文芸同人誌「季刊遠近」第63号(川崎市)
【「女主人の家」逆井三三】
京子という気位の高さと節度を失わない利発な女性の一生を描く。普通の田舎の素封家の出身から、健康して夫の働きで資産家になる。その事業の詳細は省略して、夫との死別や息子の家出を短く紹介し、その後の京子のゆとりある生活ぶりを丁寧に描く。人生後半に絞って、生涯を穏やかに終わるまでを描く。晩年の近田というマッサージ師との関係も自然な流れに沿って客観的に書く。二人の関係を激しく感情的に表現することも可能であろうが、作者の視線は、人生の幸せは、穏やかな日々の積み重ねにあるというところに納められている。読みやすく退屈させない。作者の視線が人生観を物語っているような作品。
【「鏡の中」花島真樹子】
あかねという女性は鏡を見るのが好き。結婚しても、夫にそれほど関心がなく、鏡の中の世界をイメージする生活。ある日、車の運転中に幻想にとらわれ、事故を起こし、病院に運ばれるが、夫の五郎に見守られながら亡くなる。あかねの着ていた鏡に映していた服が沢山残される。
五郎は、その後ほかの女性と付き合うが、京子の好んだ洋服と彼女が鏡の中にいるような気がして、独身を通す。そして、ある日、彼が無断欠勤したので、会社の人が見に行くと、五郎があかねの服に包まれて、満足気な表情で死んでいた。
退屈な現実から逃れて非現実の世界に。鏡の中に魅せられた夫婦の、精神的な華麗さを感じさせる。奇妙な味の奇譚。
【「悲しみの日」難波田節子】
5月5日は、イスラエルの「ホロコースト」記念日だそうである。その儀式の様子や、イスラエルには「ホロコースト否定禁止法」というものがあるという。本文では、それらの話からわが国の歴史と、戦時の民衆による言論抑圧行動などに話題が移る。作者の父も、空襲で亡くなったことになっているが、遺体はなく行方不明のままだという。アウシュビッツ見学の体験や、ナチスの追跡から逃れるユダヤ人を救済した人々の事例が紹介されている。
人類の差別意識と憎しみ、連帯と博愛は、一人の一人の心にある。富沢有為男とかいう昔の直木賞か芥川賞だかをとった作家は、「文学は人間性の悪の部分を描き出すので、良くない」と、評論を新聞に書いていたそうだ。現在のテレビ報道を見ると、絆とか明かるいとか、付け焼刃で元気のでるようなものが多いが、実際は暗い世の中だからそうしているのかも知れない。
【「あさきゆめみしゑひもせず」藤民央】
心筋梗塞とか心臓病にかかった体験記。同病ではないが、治療生活の一端に惹かれて読んだ。闘病ドキュメント。
【「手術まで」森重良子】
40代の頃から悩まされていた股関節の不具合が、年をとったら痛くて歩けなくなる。しかし、医術に進歩と名医の存在で痛まなくなったという体験ドキュメント。
【「検査入院」島有子】
自治体の胃がん検診でポリープがみつかり、検査入院した体験記。同じような体験をしてるとしても、それぞれ人によって細部はちがうのだろう。
発行所=〒215-0003川崎市麻生区高石5-3-3、長井方。
紹介者=「詩人回廊」北 一郎
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