の売り込みはどうなっているのか、という質問を会員から受けた。そこで、ネットに無料で投稿するサイトが沢山あり、そのなかの人気ランキングがあって、上位作品を出版社が本にして出す傾向や、まず芸能人になって名がうれてから本を出すのが手堅いと、説明したら、その傾向説明に大変感心して新鮮におもったようだった。それが正確かどうかはわからないが、一部の職業作家しか大衆知られていないジャンルで、カルチャーの主流ではなくったことは確か。
それだけに、アマチュアには自由な表現の世界になっている。先日、詩人囲碁の湯河原合宿で、伊藤礼さんにお会できたので、じつは「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳で猥褻罪に問われた本が、手元にないと話したら、持っているので、送っていただけるということになった。そして、それを手にしてみたら、いろいろなことがわかった。そこで、「詩人回廊」に連載を開始。「文章における猥褻表現の定型はあるのか」という題にして書き始めた。カルチャーとして、この作品を猥褻であると主張する検事の裁判での文言の一部を検討する。
伊藤整全集からコピーしたのを持っていたのに、紛失してしまった。慌てて以前あった図書館に確かめに行った。すると、その全集は置き場所の関係か、別の図書館の保管になっていた。明日は、電車に乗って置いてある全集のどの巻にそれが記録されているのがあるか調べに行くつもり。
以前は、松本清張の裁判小説を調べるのに全集を探していたら、処分されていたことがあった。どうなるやら。
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